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念願のステージに復帰した岡村孝子「もう一度ファンの前で歌いたいという思いが私を支えた」

 ソロデビュー35周年を記念した2枚のベストセレクションアルバム『T's BEST season 1』『T's BEST season 2』を今年9月に発売した、シンガー・ソングライターの岡村孝子。リリース前日の9月7日には『35周年記念&復帰コンサート2021“Hello Again!”』を開催。闘病を経て久々にファンの前に立ち、身震いするほどの喜びを味わったという。「作品はコンサートで歌って完結する」を信条とし、コンスタントにライブ活動を行ってきた岡村にとって感激もひとしおだったことは、想像に難くない。完全復活した彼女に、“あみん”時代を含む約39年にわたる音楽活動と、これからについて聞いた。

『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』(東京・LINECUBE SHIBUYA)

『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』(東京・LINECUBE SHIBUYA)

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■”あみん”の活動はわずか1年半 いきなりのブレイクと学業の両立に戸惑う日々

 中島みゆき長渕剛佐野元春ら数多くのアーティストを発掘した音楽コンテスト『ヤマハポピュラーソングコンテスト(以下、ポプコン)』。82年に開催された第23回大会の門を軽い気持ちで叩いた”あみん”の2人だったが、「待つわ」がグランプリを獲得したことで日常が一変した。同年7月にメジャーリリースされた同曲は瞬く間に大ヒット、「オリコン1982年度年間1位」となり、大みそかの『NHK紅白歌合戦』に初出場した。これだけでも当時の熱狂がうかがえるというものだ。まずは喧騒に包まれた当時を振り返ってもらった。

「漠然と“多くの人に自分の音楽を聴いてもらいたい”という気持ちはありましたが、一夜にして景色が変わってしまったので『私たち、このスピードでどこへ行ってしまうんだろう?』という怖さが常にありました」

 “あみん”がデビューした80年代前半、日本は空前の「女子大生ブーム」に沸いていた。大学生として学業と音楽活動の両立を行っていた2人にもまた、世間からの熱い視線が注がれた。地元・名古屋の大学で授業を受けたその足で東京に向かい、『ザ・ベストテン』や『歌のトップテン』など生放送の音楽番組に出演。終わると急いで名古屋に戻り、翌日には大学で授業を受けるという多忙な日々を送っていた。

「学業と音楽の両立はとても難しかったです。大学の授業とラジオやテレビ収録の合間を縫ってキャンペーンやレコーディングをやっている状態で。レコーディングスタジオに入ると、キーやテンポまで決まった仮歌ができていて…。『想像していた音楽活動と何か違う』という違和感が2人の中にありました」

 その後、1年半の活動を経て“あみん”は活動を休止する。メンバーの加藤晴子は大学に戻り学業に専念。岡村はソロアーティストとして活動することになる。

「ハコ(加藤晴子)は、学校に戻って卒業して就職をしたいという気持ちを持っていました。デビューする時は、私の『プロになりたい』をいう気持ちを尊重してもらったので、休止する時はハコの気持ちを尊重するべきかなと。気が付いたら活動が終わってしまっていたという感じでした」

 休止後も友人として交流を続けていた2人は、岡村が”あみん”としてデビューしてから20年目を迎えた02年に、記念シングル「天晴な青空」で再び美しいハーモニーを響かせる。ただ、そこに至るまでには相応の時間が必要だったようだ。

「私たちの間では長年、音楽の話はしないという暗黙の了解がありました。でも、私がデビュー20周年を迎えるにあたり、記念に何かしたいことはないかとスタッフに聞かれ、ハコにハモってもらいたいと思ったんです。ある時、いつものように長電話していて、切る間際に『もう1回ハモってもらえない?』って尋ねたんです。そうしたら、『うん、いいよ』って。私たちが再びハモるまでには、そのくらいの時間が必要だったのかもしれません」

 それから数年後、07年には24年ぶりに2人は“あみん”として音楽活動を再開。シングル「ひまわり」、アルバム『In the prime』を発表後にはコンサートツアーも敢行。岡村曰く“大人のクラブ活動”として、デビュー当時には経験できなかった音楽を作る楽しさを一緒に味わっていく。

「ハコには作品を作る楽しさを味わってもらいたかったんです。私にとっては当たり前になってしまった作品作りのプロセスの1つひとつを彼女は驚いたり楽しんだりしていました。いろんなことを一気に吸収したので大変だったとは思いますが、二十歳の頃にはできなかった喜びを感じてくれたんじゃないかな。アルバムのジャケット撮影のために一緒にオーストラリアへ行ったのですが、私にとってとても楽しい時間でした」

 “あみん”活動再開は、多くのファンに好感をもって受け止められ、同年には再び『NHK紅白歌合戦』に出場する。ある音楽評論家は2人の活動再開を次のように評したという。

「“わずか1年半でパッと活動を止めたことで、イメージが瞬間冷凍された。だから、活動再開をしても変わらぬイメージのまま受け入れられた。それが良かったと思う”というようなことを言われまして。実際には私たちも歳をとっているわけですが、そのように評価していただけたことが印象に残っています」

 2人は再始動の翌々年の09年から18年まで「岡村孝子/あみん“宝くじまちの音楽会”」を開催。デビュー当時と変わらぬ姿と歌声をファンの人に届けた。

『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』(東京・LINECUBE SHIBUYA)

『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』(東京・LINECUBE SHIBUYA)

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■代表曲「夢をあきらめないで」は不甲斐ない自分を鼓舞するための歌だった

