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アーティストやスタッフのメンタルヘルスケアに乗り出す音楽業界 サポート体制構築へ

 今春から日本音楽制作者連盟はメンタルヘルス対策に本格的に乗り出す。新型コロナウイルスの流行はエンターテインメント業界にも大きな影響をもたらし、さまざまな問題が顕在化した。その1つがアーティストやクリエイターのメンタルヘルス対策だ。メンタルの不調を“個人の問題”とせず、所属事務所や業界団体による支援体制を構築していくという。その活動母体となるのが、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)のプロジェクト「B-side(ビーサイド)」。アーティストやクリエイターが創作活動に集中できるよう、そのスタッフも含めて心身のケアを行う取組みで、コロナ禍の2021年に発足。相談窓口やカウンセリングなどを導入し、わずか2年余で着実に成果をあげてきた。欧米では早くからメンタルヘルスケアの重要性が認識されていたが、日本はメンタルヘルス後進国と言われてきた。それだけに「B-side」と音制連のタッグは実に喜ばしく、画期的な動きであると言える。

写真左から 徳留愛理氏(日本音楽制作者連盟 理事)、野村達矢氏(日本音楽制作者連盟 理事長)

写真左から 徳留愛理氏(日本音楽制作者連盟 理事)、野村達矢氏(日本音楽制作者連盟 理事長)

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■アーティストやスタッフのメンタルヘルス対策に 音制連が本腰を入れて取り組む理由

――日本音楽制作者連盟(以下、音制連)の新年懇親会は大盛況で、来場者は1500名を超えたと聞きました。

野村 4年ぶりのリアル開催ということもあり、たくさんの方にご来場いただきました。皆さん本当に交流に熱心で、食事そっちのけで熱心に会話されていましたね。業界の置かれている状況としては、ようやくコロナが明けて活動を再開できたのは喜ばしいことですが、いろんな問題が噴出してきているのも事実です。人手不足に資材不足、会場の問題もあって、近い将来、ライブ開催が容易にできなくなるかもしれません。権利に関する部分では、会員社に向けて繰り返し発信してきましたが、アーティストやミュージシャンの商業用レコード二次使用料が、データベースを拡充・整備して、番組利用に対する対価としてきちんと支払われるようにすべきと考えています。そういった数々の問題に、音制連として積極的に取り組んでいきたいという思いが溢れ出て、僕のスピーチもけっこう長くなってしまいました(笑)。

――個社対応ではなく、業界全体の問題として取り組む姿勢を示されていました。その1つが、スピーチでちらっと話されていた会員社のアーティストやスタッフのメンタルヘルス対策ですね。音制連として取り組むことになったのは、どういった経緯からだったのでしょうか。

野村 20年秋頃でしたか、アーティストが精神面で不調をきたした時にマネジメントとしてどう対応すべきか深く考える契機となった出来事があって、それについて徳留(愛理)さんからご相談があったんです。徳留さんとは、互いにバンドのマネジメントを行っていることもあって、以前から顔を合わせる機会も多く懇意にしていました。その時の話は、アーティストのメンタルヘルスの問題は、今のような個別の対応ではなく、音楽業界全体として取り組んでいく必要があるのではないか、というものでした。

徳留 私が考える仕組みを最も必要としているのは事務所ではないかと思い、音制連の理事長であり事務所の社長でもある野村さんに、まずご相談しました。私はソニー・ミュージックエンタテインメント(以下SME)に入社以来、ソニー・ミュージックアーティスツで長年アーティストのマネジメント業務に携わってきました。その間に、今で言うところのメンタルヘルスケアの必要性を感じる事態に直面することがけっこうありました。アーティストの中にはとても繊細な人もいますし、インターネットやSNSの普及で取り巻く環境も大きく変化する中で、彼らの心や身体のケアも含めた全てをマネージャーが個で対応するという状況に限界を感じていて、その思いも蓄積していました。

野村 アーティストのメンタルの不調の問題は、うちの会社(ヒップランドミュージックコーポレーション)でも起きていましたし、音制連の中でもコロナ前から、メンタルヘルスケアの取組みに関する話題は出ていました。だから、徳留さんの話はものすごく理解できたのですが、その時期は、新型コロナウイルスの感染拡大で、政府から大規模イベントの中止要請が出るなど、エンターテイメント業界自体が非常に大きな負担を強いられていて、我々事務所は仕事そのものができない状態でした。しかも、音制連としてはコロナによるライブエンタテインメントの停止により、政府への経済支援の要求だったり規制の制定や緩和だったりとひっきりなしに交渉する案件が多くて、全く余力がなくて…。そこで、将来は業界としてやることを想定して、まずはソニーミュージックさんの中で形を作るところから始めるのはどうですか」と提案したのです。

