昭和歌謡史を語る上で欠かすことの出来ない存在、それが三波春夫だ。浪曲師としてデビューした後、歌謡曲歌手に転向。「雪の渡り鳥」「大利根無情」「一本刀土俵入り」「東京五輪音頭」「世界の国からこんにちは」など多数のヒット作を世に送り出し、昭和の高度成長期を生きる人々に勇気と元気を与えた。また、新たな音楽を常に開拓し続け、浪曲と歌謡曲を融合させた「長編歌謡浪曲」や「セリフ入り歌謡曲」も数多く生み出す。その圧倒的なパフォーマンス力、歌に対する姿勢に感銘を受けた、山内惠介や三山ひろし、辰巳ゆうとら、演歌・歌謡界を担う若手ホープたちが、「歌い継ぎたい」と研鑽に励んでいる。何が彼らを駆り立てているのか、その答えは、三波の生誕100年を記念して発売された『決定版 三波春夫映像集』(DVD4枚組BOX)の豊潤な歌藝(うたげい)の世界にある。
■NHKに残る貴重な資料が綴る 昭和の国民的歌手の足跡
三波春夫生誕100年記念として制作された映像集『決定版 三波春夫映像集』。その一番の見どころは、何と言ってもDISC1に収められた『NHK紅白歌合戦』の出演映像の数々だろう。デビュー翌年の1958年から、76歳で最後の出演となった99年まで、合計31回の出演を果たしているが、本作では、63年からの22回分が時系列に収録されている。放送用ビデオテープが高価だったテレビ草創期、“アーカイブ”という考え方が浸透していなかったこともあり、番組の多くは保存されていなかった。そういった中で、“国民的歌手”と謳われた三波の足跡を一気に振り返ることができるのは、奇跡的と言ってもいい。いや公共放送を担うNHKだからこそ、とでも言うべきか。
残念ながら初出場の58年から62年までの5回分と68年は映像の状態が悪かったこともあり、出演シーンの音声が特典として収録されているが、それでも、司会者の前振りや、衣装やセットを含めたステージ、ちらっとカメラに映る共演ゲストの顔ぶれ、そして観客の様子など、『紅白』の歴史や当時の雰囲気を知る上で貴重な映像となっている。
企画制作に携わった三波クリエイツの三波美夕紀氏は、「ワンコーラスごとに客席から沸き起こる拍手など、音声だけでも当時の熱気を再体験していただくことができます」とその史料的価値を高く評価する。
「NHKさんが所有する、貴重で見ごたえのあるアーカイブをいつかまとめてお届けしたい」と考えていた美夕紀氏の思いはDISC2にも詰まっている。『ビッグショー』や『思い出のメロディー』『歌謡コンサート』など、76年から2000年までのNHK番組での三波の歌唱映像を厳選して収録されている。なかでも最大の見どころは、様々な年代、いろいろなシチュエーションで披露されている長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」だ。
浪曲の節やセリフ回し(啖呵)、ドラマ性を歌謡曲に融合させた長編歌謡浪曲は、浪曲師として芸の道をスタートした三波が確立した新ジャンル。その代表作である「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は、山下達郎も絶賛し、自身のラジオ番組でも放送。また、今の演歌・歌謡界のホープたちが、歌い継ぎたいと熱望する不朽の名曲で、美夕紀氏のもとには、その歌唱指導や所作指導の依頼が多く寄せられている。
「皆さん、番組や公演で披露するとお客様にとても喜ばれるとおっしゃっていて、大変嬉しく思っています。浪曲は口伝の芸で譜面がありません。それに加えて、歌、語り、セリフのある構成は、喉に大変負担がかかり、相当な体力も必要です。ですから、皆さんご苦心されていますが、山内惠介さんは『長編歌謡浪曲によって本物の声が出るようになりました。自分が大きな歌手になるためには通らなければいけないものだとも思いました』とおっしゃってくださいました」(三波美夕紀氏/以下同)
三波のキャッチフレーズとして有名になった「お客様は神様です」も、実はその大変さゆえのプロの心持ちを表した言葉だったという。
「セリフ入り歌謡曲も長編歌謡浪曲も、何人もの登場人物になり切って演じ、歌い、語るので、常に集中しなければなりません。そのため、三波は『神前に立って祈るときと同じ気持ちで、常に澄み切った心で雑念を打ち払って、心を昇華しなければ完璧な歌は歌えない』と言っていました。『だから私はお客様を神様とみて歌う』と。いつの間にか、カスタマーハラスメントの言葉として使われるようになっていますが、この言葉の真意はまったく違うものなのです」
■新しいことにも挑戦し続けた歌藝へのこだわり
