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音楽における「歌詞」の重要性が低下? メロディとの親和性や語感を重要視

 歌詞、メロディ、歌声、楽器演奏……音楽を構成している様々な要素のなかでも、日本人は「歌詞」を重要視する傾向にあると言われていた。特に1990年代の終わり頃からは、アーティストの内面から紡ぎだされるリアルな言葉への“共感”を口にする人が急激に増えた。しかし、ここ最近のヒットを振り返ってみるとメロディとの親和性や言葉の響きなど、内容よりも語感や耳なじみの良さを追求するアーティストが増えているように感じる。音楽における「歌詞」の役割は変化しているのだろうか?

2000年ごろからは浜崎あゆみ、宇多田ヒカルら作詞を自ら手掛ける女性シンガーが台頭。同世代の女性の“共感”を呼んだ。写真は宇多田『First Love』(1999年発売)ジャケット写真

2000年ごろからは浜崎あゆみ、宇多田ヒカルら作詞を自ら手掛ける女性シンガーが台頭。同世代の女性の“共感”を呼んだ。写真は宇多田『First Love』(1999年発売)ジャケット写真

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■乱立していた“ブログ風”の歌詞

 日本の音楽における歌詞は、近代に限らずいわゆる“流行歌”の時代から重要な役割を担ってきた。職業作家が紡ぎだした幅広い層に心に響く歌詞は、多くのヒットを生み出し、その時の“時代を映す鏡”として現在まで歌い継がれている。時は経ち、近代では自分で作詞、時には作曲までも手掛けるシンガー・ソングライターが増えたことにより、ルックスや歌声などに加えて、歌詞が音楽を“選ぶ”基準のひとつとなった。それに伴って、歌詞にも、幅広い層に届く普遍的なものよりも、よりそのアーティストのオリジナリティが求められるようになってきた。

 例えば、1998年にデビューした浜崎あゆみ。彼女が若い女性のカリスマとして君臨した大きな理由は、若者ならではの葛藤や恋愛観など、自身の体験から生み出される赤裸々な歌詞だった。まるで聴き手のことを歌っているかのような歌詞は、当時の若い女性たちに大きな共感を呼んだ。浜崎に限らず、近代の日本の音楽界のスターたちは、自らが紡ぎ出すリアルな言葉で若者の気持ちを代弁し、時代のカリスマとなってきた。アーティストたちが魂を削って綴った言葉の数々が、若者たちの心を捉えたのだ。

 J-POPにおいて歌詞が重要視される傾向は2010年代に入っても変わらなかったが、内容には少しずつ変化が見えるようになった。いわゆる“着うた系アーティスト”の台頭や動画サイトなど、より音楽を手軽に聴ける環境が整ったこともあって、何気ない日常を歌詞として綴った曲が好まれるようになったのだ。メッセージを投げかけ、聴き手にも何かしらの気づきを与えるものよりも、心に直接伝わるようなストレートな言葉が並べられた歌詞。純粋な“ブログ風”の歌詞は近年のひとつのトレンドとなってきた。

■意味を持たない歌詞 洋楽を聴く様な感覚

 確かに、最近のヒット曲を聴いてみると、歌詞に“深い意味を持たない”曲も増えてきているように思う。それを裏付けるように、音楽の聴き方に関するアンケート調査を取ったところ、最近のリスナーは音楽を選ぶときに「歌詞」よりも「メロディー」「歌声」を重要視していることがわかってきた。もちろん、それぞれのアーティストなりのメッセージは込めていることは間違いないだろう。しかし、歌詞そのものが前面に出るのではなく、曲全体のグルーヴ感を演出する要素のひとつとして、メロディーとの親和性や語感のほうが重要になっている気がするのだ。

 これには様々な理由が考えられる。例えば、若いリスナーにジャンルという概念がなくなってきていること。以前、20代前半の若者と話をしたときに「Kis-My-Ft2と洋楽を同じ感覚で聴いている。でも洋楽の歌詞の意味はよくわからないんです」という話をしていた。J-POP、アニメソング、ボーカロイドと同じような感覚で流行の洋楽作品を聴く。スマートフォンなどをいじりながら“ながら聴き”する若者が増えていることも関係しているだろう。共感する言葉よりも、メロディにのったとき耳なじみの良い言葉に親しみを感じるのだ。また、近年の都市型フェス人気からもわかるように、CDや配信で楽曲を購入するよりも、生の音楽を楽しみたいというライブ志向のリスナーが増えてきていることも挙げられるだろう。歌詞をじっくりと読み解ける曲よりも、いかにみんなで楽しくリズムにノって盛り上がれる曲であるかが重要になってくる。

 ヒット曲は時代を映しだす鏡。過去の音楽シーンを振り返ってみると、歌詞の時代、メロディの時代を繰り返しながら常に進化してきている。5年後、10年後はまた「歌詞」が求められる時代がやってくるかもしれない。

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