野村達矢氏(日本音楽制作者連盟 理事長/ヒップランドミュージックコーポレーション代表取締役社長)

野村達矢氏(日本音楽制作者連盟 理事長/ヒップランドミュージックコーポレーション代表取締役社長)

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■アーティストとスタッフの「こころ」もケア プロジェクト「B-side」の目覚ましい進展と成果

徳留 社内でこういう仕組みを作りたい、という話をまず身近な人たちに相談し、まずは手弁当スタイルでプロジェクトが始まりました。その後、「メンタルヘルス対策に取り組みたい」と当社の上層部に話をしました。メンタルヘルスケアの必要性は社内の共通認識としてありましたので、「そうだよね」と理解を示してもらえて、必要な人員を割り当ててもらうことができました。ただ、進めていくうちに社内の認知を上げ、会社としてしっかり受け止めてもらうためには、組織化すべきだと考えるようになりました。そこで、段階を踏んで社内の体制を整えていきました。また当初は、アーティストのための取組みという発想でしたが、アーティストをケアするスタッフも含めてケアできる場所を作りたいと考えました。

――声を挙げてから1年が経たないうちに、アーティストやクリエイター、スタッフの心と身体をサポートするプロジェクト「B-side」(21年9月)が発足しました。その活動の内容を教えてください。

徳留 B-sideで通年行っているサービスとしては主に4つあって、心や身体に関する不安について相談するとお医者さんがチャットで返答してくれる、24時間・365日匿名で相談できるオンライン医療相談アプリの提供、臨床心理士・公認心理士によるメンタルカウンセリングの提供や、健康診断での任意のメンタルのチェックアップ、スタッフへの意識付けとしての定期的なワークショップの開催、などです。
 B-side対象者がいるSMEの各社から選出されたメンバーで運営していて、皆、自分の仕事を行いながらの兼務なので大変だと思うのですが、この取組みを必要だと感じてくれていて、同じ方向を向くことができています。そういう意味で、ちょっと類い稀な馬力のあるプロジェクトになっていて、すごいなと思っています。

野村 徳留さんからご相談があった時に、僕は参加できない状況にありましたが必要性は感じていたので、気になって進捗状況を聞いていたのですが、プロジェクトの進行の早さに驚いていました。制度を作るだけでなく、さらに踏み込んで、短期間で皆に使ってもらうレベルにまで持っていくというのは大変なことです。

徳留 外部の方たちからの問い合わせも徐々に増えていて、先日の音制連の新年懇親会でも、顔見知りの方からB-sideについて尋ねられました。アーティストやスタッフから「カウンセリングを受けて良かった」という声を聞くと、認知や利用の広がりを実感します。また、会議で話題に上ったり、ソニーグループの方たちが関心を持ってくれたりと、この取組みを「大事なことだ」と捉えてくれる人が増えているのを感じています。

野村 僕もこれはソニーミュージックさんだけでなく、業界として利用していくべき制度だと思うようになっていって、昨年の春に、徳留さんと外部コンサルタントとしてプロジェクトに携わる石井(由里)さんに、B-sideを音制連でも利用させてほしい、業界レベルで利用できる制度に発展させませんか、と持ち掛けたんです。また、この事業を推進するためにも、徳留さんには音制連の理事になってほしいと考えました。そこで後日、ソニーミュージックに打診をして、改めて徳留さんにオファーしたのです。

――徳留さんは、23年6月より音制連の理事に就任されました。メンタルヘルスケアの取組みはもちろんですが、女性の意見をもっと取り入れていきたいという、野村さんの強い希望もあったそうですね。

野村 B-sideを音制連で利用したいと持ち掛けた際に、日本の音楽業界におけるジェンダーバランスの話も出たのです。僕自身は、音楽業界で働いている女性比率は高く、女性も活躍している印象を持っていたのですが、お二人は「そうではない」と。業界として女性の役員登用が遅れていることや、音制連にも女性の理事がいないことなどを挙げられ、「ボードメンバーの中に女性が入っていない」ことに僕もようやく気づいたわけです(笑)。
 それもあって徳留さんには、是非とも理事になっていただきたいと強く思ったわけです。音制連はメンタルヘルスケアにも、ジェンダーバランスにも取り組んでいく。もちろん現状は、理想には程遠いことは承知しています。でも、取り組む姿勢を示すことが大事だと思いますし、そのメッセージが伝わっていけばいいなと思います。新年懇親会で、ニッポン放送の社長の檜原麻希さんにスピーチしていただいたのも、そういう背景があってのことです。

徳留愛理氏(日本音楽制作者連盟 理事/ソニー・ミュージックレーベルズ SML Management ゼネラルマネージャー)

徳留愛理氏(日本音楽制作者連盟 理事/ソニー・ミュージックレーベルズ SML Management ゼネラルマネージャー)