三波は、歌い手としてだけでなくプロデューサーとしても先駆者であった。例えば、デビュー当時の男性歌手はスーツを着て歌うことが不文律となっていたが、「自分の芸を活かすには和服の所作が必要だから」と男性和服歌手第1号となったこと、現在では演歌歌手にとってステータスの1つとなっている芝居と歌謡ショーの2本立ての大劇場での座長公演を歌手として初めて実現したこと、など多岐にわたる。その根底にあったのは「もっと工夫を」「もっと新しい芸を」という、歌に対するどん欲な姿勢だ。それを垣間見ることができるのが、DISC3に収録された、76年に荒川区民会館で開催された『歌謡生活20周年記念リサイタル』である。
「『宇宙戦艦ヤマト』で知られる宮川泰先生が、オーケストラを使って音を厚くしてくださり、50代の三波のエネルギッシュな歌声とともに大変聴きごたえのあるステージになっています。オーケストラを並べたことで三波が動けるのはA4サイズ程度のスペースしかなくなってしまって…。そこも見どころです(笑)」
ちなみに、デビュー4年目から毎年1月は名古屋・御園座、3月は大阪・新歌舞伎座、8月は東京・歌舞伎座と、定例月に公演を行っていた三波にとって、同公演は初のリサイタルであった。会場が荒川区民会館になったのは、急な依頼で大きな会場が抑えられなかったことに加え、結婚して夫人と二人三脚で三波節を作り上げる出発点となった“第二の故郷”という理由もあった。20周年を祝い、次なるステップに踏み出すにふさわしい場と考えたのだろう。
DISC4には、94年に東京・歌舞伎座で行った『芸能生活55周年記念リサイタル』を収録。会場となった東京・歌舞伎座は、三波が61年以来、20年間連続で1ヶ月間の座長公演を務めた場所。歌舞伎の殿堂で歌手が一枚看板で例年の公演を実施したのは、後にも先にも三波春夫1人きりだという。
リサイタルでは、70代となり円熟味を増した三波が歌うヒット曲の数々に加え、構想10年、執筆6年で完成させた『歌絵巻 平家物語』などを披露。「日本人がどうやって国の形を作ってきたか、日本人の魂を思い起こしてほしい」という思いから取り組んだ作品だが、音作りは革新的なものだった。92年、69歳の時にハウスミュージックにアレンジされた「東京五輪音頭」や「世界の国からこんにちは」「おまんた囃子」をリリースして世間をあっと言わせ、ライブハウスやディスコにも出演して話題となったが、その活動を通じて知り合った若いミュージシャンたちも参加している。
■根底にあるのは日本の素晴らしさ、日本人の美徳を伝えたいという思い
本作が完成し、「ディスク4枚に三波春夫の生涯が詰まっているという思いがしました」と語る美夕紀氏。その歌藝を究め続けてきた生涯のテーマとなっていたのが、「日本と日本人」であること。
「永六輔さんが、『三波春夫さんの人生って日本の歴史の歩み方と一緒なんですね』とおっしゃっていましたが、戦前の経済的には豊かでない村に生まれて、16歳で浪曲家として初舞台を踏み、20歳で満州の激戦地に送られ、敗戦後、捕虜となってシベリアに抑留されること4年間。帰国後、高度成長期に歌謡歌手として歩み始めましたが、その心には、常に戦地やシベリアから帰ってこられなかった仲間たちの分まで、という思いがありました。日本に帰ることができた自分は力いっぱい生きなければいけないという思いとともに、シベリアのラーゲリ(収容所)で浪曲や歌を披露することで仲間たちに喜ばれたことを土台に、芸を持って日本や日本人の役に立ちたいと、さらには、シベリアの過酷な状況の中でも一生懸命働いていた日本人の素晴らしい精神や美徳を、歌を通して伝えていきたいと、それが三波の根底にあった思いでした」
戦後初、日本が世界に復興をアピールする大イベントとなった64年の東京五輪、70年の日本万国博覧会で、前者は6社競作の「東京五輪音頭」が、後者は8社競作の「世界の国からこんにちは」が発売されたが、どちらも三波盤がダントツのヒットを記録した。それも三波の生き様からくる日本への思いを聞けば十分うなずける。
三波といえば、笑顔がトレードマークだったが、「DISC4枚を通して、一貫して三波春夫は笑顔だったんだな、ということも感じていただけると思います」と美夕紀氏。貴重な映像で綴られた昭和の大歌手の軌跡は、歌の素晴らしさはもちろん、三波春夫が生涯を通じて追及し続けた、歌藝の世界を後世に伝えるための記念碑的作品と言えるだろう。
文・河上いつ子
<リリース情報>
『決定版 三波春夫映像集』
DVD BOX(4枚組)
TEBS-22123/価格22,000円(税込)
【DISC1】 決定版 三波春夫映像集1 【NHK紅白歌合戦】
【DISC2】 決定版 三波春夫映像集2 【NHK厳選映像】
【DISC3】 決定版 三波春夫映像集3 【歌謡生活20周年記念リサイタル】
昭和51年(1976年)10月 於・荒川区民会館
(文化庁 昭和51年度芸術祭優秀賞 受賞公演)
