カラオケの世界大会王者でもある歌手・海蔵亮太が、昨年6 月27 日に発売したメジャーデビューシングル「愛のカタチ」が話題になっている。認知症を発症しても夫の名前を生涯忘れなかったという実話を基に描かれ、“究極の家族愛”を歌ったこの曲。発売から1 年以上経過した今も多くの人々の心を打ち、息の長いセールスとなっている。その背景には、この曲が持つパワーと、歌う海蔵の熱い想いがある。
◆カラオケの世界大会でも歌唱し、審査員が好反応
「毎週イベントなどで歌っているんですけど、遠方からたくさんの方が来てくださっていると聞いて、多くの人にこの曲を聴いてもらえていると実感しています」(海蔵亮太、以下同)
海蔵がこの楽曲に出合ったのは、2016年にカラオケの世界大会『KWC(Karaoke World Championships)』に出場したとき。どんな曲を歌おうか選曲している際、知人に薦められたのが、シンガー・ソングライターの中村つよしが07年に発表したこの曲だった。
「初めて聴いたとき、日本語が美しい曲だなという印象でした。僕自身おじいちゃん、おばあちゃんっ子だったので、『自分に合うかも』と思って選びました。実際に大会で歌った時も、特に海外の審査員の方の反応がすごく良くて、この曲のおかげで“海蔵亮太”を認識していただきましたし、すごく良い流れになりました(=『KWC』2 連覇)。デビューする際も、普通はオリジナル曲を歌うと思うんですけど、縁をすごく感じたのでこの曲にさせていただきました」
◆ファンとの交流で曲の解釈も深まる「表現の幅が広がって、パワーアップしている」
深い愛情を歌った同曲を、自分の歌声を通してどのように伝えるのか。歌い始めの頃は苦労もあったようだ。
「どう歌えば歌詞の内容をより深く伝えられるかとか、息継ぎのタイミングとかテクニカルなことまで細かく深く考えすぎて、頭の中が複雑になっていました」
そんな海蔵の考え方が変わるきっかけとなったのが、イベントやライブで出会った人たちとの交流だった。
「イベント会場では、『私はこのフレーズをこう解釈しました』など、この曲についていろんなお話をいただきます。皆さんと話していると気づかされることが多く、この曲への解釈を深めていける。自分の表現の幅がどんどん広がっていって、曲がパワーアップしているような気がするんです。聴いてくださる方々の意見を僕がいただいて、それを表現という形で皆さんに還元している感じです」
その変化は、ライブという目に見える形でも表れている。
「実は僕、イベントやライブで毎回同じように歌えないんです。同じ『愛のカタチ』なんですけど、その日その日で変わってしまう。自分のなかでは全然変えているつもりはなく、いつも同じように歌っているんですけど。でもそれって、聴いてくださる皆さんの思いが自分の歌に重なっているから変化しているんじゃないかと思っています。お客さんにはよく『それが楽しみでいろんなところのイベントに行っています』と言われます(笑)」
◆いろんな人に愛されて、いろんな人に歌ってほしい
さまざまな人の思いを背負った海蔵の「愛のカタチ」が、人々の心に届き、その輪が広がっている理由はこれだけではない。現在、自身のライブやイベント以外に、介護施設や病院で慰問コンサートを開催。多くの人々にこの曲を届けている。
「僕のおじいちゃんは今年、83歳で亡くなったんですけど、生前認知症を患い、施設に入ったんです。その時に介護施設には音楽が流れていないとすごく感じたんですね。僕は歌手として活動して、音楽を通じてたくさんの人とつながりができて、音楽のすばらしさを改めて感じていた時だったんです。だから、音楽のない環境にすごく違和感を覚えて。僕のエゴかもしれませんが、『もしかしたら音楽を必要としている場所なのかもしれない』と思って、施設や病院で歌い始めました。「愛のカタチ」は今、おかげさまで多くの人に聴い
