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【バーレスクダンサー】うつ病を克服 トランスジェンダーのギタリスト・渚月が夜の六本木で働くようになるまで
うつ病から救ってくれたのは「ゲーム」だった
渚月もともと音楽の専門学校に通っていて、その後お店にはいるまで約2年間辞めていたんですけど、ある時お世話になっていた先生から、「今何やってるの? ギター弾かない?」と連絡が入ったんです。その頃はほぼ何もやっていない時期だったので「弾きます!」と即答して。そこで今いるparty onのドラマーと知り合って、縁あって入店することになりました。働く前に見学に行って、その時「東京にはこんなところがあるのか!」と、度肝を抜かれました。今はショーの転換中なんかにフリーでギターソロを弾いたりなどしています。
――「音楽を辞めていた」と仰ってましたが、ギタリストとしてご飯を食べていたということですか?
渚月趣味としてやっていました。けど、いろいろあって辞めてしまったんです。ギターを始めたのは高校2年生の頃。父親は昔、音楽人としてライブショーに出るような人だったので、セッションバーなんかによく連れていってもらってたんですよ。その頃の影響が大きいと思います。
――ちなみに憧れのギタリストは?
渚月マイケル・シェンカーやリッチー・ブラックモアといったハードロック系のギタリストが好きなんです。曲だとドリーム・シアターが好きですね。ギターを始めた頃は教室に通っていたんですけど、ディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』を弾いてる時に「私は多分うるさい音楽が好きなんだな」と自覚して(笑)。そこからX JAPANとか、聖飢魔IIにどっぷりハマりましたね。
――音楽の専門学校を卒業して、ここで働くまでは何をしていたんですか?
渚月転々としながらですけど、直近はゲーム会社で働いてました。ゲーマーというわけではないので、イベントに携わる事務的な仕事を。以前、私はうつ病を患っていたんです。楽しいこともないし、ただ生きているだけの日々だった。けど、その会社は比較的、大目に見てくれていました。ある日、その会社の社長に『Vainglory(ベイングローリー)』というゲームを勧められてやることになったんです。それがあまりにも楽しくて……人生が一変しました。生きる楽しみが見つかって、そのゲームをプレイするために体調を整えるようにもなりました。大袈裟でもなんでもなく、私は『Vainglory』に心を救ってもらったんです。
私はトランスジェンダー それでも女性の服を着ることに抵抗ナシ
渚月好きなギターを弾きながら照明を浴びて、自分を表現している時はやっぱり幸せを感じますね。
――ギターを思う存分弾ける喜びがある一方で、セクシーな衣装を着ることに抵抗はなかったですか?
渚月すごくありました。というのも私はトランスジェンダーで、昔はスカートも履けないし脚も出したくなかったんです。けど、ある撮影をしてもらっているとき、カメラマンさんに「脚がキレイだね」って言ってもらえて。そこからスカートが履けるようになりました。一時期働いてたキャバクラでは割と露出度の高い衣装が用意されていたんですけど、それを着たら「割と似合ってるじゃん」とも思えて。心はトランスジェンダーですけど、そういうのがきっかけになって女性の洋服を着ること自体に抵抗がなくなりました。
――トランスジェンダーとはっきり自覚したのはいつ頃なんでしょうか?
渚月小さい頃からですね。髪の毛はずっとショートで絶対に伸ばしたくなかったし、かわいい洋服も着たくない。好きな色もピンクじゃなくて、ブルーとかブラックでした。
モデルの経験から「撮る側」にも興味
渚月モデル活動をやっていることがきっかけで、最近は自分自身でもカメラを始めるようになりました。というのも、自分もモデルをやっているから「被写体はどうカメラに映っているのか?」が気になるんです。なので“撮る側”にまわれば、そっちの気持ちも理解できるのかなと思って。奮発してSONYの『α7 III』というモデルを買って、最後のレタッチまで行なっています。元々表現することが好きなので、アート系の作業は好きですね。
――ゲームを作る人ではなかったとは言え、コンテンツを生み出す会社に属し、今はギタリスト。そしてカメラ活動と、やはりクリエイティブなことが好きなんですね。
渚月そうですね。うつを克服できたきっかけは紛れもなく『Vainglory』というゲーム、そして今はギターと、自分を表現していくことがすごく楽しいです。いろんなことがようやく今の私に結びついているのかなと思いますね。
――なるほど。今後の目標を教えて下さい。
渚月メジャーシーンでギターを弾きたいなと。有名なギタリストになって、テレビに出演するプレイヤーになりたいです。
(取材・文/中山洋平 撮影/山口真由子)