 あみんとしての活動終了後、岡村は85年に「風は海から」でソロデビュー。所属したのは、当時新興レーベルとして注目を集めていた『ファンハウス』だった。

「若いスタッフが多く、女性もたくさん活躍しているようなレーベルでした。3作目のアルバム『liberte』(87年)は、私が将来について思い悩んでいた時期に作ったもので、その気持ちをストレートに書いたため暗い曲が多くて(苦笑)。男性スタッフは『こんな暗いアルバムを出して大丈夫なのか?』と心配したみたいです。でも、女性スタッフからは『すごく分かる!』と共感してもらえて、悩んでいるのは私だけじゃないんだなと、心強く感じたことを覚えています」

 今では頑張る人への応援歌として定番の「夢をあきらめないで」も、当時は全く違う意味が込められていたという。

「この曲は、失恋をして落ち込んで不甲斐ない自分にムチ打つつもりで書いたんです。それが時を経て応援歌として聴かれるようになって、不思議な感じがしました。でも、そういう受け止め方もあるんだなと思えるようになってからは、自分も“応援歌”として歌わせてもらっています」

 80年代から90年代にかけては、毎年のように新作をリリース。それと並行するようにほぼ毎年ライブ活動を続けた。そのパワーの源泉はどこにあったのだろうか。

「曲を書いて、ライブでみなさんと時間を共有して曲が完結するんです。私のリスナーさん(ファン)は、デビューした時から人生の旅を一緒に続けているような感じで。いい時も悪い時も一緒に寄り添って歩いている気がします。23歳から30歳くらいまでは毎年アルバムを作ってツアーしての繰り返し。多い時には年3回くらいツアーをやったこともありました。何であんなに突っ走ったのかな…」

 ソロ活動を始めてからテレビ露出が減った理由は「楽曲制作とコンサートがライフワークになって時間が無かったから」と笑う。

■闘病経て『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』へ ステージに勝るものはない

 19年、6年ぶりのアルバム『fierte』の発売を控えていた岡村は、予期せぬ不幸に見舞われる。急性白血病を診断され、治療のため長期休養を余儀なくされたのだ。不安を抱えての闘病生活を支えたのは、家族とファンの存在、そしてもう一度ステージで歌いたいという強い思いだった。

「世の中や社会から取り残されたような気持ちになり、落ち込むことも多かったのですが、ファンの皆さんから届く千羽鶴やメッセージに励まされて、もう一度ステージに立ちたい!という気持ちが強くなっていきました。19年に発売したアルバム『fierte』の収録曲をライブで歌えていなかったので、自分の中では不完全燃焼のまま。絶対に完結させるという気持ちで病気と闘いましたね」

ベストセレクションアルバム『T's BEST season 1』

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 5ヶ月後には無事退院。それから約2年を経た今年9月7日には、待望の『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』(東京・LINECUBE SHIBUYA)開催にこぎつける。多くの観客を前に「戻るべき場所へ帰ってこられた」と、最高の笑顔と歌声でファンの声援に応えた。

「コロナ禍ということもあり、観客が会場の半分くらいしか埋まっていないのではないかと覚悟していたのですが、幕が開いたら3階席までびっしり。リスナーさんの『みんなでコンサートを成功させよう』という気持ちが拍手や手拍子からヒシヒシと伝わってきて身震いしました。目が合うと泣いてしまうから、最初のうちはなるべく合わせないようにして(笑)。リハーサルで大泣きしたので、本番は穏やかな優しい気持ちで歌うことができました」

 以前と変わらぬステージを見て、ファンも安心した様子だったという。病気になって、何より怖かったのは歌が歌えなくなること、そう語る岡村は目を輝かせて今後の夢を語ってくれた。

「YouTubeやライブ配信など便利なツールが増えていますが、生のステージに勝るものはないと、今回のライブで改めて実感しましたし、私にとって、新たな幕が開いたような感じがしています。こういう病気なので1日1日を大事にしながら、応援してくれるリスナーさんと同じ空間、そして同じ時間を一緒に過ごし、時間を重ねていければいいなと思っています」

文・地原緑

ベストセレクションアルバム『T's BEST season 2』

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■岡村孝子プロフィール
1982年、 ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に“あみん”として出場。「待つわ」でグランプリを受賞しデビュー。同曲は82年のオリコン年間売上1位となるヒットを記録。 85年、シングル「風は海から」、アルバム『夢の樹』で岡村孝子としてソロデビュー。87年のシングル「夢をあきらめないで」が大ヒット、 今では中学校の音楽教科書にも採用されている。 その後も楽曲制作、 コンサート活動等精力的に活動を続けるも19年、オリジナルアルバム発売の前に急性白血病の診断を受け休養、9月に退院し活動を再開。21年にソロデビュー35周年も迎え、9月8日には2つのベストセレクションアルバム『T's BEST season 1』(ソニー・ミュージックダイレクト)、『〜2』(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)を発売。ファンからのリクエストをもとに岡村本人が選曲した内容となっている。9月7日には『岡村孝子ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート2021 WHello Again!”』を東京・LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で開催した。

■ベストセレクションアルバム『T's BEST season 1』21年9月8日発売(写真左)
発売元:ソニー・ミュージックダイレクト

■ベストセレクションアルバム『T's BEST season 2』21年9月8日発売(写真右)
発売元:ヤマハミュージックコミュニケーションズ

・初回生産限定盤(CD 2枚+Blu-ray 1枚): 5500円
・通常盤(2 CD):3850円

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  • 『ソロデビュー35周年記念&復帰コンサート』(東京・LINECUBE SHIBUYA)
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  • ベストセレクションアルバム『T's BEST season 1』
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