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横浜銀蝿ギター・Johnnyこと浅沼正人氏、ベルウッド・レコード社長辞任 リーダー嵐さんの“遺言”胸にバンド活動に専念

 ロックバンド・横浜銀蝿の結成メンバーで、ベルウッド・レコードの代表取締役社長でもあるJohnny(ジョニー)こと浅沼正人氏(65)が、18日に行われた同社の株主総会で社長を辞任し、バンド活動に専念することが発表された。横浜銀蝿のマネジメント業務は引き続き、ベルウッド・レコードが行う。

横浜銀蝿に復帰するJohnny(Gt)

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 Johnnyは1979年のバンド結成メンバーでギター担当。1981年には「ジェームス・ディーンのように」でソロデビューし、2ndシングル「$百萬BABY」はオリコン週間ランキング1位を獲得するほどの人気を博した。83年にバンドが解散し、その後はキングレコードに入社。AKB48のヒットにかかわるなどしていた。2013年からは同社との兼務でベルウッド・レコード社長に就任。2019年9月、横浜銀蝿結成40周年記念で限定復帰したが、2年間で活動を終了し、社長業に戻っていた。

 今回の決断は、昨年7月にリーダーの嵐(らん)ヨシユキさんを亡くしたことがきっかけだったという。「昨年67歳の若さで逝去した、T.C.R.横浜銀蝿R.S.リーダー嵐さんの最後のステージとなった2022年4月17日ランドマークホールで、一人では立ち上がる事が出来なかった嵐さんを俺が車椅子を押してステージまで連れていきました。ステージ袖で出番を待っている時、嵐さんから突然『なあJohnny。横浜銀蝿はお前がいなけりゃダメなんだよ。ずっと一緒にやろうよ』と言われました」と振り返る。

 「その時は、その後お亡くなりになるとは思っていませんでしたし、2年間期間限定での『横浜銀蝿40th』の活動が終わったばかりでしたので、また、45周年、50周年、機会があったらやりましょうよ、と話をそらしました。嵐さんは、その後さらに体調を悪くし入院、7月5日に永眠されました。コロナの影響もあり、入院中お見舞いにも行けず、最後の会話はステージ袖での『Johnny。横浜銀蝿はお前がいなけりゃダメなんだよ』この言葉は嵐さんからの遺言だと思っています」と経緯を説明した。

 横浜銀蝿40周年の活動と社長業を2年間並行したJohnnyは「代表取締役の仕事とアーティスト活動の両立の大変さ、また会社のスタッフに迷惑を掛けたことを考えると、嵐さんからの遺言をすぐに答えることはできませんでした。少し時間が経ちましたが関係各所と調整をし、5月18日の株主総会において代表取締役を辞任し、晴れて嵐さんからの遺言に答える事が出来ました」とし、「今後は二束の草鞋の一足を脱ぎ、T.C.R.横浜銀蝿R.S.の活動に専念いたします」とのコメントを寄せた。

 横浜銀蝿は今後、(Vo/Gt)、TAKU(Vo/Ba)、Johnnyの3人体制で活動する。

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  1. 1. 横浜銀蝿ギター・Johnnyこと浅沼正人氏、ベルウッド・レコード社長辞任 リーダー嵐さんの“遺言”胸にバンド活動に専念
  2. 2. 横浜銀蝿のギターJohnny完全復活 リーダー・嵐さんの言葉に決意「最後まで熱く生きたい」 アルバム10月発売

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  • T.C.R.横浜銀蝿R.S.(左から)TAKU、翔、Johnny

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