【DISC4】 決定版 三波春夫映像集4 【「芸能生活55周年記念リサイタル」】
平成6年(1994年)8月 於・東京 歌舞伎座
商品情報:https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/minami/discography/TEBS-22123.html
■NHKに残る貴重な資料が綴る 昭和の国民的歌手の足跡
三波春夫生誕100年記念として制作された映像集『決定版 三波春夫映像集』。その一番の見どころは、何と言ってもDISC1に収められた『NHK紅白歌合戦』の出演映像の数々だろう。デビュー翌年の1958年から、76歳で最後の出演となった99年まで、合計31回の出演を果たしているが、本作では、63年からの22回分が時系列に収録されている。放送用ビデオテープが高価だったテレビ草創期、“アーカイブ”という考え方が浸透していなかったこともあり、番組の多くは保存されていなかった。そういった中で、“国民的歌手”と謳われた三波の足跡を一気に振り返ることができるのは、奇跡的と言ってもいい。いや公共放送を担うNHKだからこそ、とでも言うべきか。
残念ながら初出場の58年から62年までの5回分と68年は映像の状態が悪かったこともあり、出演シーンの音声が特典として収録されているが、それでも、司会者の前振りや、衣装やセットを含めたステージ、ちらっとカメラに映る共演ゲストの顔ぶれ、そして観客の様子など、『紅白』の歴史や当時の雰囲気を知る上で貴重な映像となっている。
企画制作に携わった三波クリエイツの三波美夕紀氏は、「ワンコーラスごとに客席から沸き起こる拍手など、音声だけでも当時の熱気を再体験していただくことができます」とその史料的価値を高く評価する。
「NHKさんが所有する、貴重で見ごたえのあるアーカイブをいつかまとめてお届けしたい」と考えていた美夕紀氏の思いはDISC2にも詰まっている。『ビッグショー』や『思い出のメロディー』『歌謡コンサート』など、76年から2000年までのNHK番組での三波の歌唱映像を厳選して収録されている。なかでも最大の見どころは、様々な年代、いろいろなシチュエーションで披露されている長編歌謡浪曲「元禄名槍譜 俵星玄蕃」だ。
浪曲の節やセリフ回し(啖呵)、ドラマ性を歌謡曲に融合させた長編歌謡浪曲は、浪曲師として芸の道をスタートした三波が確立した新ジャンル。その代表作である「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は、山下達郎も絶賛し、自身のラジオ番組でも放送。また、今の演歌・歌謡界のホープたちが、歌い継ぎたいと熱望する不朽の名曲で、美夕紀氏のもとには、その歌唱指導や所作指導の依頼が多く寄せられている。
「皆さん、番組や公演で披露するとお客様にとても喜ばれるとおっしゃっていて、大変嬉しく思っています。浪曲は口伝の芸で譜面がありません。それに加えて、歌、語り、セリフのある構成は、喉に大変負担がかかり、相当な体力も必要です。ですから、皆さんご苦心されていますが、山内惠介さんは『長編歌謡浪曲によって本物の声が出るようになりました。自分が大きな歌手になるためには通らなければいけないものだとも思いました』とおっしゃってくださいました」(三波美夕紀氏/以下同)
三波のキャッチフレーズとして有名になった「お客様は神様です」も、実はその大変さゆえのプロの心持ちを表した言葉だったという。
「セリフ入り歌謡曲も長編歌謡浪曲も、何人もの登場人物になり切って演じ、歌い、語るので、常に集中しなければなりません。そのため、三波は『神前に立って祈るときと同じ気持ちで、常に澄み切った心で雑念を打ち払って、心を昇華しなければ完璧な歌は歌えない』と言っていました。『だから私はお客様を神様とみて歌う』と。いつの間にか、カスタマーハラスメントの言葉として使われるようになっていますが、この言葉の真意はまったく違うものなのです」
■新しいことにも挑戦し続けた歌藝へのこだわり
三波は、歌い手としてだけでなくプロデューサーとしても先駆者であった。例えば、デビュー当時の男性歌手はスーツを着て歌うことが不文律となっていたが、「自分の芸を活かすには和服の所作が必要だから」と男性和服歌手第1号となったこと、現在では演歌歌手にとってステータスの1つとなっている芝居と歌謡ショーの2本立ての大劇場での座長公演を歌手として初めて実現したこと、など多岐にわたる。その根底にあったのは「もっと工夫を」「もっと新しい芸を」という、歌に対するどん欲な姿勢だ。それを垣間見ることができるのが、DISC3に収録された、76年に荒川区民会館で開催された『歌謡生活20周年記念リサイタル』である。
