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“モデル出身歌手”の先駆者・木村カエラが語る、継続することの大切さ

 2014年6月から2015年6月まで、10周年イヤーとして精力的な活動を行っている木村カエラが、12月17日に約2年ぶりとなるニューアルバム『MIETA』を発売した。オリジナルアルバムとしては、昨年6月に立ち上げたプライベートレーベル「ELA」第1弾となる作品で、今後の音楽の方向性を示す重要な1枚だ。ORICON STYLEでは、そんな木村にインタビューを実施。人気モデルから歌手へ“転身”した10年前の昂揚感、「モデル出身」として見られることの足かせ、そして迷いから救い出してくれた恩人の言葉──独自のスタイルを貫くことを諦めなかった10年を振り返ってもらった。

12月17日にニューアルバム『MIETA』を発売した木村カエラ

12月17日にニューアルバム『MIETA』を発売した木村カエラ

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■10周年企画を通して「ミエタ」もの

──ニューアルバムの『MIETA』という、ちょっと不思議でユニークなタイトルの意味が気になります。10周年を直前に控えて、何かが「見えた」ということなのでしょうか?
【木村カエラ】 今年6月から10周年企画が始まって、いろんな企画を行ってきたんですが、その間に「見えた」ものがたくさんあったんです。ひとつは、10月に横浜アリーナで2DAYSの10周年ライブをやらせてもらったことなんですが、ライブの準備期間にプレッシャーで押しつぶされそうになった時期があったんです。それでも、バンドメンバーやスタッフの方たちに助けられて持ち直すことができて。「これは私だけの10年じゃない。一緒にやってきたみんなの10年なんだ」って気付いた瞬間、「あ、見えた」という感覚があったんですね、自分ひとりで背負おうとしていたものがパッと晴れて。

──そんなポジティブな気持ちが、「MIETA」という言葉に詰まっていると。
【木村】 はい。その「見えた」感覚って当初アルバムタイトルとして考えていた「CLEAR」という言葉でも表すこともできたんですけど、「MIETA」のほうが確実にもっと力強くてポジティブで、人を勇気づけることができるんじゃないかと思ったんですね。10周年ライブを成功させたことで「見えた」こと、それも自分の中で大きなパワーになりました。1日目がロック、2日目がポップな選曲でセットリストを組んだんですが、10年でこんなにも両極端な世界観を、それも1つ1つのステージを成立させられるだけやってきたことがすごく自分の中で自信になって。「私、ヤバいじゃん! キテるじゃん!」って勝手に盛り上がったりして(笑)。と同時に、この先にやるべきことも「見えた」んです。これからは今まで以上にもっと、自分の世界観を突き詰めていこうと。

■まずは10年続けることで認めてもらおうと思った

──10周年の節目ということで、デビュー当時を振り返っていただきたいのですが、モデルからアーティストの世界に飛び込むときに、不安などはなかったですか?
【木村】 いえ、ぜんぜんなかったですね。むしろ「よっし!」って感じでした。もともと小さい頃から歌を歌うのが夢で、スカウトしていただいてモデルをやろうと決めたのも、少しでも音楽に近づきたかったからなんです。ただ客観的に見て、「モデルの子が、大人に歌わされてる」というふうに見えてしまうのでは──という恐さはありました。私はずっと歌うことが目的で、そのために歌詞も書いてたし、バンド活動もしていた。だけど、世間の人はそんなこと知らないわけで。どうやったらそのイメージを払拭できるかと考えたときに、どんなに大変だろうが、歌詞でも表現の仕方でも自分自身の世界観を自分自身で確立して発信することだと。そしてそれを10年続けることができれば、ようやく歌手だと認めてもらえるんじゃないかと思ったんです。

──いよいよその10年目を迎えたわけですね。
【木村】 デビュー曲の「Level42」という曲で、「10年後の自分を見つめて」と英語で歌ってるんです。そういう意識を持って走り出そうという決意の曲でもありました。

──自分の世界が確立できた、と実感したタイミングはいつ頃でしたか?
【木村】 一番最初は、3rdシングルの「リルラ リルハ」(2005年)ですね。小さい頃から変な言葉を作って遊ぶのが好きで、そういう自分の一面を曲として打ち出したいという思いがあったんです。ただ、それが世間に受け入れられるかどうか不安もあって。でもやっぱり自分に嘘はつきたくなくて、賭けではあるけど思い切って出したら、運良くCMに起用していただいて、たくさんの人に私を知ってもらうきっかけにもなった。あのときに、ああ、自分を曲げなくて良かった。やっぱり「私はこういう人」という世界観を続けていくことが大切なんだと思った、最初のきっかけでした。

■希望、勇気をもらった加藤和彦さんからの言葉

──ところでカエラさんは、コラボレーションやプロデュースなどでたくさんのアーティストと交流されてきましたが、“恩人”はいらっしゃいますか。
【木村】 一人だけ挙げるとしたら、サディスティック・ミカ・バンドのボーカルとして誘って下さった加藤和彦さんです。デビューから3年目のことだったんですけど、当時かなり奇抜な髪型や格好をしていたせいか、けっこういろんなことを言われていて……。そういう格好をするのも真面目に自分の世界を追求してのことだったんですけど、あまりにもいろんなことを言われて、「これでいいのかな」と迷ってた時期だったんです。そんなときに加藤さんが「今、ミカバンドで歌えるのはカエラしかいない」とおっしゃってくれたんですよ。

──それはもう、女性シンガーとしては最大の賛辞ですね。
【木村】 本当に。しかも「カエラは正しい日本語で自分の歌を歌ってる」っておっしゃってくれたんです。「リルラ リルハ」とか歌ってる私がなんで!? って思いましたけど、その言葉が自分の中ですごく大きな希望になって。迷いもすべて晴れて、やっぱり自分がやってることは間違いじゃない。自分に嘘のない活動を続けていこうという勇気をいただけました。

──“加藤和彦が認めたシンガー”として、世間からの見方も変わったのでは?
【木村】 それは確実にあったと思います。50代、60代の方にも興味を持ってもらえるきっかけにもなりましたしね。でも何より、日本にロックという表現を持ってきた人たちと一緒に音楽を作る機会をいただけたことはとても大きくて。活動初期にそういう大切な時間をいただけたことに、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

(文/児玉澄子)

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