ORICON NEWS

震災を風化させない シンガー牛来美佳 「いつかまた浪江の空を」メジャーリリースに託す希望

 東日本大震災と福島第一原発の事故で故郷の福島県浪江町から避難を余儀なくされ、震災後に音楽活動をスタートさせたシンガーソングライター・牛来(ごらい)美佳が、震災から11年目にあたる今年3月11日、「いつかまた浪江の空を」をキングレコードから配信リリースした。2015年に自主制作版として発表された曲を、再リリースすることに決めた同社エグゼクティブ・プロデューサーの水川忠良氏と、「震災のことを歌で伝え続けていきたい」と語る牛来に曲に込めた思いを聞いた。

浪江の空の下に笑顔が戻るまで歌い続けるという牛来美佳

浪江の空の下に笑顔が戻るまで歌い続けるという牛来美佳

写真ページを見る

【写真】その他の写真を見る


■荘厳ささえ感じさせた、「いつかまた浪江の空を」との出会い

「会社のOBである大先輩から、群馬県太田市にいい曲を歌っているアーティストがいるから聴きに来ないかと誘ってもらい、19年に牛来さんが続けていた復興支援ライブを見に行ったのが彼女との出会いです」

 そう語るのは「いつかまた浪江の空を」の配信リリースを担当した水川忠良氏だ。

「ライブでこの曲を聴いた時、ポテンシャルの高さに惹かれました。作曲されたのは作家の山本加津彦さん。音楽に対して技術云々の前に、感じること、伝えることを大切にしている方です。牛来さんも突然、震災に遭ったあの日以来、家に帰れないという不条理な経験の中で、震災のこと、浪江町のことを伝えたいという思いで突っ走ってきた。この曲の良さを言葉で表すのは難しいのですが、そういう二人の気持ちが共鳴し、化学反応を起こしたとしか思えない。荘厳ささえ感じさせる曲だと思いました」

「いつかまた浪江の空を」は15年、YouTubeで公開された。発表すると大きな反響があり、同年の『24時間テレビ』(日本テレビ系)で歌唱された。確実に聴いた人の心をとらえるこの曲は、地元福島や今も避難生活を送る群馬のテレビ番組の応援もあり、次第に深い共感の輪が広がっていった。

 今回、7年前に発表している曲をレコード会社から改めてリリースした意義を、牛来は歌を広める新たなチャンスとしてとらえている。
「この曲にはたくさんの人に届けられることによって皆さんに歌い継いでいってもらえたらという思いがあります。今回のリリースを機会により多くの方に聴いていただき、歌っていただくことで広がっていってくれることを願っています」

ライブで曲を聴いて一発でほれ込んだと語る水川プロデューサー

ライブで曲を聴いて一発でほれ込んだと語る水川プロデューサー

写真ページを見る

■曲と現実のギャップに心がついていけなかったことも

「いつかまた浪江の空を」が生まれたきっかけは、10年前にさかのぼる。避難先を転々とし、ようやく太田市に落ち着いて音楽活動を始めることを決意した牛来が、震災前に行われた浪江町の町興しイベントに出演し、顔見知りだった山本加津彦に「浪江の歌を作りたい」と依頼したことが始まりだった。 “浪江で見た青空”をテーマに詞を共作し、それに曲がつけられ13年に完成した。しかし、いざ歌おうとすると、なぜか気持ちが乗らないことに牛来は気づく。次第に聴くのも嫌になり、「イントロが流れるとすぐに消していた」というほど、葛藤の日々が続いたという。

「この曲は山本さんとの話し合いの中で、“また浪江で、みんな笑顔で会えるように願いを込めた、未来の希望を綴る歌”という方向性で作ることになりました。でも山本さんに曲をお願いした12年は震災からまだ1年、町は手つかずのまま、建物も朽ち果てたままのような状況でした。その時の私は“今の浪江の現状を伝えたい”という気持ちが強過ぎて、“未来の希望を”というイメージに感情がついていかなかったんです」(牛来)

 それでも曲と向き合えるようになったのは、「震災がなかったら、これまで私の活動を支えてくれた多くの人たちとは出会えなかった」ことに気づいたからだという。牛来が山本さんに「歌えるかもしれない」と連絡を入れたのは14年の暮れだった。翌15年にレコーディングが行われ、同年3月にYouTubeで発表された。

生まれ育った浪江町を歩く牛来美佳

生まれ育った浪江町を歩く牛来美佳

写真ページを見る

■いつかまた浪江の空の下に笑顔が戻るまで歌い続ける

 復興支援ライブで曲を聴き、一発でほれ込んだと話す水川氏に、今回の配信版はアレンジを新しくしたのかと尋ねると、「一切手を加えていない」という答えが返ってきた。

「通常は、こうしたらもっと良くなるという箇所があるものですが、この曲はそれが一切なかったというか…、そういうレベルを超えていると感じたからです。 “同じものを出す意味”についてずいぶん考えましたが、大抵の場合、最初に作った作品にはかなわないもの。この歌もこれしかないんです」

