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阪神・真弓監督、小林繁氏急死にショック……阪神移籍当時のキャンプ寝坊秘話明かす

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 元巨人・江川卓との“世紀のトレード”で一躍注目を集めた日本ハムコーチ・小林繁さんが17日午前、心不全のため福井市内の病院で死去した。かつて“同僚”やコーチ仲間として活躍した阪神・真弓明信監督は同日夕方、神戸市内で取材に応じ「これまで気苦労も多かったかと思うが…」と、57歳と若くしてこの世を去った大投手を哀悼。阪神移籍後の初キャンプで、2人で寝坊を連発した思い出などを語った。

かつての“同僚”の死について語った真弓監督【17日午後=神戸・新長田にて】  (C)ORICON DD inc. 

かつての“同僚”の死について語った真弓監督【17日午後=神戸・新長田にて】  (C)ORICON DD inc. 

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 小林氏死去の一報が報道陣に流れたのはこの日午後。所属する球団から正式な発表がないなか、報道陣から訃報を知らされた真弓監督は「本当にビックリした。先月のはじめに(日ハム1軍コーチに昇格した件で)電話がかかってきたけど、元気そうやったんやけどね」。現役時代は阪神で、そして2000年代に入り近鉄ではコーチとして共に梨田監督の元でリーグ優勝に貢献。「飲みに行ったりはあまりなかったけど、やはり近鉄時代の(優勝が)思い出として残っています」と振り返った。

 1979年に自身はクラウンライター(現在の埼玉西武)より、小林氏は巨人から共にトレードで阪神に移籍。同じタイミングで関西の人気球団の次代を担う選手として大活躍したが「最初のキャンプで俺が一番最初同じ部屋でね。その年のキャンプで2人してよく寝坊していた。今考えればお互い気疲れしていたんやろね。(小林氏は)まともなトレードでも無かったし、複雑だったと思うぶん、余計に気苦労は多かったと思うね」。サイドスローから繰り出す右腕が積み重ねた通産勝利数は139。「ムキになって『絶対に勝つ!』という“気”で投げる人。バックで守っていても、それが感じられました」と語り、故人を偲んだ。

 この日は夕方に神戸・長田の西神戸センター街で行われた阪神淡路大震災15年『第6回 神戸フリーライブ ONE HEART』に、ヒップホップアーティストのPENGIN、レゲエ歌手のMetisらと共に出席。1995年は現役最終年で、自主トレ直前に被災した。未だに「(地震で)“揺れる怖さ”は目に見えない精神的な部分で自分の中に残っている。今は、ハイチの状況が気になります…」と心痛が絶えない様子。最後は大勢のファンの前で「今年は期待に応えて皆さんと喜べる年にできると思います」と5年ぶりのV奪還を誓っていた。

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