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人時(黒夢)、ガールズバンドをプロデュース 黒夢の活動停止・解散・再結成の真相も語る

黒夢が活動停止した頃は音楽をやめたいと思っていた

――黒夢としてデビューしてから22年ですが、その変遷の中で、今のスタンスに辿り着いたということでしょうか。
人時 気づけばここにいた、っていうぐらいなものですけどね。ただ、本当はプレイヤーだけでいたいという気持ちはあります。そこはデビューしたときから意識していたことでもあって、いろんなところでベースを弾いていたいと思っています。長いことやってきた中では、思い通りにはいかない時期や、音楽をやめたいと思ったこともありました。それでもやっぱりやめられない何かがあって、気づいたらここに辿り着いていたっていう感覚。同世代のミュージシャンでもやめていく方はたくさんいましたから、自分は運がいいのかなっていうのはつねづね思います。

――「音楽をやめたかった」時期というのは、1999年に黒夢が無期限の活動休止を発表した頃ですか?
人時 そうですね。あの頃は“(音楽は)もういいです”って感じで、テレビでもラジオでも、音楽が流れてきた時点で消しちゃうぐらい音を遮断してました。

――なぜ、そこまで?
人時 後ろ向きな発言になっちゃいますけど、僕らがデビューした1990年代は、曲が売れれば、成功して認められるっていうサクセスストーリーがあったと思うんです。しかも音楽バブルの時代だったので、予算も今の10倍ぐらいは湯水のごとく使えた。でもそうなると、当然、いろんな人間が関わってくるから、自分の意志と反する意志も必ず交わってくるわけですよ。それで、音楽業界の汚い部分とか、世の中の図式も見えてくる。そういった部分が自分の中でだんだん溜まっていって、当時は音楽を純粋に楽しめなくなったっていうのはあります。

――メジャーで売れたからこそ、ぶつかる壁ですね。
人時 だから僕は今でも、本当に自分の好きな音楽だけをやりたいなら、メジャーでやるのは無理だと考えています。他の仕事をしながら音楽を作ったほうが、マインド的には整理がついて、周りとの葛藤は生まれない。仕事してお金が絡んでくると、アーティスト側だけの意識では回らないことが必ず出てくるし、その中で“魂を売って”しまう可能性もありますから。当時はそこの葛藤はもういいやって思ってしまって、音楽自体をやりたいと思えなくなってしまった。あとはツアーが多かったので、家族との時間が取れないことにも後ろめたさを感じていて。そういういろんなものが混ざって、音楽を聴きたくないってところまでいっちゃったんですよ。

ステージでぶっ倒れるくらいの気持ちで挑んだツアー

――でも結果的に音楽をやめることはできなかった。そして解散を経て、2011年に黒夢は再結成しましたが、どんな意識の変化があったんですか?
人時 まず僕にとって黒夢は当たり前のように青春ですし、切っても切れないものというところは今も昔も変わってない。最初、4人で始めたのが3人になり、最後は清春さんと2人になって、そこから知名度が上がったので、2人で頑張ったっていう認識もあります。当時はバンドのメンバーが減っていくイコール売れなくなるってことが多かったから、いわば窮地に立たされた状態だったけど、その中でアルバムがオリコン1位になったこともすごく誇りになっていたんですね。でも、さっきも言ったとおり、その後はいろんな問題が出てきて、正直、再結成前は二度と黒夢はやらないだろうなと思ってました。実際、活動停止してから10年ぐらい清春さんとはまったく会っていなかったし。自分自身もプレイヤーとして1人でどこまでやれるか必死で、それどころじゃなかった。でも、時間が解決するってよく言うけど、まさにそんな感じで、お互いに会わないし、相手が何を考えているのかもかわらないのになぜか距離が縮まっていく感覚があった。そのうち今やってみたらどうだろう?ってことになって、復活&解散ライブをやって、さらに再結成になったんですね。

――再結成後、黒夢はさらにパワーアップした感がありますが。
人時 やるからには最新のものを作りたいというのはありました。過去の曲をやったほうがお客さんたちは喜ぶのかもしれないけど、今やれることは何か、って考えると、音を作っていくこと。どう思われるかわからないけど、それはそれでありだよねっていう想いだった。だから今はすごく楽しいです。ただ、去年の3月までやっていたツアーはいろんな意味で大変でしたね。50本ぐらいやったんだけど、細かいところまで回る全国ツアーは本当に久しぶりだったし、地方にいくほど過去を懐かしむ人も多い。そうなると、絶対に昔の自分たちと比べられるじゃないですか。「前のほうが良かった」とか「もっとハードだった」とか。そこは復活組と呼ばれる人たちが越えなくてはいけないハードルだなと。

――確かに。
人時 実際に「なんか違うな」と思われるのは嫌だったから、このツアーに関しては過去、自分が体験したことがないくらい大暴れしようと思っていたんです。だからある意味、鬼気迫るというか。とにかく明日のことは考えない。クサい言い方だけど、ステージでぶっ倒れるならそれでもいいや、ぐらいなものはかなり意識しました。

――毎回、MAXの力で挑んだと。
人時 いや、それ以上。つねに火事場の馬鹿力を出しているような感じ。前はパフォーマンスが終わった後に倒れることはなかったけど、ツアーの前半はぶっ倒れっぱなしでした。

――よく50本、持ちましたね?
人時 ですね。自分でも不思議なくらい(笑)。常に20代半ばくらいの血気さかんな時代の自分たちのイメージとの闘いだったというか。そこに40代の自分が勝てるはずないんだけど、あえて挑んで葛藤してる状態ではありました。だってやっぱり若い頃の自分よりも、今の自分をカッコ良くしないと、やっている意味がないじゃないですか。毎回、本番前はそうやって気持ちを切り替えてやっていたので、本当に精も魂も尽き果てていて。でも、そのおかげで、昔は長い本数やっていると中だるみすることもあったけど、それがまったくなかった。50本、完全に全力でした。

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