 避難のためバラバラになった浪江小学校の子どもたちのうち、二本松市の仮校舎に通っていた21人が参加したコーラスも、もちろんそのままだ。

「牛来さんたちが18年に始動させた復興支援チャリティーコンサート『G-namieプロジェクト』に私がうかがった時、コーラスで参加していた子どもたちが会場に来ていました。もう高校生になっていましたが、こうして繋がっていくんだと思うと、ちょっとウルっときてしまいましたね(笑)」

「g-namieプロジェクト」主催のチャリティライブの様子(2019年)

「g-namieプロジェクト」主催のチャリティライブの様子(2019年)

写真ページを見る

 水川氏は、作家の山本加津彦氏に最初に会った際の、「収益云々とかじゃなくて、この曲が誰かの役に立ち、誰かの心に寄り添えることができたらいいという思いだけでやっている」という言葉に強い感銘を受けたという。これは、この曲に引き寄せられて集まった多くの関係者が共有する思いだろう。そうやってこれまで草の根的に広がっていった本作ではあるが、水川氏は今、その先を見据えている。

「この曲はタイトルに“浪江”という固有名詞が入っていますが、浪江はひとつの象徴であって、どこの場所であってもそれぞれの状況に当てはめて歌える、普遍的な曲になるのではないかと思っています。将来的に合唱曲の定番ソングになれたらいいと考えていて、今回、合唱譜をネット上で無料配布して、皆さんから合唱の動画を募集しています」

 東日本大震災から11年がたった今、牛来が一番伝えたいことは何か。
「私自身、この震災の経験で、当たり前の日常がいかに尊くて大切かということを身に染みて感じました。だから(そういう日常が戻るまで)生き抜いていこう、どんなことも乗り越えていこうというメッセージを伝えていきたいと思っています。どんなに時間がかかっても、いつかまた浪江の空の下に当たり前の生活がもどって、笑顔があふれますようにという願いはいつまでも変わりません」

 故郷を取り戻したいという願いと祈りのこもった「いつかまた浪江の空を」。震災の記憶の風化が指摘されるなかで本作が配信リリースされるのは、この歌の持つ力が今こそいっそう必要とされている証なのかもしれない。

文:河原崎直巳

震災11年目にメジャーから配信リリースされた「いつかまた浪江の空を」

震災11年目にメジャーから配信リリースされた「いつかまた浪江の空を」

写真ページを見る

【牛来美佳(ごらいみか)プロフィール】
福島県浪江町出身シンガーソングライター。85年7月25日生まれ。東日本大震災により被災、浪江町に全町民強制避難指示が出され、当時5歳の娘とともに故郷を離れ、群馬県太田市にて避難生活を送る(震災前は福島第一原発内で事務員として勤務)。現在、地元密着シンガーソングライターとして活動中。15年3月11日にYouTubeで発表した「いつかまた浪江の空を」が反響を呼び、同年放送の『24時間テレビ』(福島中央テレビ放送)にて歌唱・出演。15年、初のホールワンマンライブでは300人を動員。2018年より「G-namieプロジェクト実行委員会」を始動。太田市民会館で「牛来美佳 復興チャリティーライブ」を開催。2019年4月21日には第二回目を開催(2020年はコロナで中止となり配信のみ)。諸経費以外全てを地元への支援金として寄付している。
■牛来美佳 official website https://mica-gorai.jimdofree.com/

【山本加津彦プロフィール】
Sony Music Publishing専属作家。79年生まれ。大阪府泉大津市出身。19歳で全くの初心者からピアノを始め、リーダーのバンドAo-Nekoでの楽曲が評価され、07年よりSony Music Publishing専属契約。アーティストへの楽曲提供等、作家としての活動を開始。
楽曲提供した主なアーティスト:東方神起西野カナJUJUJYCHEMISTRY夏川りみ林部智史乃木坂46欅坂46加藤登紀子ふくい舞手嶌葵MACO佐々木彩夏、など。17年「日本有線大賞」優秀賞/(西野カナ「手をつなぐ理由」)、「日本レコード大賞」優秀作品賞(西野カナ「手をつなぐ理由」)。18年「日本レコード大賞」優秀作品賞(西野カナ「Bedtime story」)

【水川忠良プロフィール】
岡山県倉敷市出身。徳間ジャパンを経て98年キングレコード入社。キングレーベルクリエイティブ本部エグゼクティブ・プロデューサー、兼(株)セブンシーズミュージック取締役。徳間時代は、LINDBERG、小比類巻かほる、陣内大蔵などを担当。キングでは徳永英明、谷口崇、米倉千尋、鈴里真帆、現在は、大月みやこ小金沢昇司水田竜子椎名佐千子、オルリコ、牛来美佳などを担当。

関連写真

  • 浪江の空の下に笑顔が戻るまで歌い続けるという牛来美佳
  • ライブで曲を聴いて一発でほれ込んだと語る水川プロデューサー
  • 生まれ育った浪江町を歩く牛来美佳
  • 「g-namieプロジェクト」主催のチャリティライブの様子(2019年)
  • 震災11年目にメジャーから配信リリースされた「いつかまた浪江の空を」
  • 「g-namieプロジェクト」主催のチャリティライブの様子(2020年)

オリコントピックス

あなたにおすすめの記事

メニューを閉じる

 を検索