「『宇宙戦艦ヤマト』で知られる宮川泰先生が、オーケストラを使って音を厚くしてくださり、50代の三波のエネルギッシュな歌声とともに大変聴きごたえのあるステージになっています。オーケストラを並べたことで三波が動けるのはA4サイズ程度のスペースしかなくなってしまって…。そこも見どころです(笑)」
ちなみに、デビュー4年目から毎年1月は名古屋・御園座、3月は大阪・新歌舞伎座、8月は東京・歌舞伎座と、定例月に公演を行っていた三波にとって、同公演は初のリサイタルであった。会場が荒川区民会館になったのは、急な依頼で大きな会場が抑えられなかったことに加え、結婚して夫人と二人三脚で三波節を作り上げる出発点となった“第二の故郷”という理由もあった。20周年を祝い、次なるステップに踏み出すにふさわしい場と考えたのだろう。
DISC4には、94年に東京・歌舞伎座で行った『芸能生活55周年記念リサイタル』を収録。会場となった東京・歌舞伎座は、三波が61年以来、20年間連続で1ヶ月間の座長公演を務めた場所。歌舞伎の殿堂で歌手が一枚看板で例年の公演を実施したのは、後にも先にも三波春夫1人きりだという。
リサイタルでは、70代となり円熟味を増した三波が歌うヒット曲の数々に加え、構想10年、執筆6年で完成させた『歌絵巻 平家物語』などを披露。「日本人がどうやって国の形を作ってきたか、日本人の魂を思い起こしてほしい」という思いから取り組んだ作品だが、音作りは革新的なものだった。92年、69歳の時にハウスミュージックにアレンジされた「東京五輪音頭」や「世界の国からこんにちは」「おまんた囃子」をリリースして世間をあっと言わせ、ライブハウスやディスコにも出演して話題となったが、その活動を通じて知り合った若いミュージシャンたちも参加している。
■根底にあるのは日本の素晴らしさ、日本人の美徳を伝えたいという思い
本作が完成し、「ディスク4枚に三波春夫の生涯が詰まっているという思いがしました」と語る美夕紀氏。その歌藝を究め続けてきた生涯のテーマとなっていたのが、「日本と日本人」であること。
「永六輔さんが、『三波春夫さんの人生って日本の歴史の歩み方と一緒なんですね』とおっしゃっていましたが、戦前の経済的には豊かでない村に生まれて、16歳で浪曲家として初舞台を踏み、20歳で満州の激戦地に送られ、敗戦後、捕虜となってシベリアに抑留されること4年間。帰国後、高度成長期に歌謡歌手として歩み始めましたが、その心には、常に戦地やシベリアから帰ってこられなかった仲間たちの分まで、という思いがありました。日本に帰ることができた自分は力いっぱい生きなければいけないという思いとともに、シベリアのラーゲリ(収容所)で浪曲や歌を披露することで仲間たちに喜ばれたことを土台に、芸を持って日本や日本人の役に立ちたいと、さらには、シベリアの過酷な状況の中でも一生懸命働いていた日本人の素晴らしい精神や美徳を、歌を通して伝えていきたいと、それが三波の根底にあった思いでした」
戦後初、日本が世界に復興をアピールする大イベントとなった64年の東京五輪、70年の日本万国博覧会で、前者は6社競作の「東京五輪音頭」が、後者は8社競作の「世界の国からこんにちは」が発売されたが、どちらも三波盤がダントツのヒットを記録した。それも三波の生き様からくる日本への思いを聞けば十分うなずける。
三波といえば、笑顔がトレードマークだったが、「DISC4枚を通して、一貫して三波春夫は笑顔だったんだな、ということも感じていただけると思います」と美夕紀氏。貴重な映像で綴られた昭和の大歌手の軌跡は、歌の素晴らしさはもちろん、三波春夫が生涯を通じて追及し続けた、歌藝の世界を後世に伝えるための記念碑的作品と言えるだろう。
文・河上いつ子
<リリース情報>
『決定版 三波春夫映像集』
DVD BOX(4枚組)
TEBS-22123/価格22,000円(税込)
【DISC1】 決定版 三波春夫映像集1 【NHK紅白歌合戦】
【DISC2】 決定版 三波春夫映像集2 【NHK厳選映像】
【DISC3】 決定版 三波春夫映像集3 【歌謡生活20周年記念リサイタル】
昭和51年(1976年)10月 於・荒川区民会館
(文化庁 昭和51年度芸術祭優秀賞 受賞公演)
【DISC4】 決定版 三波春夫映像集4 【「芸能生活55周年記念リサイタル」】
平成6年(1994年)8月 於・東京 歌舞伎座
商品情報:https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/minami/discography/TEBS-22123.html
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2023/07/21