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■音制連会員社へ「B-side」をトライアル導入 鍵になるのはメンタルヘルスに対する知識と理解

――音制連の会員社約230社への提供に向けて、まずはトライアル導入を目指して進めているということですが、進捗状況はいかがですか。

徳留 春あたりのトライアル導入を目指して調整しています。B-side立ち上げの段階から、社内だけではなく広く利用される事業になれば、という理想像がありました。ですから、社外の方にも利用していただきたいとは思いますが、やはり非常に繊細な問題を取り扱っているので、守秘義務の徹底をはじめ、これまでと同様に慎重を期して進めています。私もマネージャーという立場なので分かるのですが、第三者のプロのカウンセラーが自分の担当するアーティストと繊細な話をするにあたり、事務所の方も、やはりカウンセリングの知識がないと、どういうものなのかイメージできず、懐疑的に感じる人もいるかもしれません。導入にあたって利用される会社に担当者を立てていただくことになると思うので、定例会などを開いて知識を深めていくことも大事だと思っています。

――これまでSMEではメンタルヘルスの知識を深めるためにどんな工夫をされてきたのですか。

徳留 身近なものとして考えてもらうために、専門家やアーティスト、タレントさんを招いて自身の経験を語ってもらうワークショップを行ったり、社内向けメルマガを発信して、利用の方法をお知らせしたりしています。あとは、ポッドキャスト番組『B-side Talk〜心の健康ケアしてる?』も立ち上げました。メンタルの話はシリアスになってしまいがちなので、もっとカジュアルに話せて、セルフケアの仕方を紹介できるようなメディアを作りたいというアイデアがスタッフから上がって、22年10月に始まった番組です。昨年10月のワールドメンタルヘルスデーには、弊社の村松(俊亮)社長が番組に出演してくれて嬉しかったです。

野村 皆さんメンタルヘルスケアに関して何らかの対処をすべきとは思っているけれど、その方法に苦慮されていると思うんですよね。そういった中で、ある程度制度化されたものが提供できれば、すごく助かるのではないかなと。音制連の立場で言うと、会員サービスの向上にもつながるので、積極的に利用を提案していきたいと思っています。
 アーティストがメンタルに問題をきたすと、すごくシンプルに言えば、プロダクションとしての経済活動が止まってしまうわけですよ。当社でもそういうケースはあって、ライブなどの活動ができない状況が続いたこともありました。未然に防ぐことができれば、アーティストもスタッフも救われますし、経済的なダメージも回避できます。最近、ジストニアに苦しんでいるミュージシャンも多くて。手足の筋肉などに問題がないのに、思うように動かせなくなってしまうのですが、そのことを公言して、同じ悩みを抱えるミュージシャンたちを勇気づけ、治療法を模索している人もいます。そういったことも、今回行おうとしているメンタルヘルスケアの範ちゅうになります。

徳留 ジストニアの専門の先生にも今年2月から、カウンセラーの1人として参加していただいています。こちらはオンラインで相談できますので、少しでも不安が解消されればいいと思います。

野村 ジストニアはまだ解明されてない部分があって、その診断を受けた時に、ミュージシャン生命が終わってしまうと、ある種絶望的に感じてしまうこともあると思います。そこに救いというか、光明が射してくるような状況に繋がっていけば…と思います。

音制連会員社へトライアル導入「メンタルヘルスケアを行うことは決して特別なことではない社会に」

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徳留 カウンセリングを受ける人には向き不向きがあると思うので、皆が利用する必要はないとは思っています。担当しているアーティストのメンタルの変化に気づいた時、どう接すればいいのか、カウンセラーに相談する、という使い方をしているスタッフも多いです。また、よく例え話に使うのですが、虫歯になって歯医者さんに行って治すのではなく、定期的にチェックに行っておけば虫歯にならない可能性もありますよね。何かすごく困った時に利用してもらうのもありですが、そうなる前にちょっとずつ対処の仕方を覚えるとか、気持ちを吐き出す場所を作っておいてもらうとか、そういう予防としてのメンテナンスのような使い方も推奨しています。

野村 コロナ禍でさまざまな変化が起こり、いろんな問題が表面化しました。メンタルヘルスのケアや先ほどのジェンダーバランスの問題もそうです。今まであまり着目されてこなかったことに目を向ける時期に差しかかっていて、音制連は見過ごさずに取り組んでいることを認識して欲しいですし、B-sideの取組みにも関心を持っていただき、一度利用してみてほしいですね。

徳留 メンタルヘルスケアを行うことは決して特別なことではない、近い将来、そんな社会になっていくといいなと思っています。アーティストやそのスタッフが安全・安心な気持ちで働いていける環境づくりのお手伝いをB-sideが行っていければと思います。

撮影・加藤千絵(CAPS)/ 文・葛城博子

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