ていただいていますが、この先どんな広がり方をしていくのか、ワクワクしますね。理想としては、いろんな人に愛されていろんな人に歌ってほしい。そのためには、僕自身もいろんな経験、チャレンジをしながら今後もこの曲は大事に歌っていきたいと思います」
◆カラオケの世界大会でも歌唱し、審査員が好反応
「毎週イベントなどで歌っているんですけど、遠方からたくさんの方が来てくださっていると聞いて、多くの人にこの曲を聴いてもらえていると実感しています」(海蔵亮太、以下同)
海蔵がこの楽曲に出合ったのは、2016年にカラオケの世界大会『KWC(Karaoke World Championships)』に出場したとき。どんな曲を歌おうか選曲している際、知人に薦められたのが、シンガー・ソングライターの中村つよしが07年に発表したこの曲だった。
「初めて聴いたとき、日本語が美しい曲だなという印象でした。僕自身おじいちゃん、おばあちゃんっ子だったので、『自分に合うかも』と思って選びました。実際に大会で歌った時も、特に海外の審査員の方の反応がすごく良くて、この曲のおかげで“海蔵亮太”を認識していただきましたし、すごく良い流れになりました(=『KWC』2 連覇)。デビューする際も、普通はオリジナル曲を歌うと思うんですけど、縁をすごく感じたのでこの曲にさせていただきました」
◆ファンとの交流で曲の解釈も深まる「表現の幅が広がって、パワーアップしている」
深い愛情を歌った同曲を、自分の歌声を通してどのように伝えるのか。歌い始めの頃は苦労もあったようだ。
「どう歌えば歌詞の内容をより深く伝えられるかとか、息継ぎのタイミングとかテクニカルなことまで細かく深く考えすぎて、頭の中が複雑になっていました」
そんな海蔵の考え方が変わるきっかけとなったのが、イベントやライブで出会った人たちとの交流だった。
「イベント会場では、『私はこのフレーズをこう解釈しました』など、この曲についていろんなお話をいただきます。皆さんと話していると気づかされることが多く、この曲への解釈を深めていける。自分の表現の幅がどんどん広がっていって、曲がパワーアップしているような気がするんです。聴いてくださる方々の意見を僕がいただいて、それを表現という形で皆さんに還元している感じです」
その変化は、ライブという目に見える形でも表れている。
「実は僕、イベントやライブで毎回同じように歌えないんです。同じ『愛のカタチ』なんですけど、その日その日で変わってしまう。自分のなかでは全然変えているつもりはなく、いつも同じように歌っているんですけど。でもそれって、聴いてくださる皆さんの思いが自分の歌に重なっているから変化しているんじゃないかと思っています。お客さんにはよく『それが楽しみでいろんなところのイベントに行っています』と言われます(笑)」
◆いろんな人に愛されて、いろんな人に歌ってほしい
さまざまな人の思いを背負った海蔵の「愛のカタチ」が、人々の心に届き、その輪が広がっている理由はこれだけではない。現在、自身のライブやイベント以外に、介護施設や病院で慰問コンサートを開催。多くの人々にこの曲を届けている。
「僕のおじいちゃんは今年、83歳で亡くなったんですけど、生前認知症を患い、施設に入ったんです。その時に介護施設には音楽が流れていないとすごく感じたんですね。僕は歌手として活動して、音楽を通じてたくさんの人とつながりができて、音楽のすばらしさを改めて感じていた時だったんです。だから、音楽のない環境にすごく違和感を覚えて。僕のエゴかもしれませんが、『もしかしたら音楽を必要としている場所なのかもしれない』と思って、施設や病院で歌い始めました。「愛のカタチ」は今、おかげさまで多くの人に聴い
ていただいていますが、この先どんな広がり方をしていくのか、ワクワクしますね。理想としては、いろんな人に愛されていろんな人に歌ってほしい。そのためには、僕自身もいろんな経験、チャレンジをしながら今後もこの曲は大事に歌っていきたいと思います」
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2019/10/20