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Kiroroの20年振り返る「ずっと歌い継がれていく曲を歌っていきたい」

 ディズニー新作映画『アーロと少年』の日本版エンドソングに、Kiroroの不朽の名曲「Best Frined」が起用された。3月9日には、同曲の新録音源も収録されたベストアルバム『子供といっしょにききたいキロロのうた』を、7年ぶりの作品として発売。ともに3人の子どもを持ち、現在は沖縄を拠点に、子どもたちの成長に合わせてゆったりとしたペースで活動している2人に、Kiroroとしての20年、現在の活動スタンス、子どもたちの存在がKiroroに与える好影響など、様々な話を聞いた。

アーロたちが成長していく姿を子どもと重ねて見ています(金城)

──Kiroroの数ある名曲の一つが「Best Friend 〜Mother Earth Version〜」として新録されました。改めてこの曲と向き合ってみてのご感想をお願いします。
金城綾乃 今回、アレンジを羽毛田(丈史)さんにやっていただいて、映画ととてもリンクしていたので、私たちも大興奮でした。『アーロと少年』という作品に描かれている壮大な自然の広がりや、ドラマチックな心の模様が眼に浮かぶようなアレンジでとても嬉しかったです。
玉城千春 私たちももっと『アーロと少年』に寄り添いたくて、山の向こうから生命が芽吹く感じをイメージしたコーラスを間奏の部分に入れたりしたんですよ。ストリングスのみなさんとのレコーディングもとても楽しかったですね。Kiroroの曲なんだけど、本当にディズニー音楽みたいになったなぁと思って、感動しました。

──「Best Friend」が発売された15年前とは違って、今やおふたりともに3人のお子さんを持つお母さんですし、心境の変化はあると思います。この曲や『アーロと少年』という作品から、子どもたちにどんなことを感じてもらいたいですか?
金城 アーロという恐竜の男の子が、長男にかぶるところがあるんですよ。ちょっと臆病になっちゃうところとか。だけどそんな自分を卑下するんじゃなくて、自分は自分なんだって自信を持ってもらえたらいいなと思っています。この映画って、一人ひとり違ってていいんだよ、ということをちゃんと教えてくれている。そんな違う相手を思いやったり認めたりすることで、自分自身のことも肯定できる、ということを感じ取ってもらえたら嬉しいですね。
玉城 うん、私たちもタイプはぜんぜん違うもんね。子どもたちにもお互いがお互いのないところを支え合えるような、アーロとスポットみたいなお友だちに出会ってもらいたいです。それと、何か壁に当たった時に乗り越える強さも、この映画では伝えていると思うんです。これから子どもたちもたくさんの挫折や悲しみを経験する時が来ると思うんですけど、乗り越えた時にはきっとステキな景色が待ってるんだという、勇気を持って突き進むことの大切さも感じ取れる映画だと思います。

――おふたりが映画をご覧になられて感じたことはありますか。
金城 純粋にアーロやスポットの成長していく姿に、自分たちの子どもを重ねて見ていました。昨日できなかったことが、今日できるようになってるとか。子どもの前に進んで行く力って、本当にすごいなって思います。
玉城 本当に、子どもたちから学ぶことは多いです。私自身、日々の中で前向きになれないこともあるけど、子どもたちの一歩一歩前に進む姿から、できなかったこともできるようになるんだ、明日にはできるようになってるかもしれない、って何度も勇気をもらいました。特にこの「Best Friend」を作った頃は、本当に自信を失っていた頃だったので、今回改めてそんなことも思い出しましたね。

絶頂期、歌をあきらめて新しい生活をスタートしようと思った(玉城)

──ちょうどKiroroとしては20年(インディーズ時代から)なんですね。メジャーデビューしたのは1998年。その年に『NHK紅白歌合戦』に出場し、瞬く間にトップアーティストになったわけですけど、当時を振り返ってみていかがですか?
金城 Kiroro、成人式! 
玉城 あの頃は無我夢中でしたね。時々、昨日何したっけ? 今はどこにいる? ってわからなくなる時もあったほどです。1日に何ヶ所も回って歌わせていただいたりしてましたけど、本当に若かったからできたことだなと思います(笑)。
金城 よくやったよね〜。だけどデビューする時に「生で届けたら、きっと届く」とう信念があって、「一生懸命、いろんなところに行って届けていこうね」ってふたりで約束をして上京したので、忙しかったけど、本当におかげさまのありがたい毎日でした。

──「Best Friend」はメジャーデビュー3年目でしたけど、先ほどおっしゃったように玉城さんは挫折を感じていた頃だったとか。
玉城 喉を痛めたこともあり、自分の満足できる歌が歌えない日々が続いて、歌うことが怖くなったんです。ステージに立つことも。その後、半年間お休みをいただいて、ライブやリリースを再開したんですが、納得いかず、怖いままステージに立ってました。綾やスタッフのみなさんは応援してくれるけど、自分は応えられない。迷惑ばかりかけてる。自分が変われば、みんなのこともまた喜ばせてあげられるのに…そんな自分が嫌で、あきらめてました。このままじゃいけない、と思ってた頃に、主人に出会って結婚するんです。それをきっかけに、生活の拠点を沖縄に戻したんですね。その時はもう納得できる歌は歌えないと思ってました。それだったらもうこの世界に戻れなくてもいい、歌を諦めて新しい生活を頑張ろうと思ってました。

──その頃、金城さんはしばらく東京に残ってソロとして音楽活動を続けられてましたけど、どのようにご覧になっていましたか。
玉城 キラキラしている綾がうらやましいなって思いながら見てましたね。だけど綾は綾でいろんな挫折とか、葛藤を乗り越えてきたと思うんですよ。私は他人に言うんですけど綾はなかなかそういうのを言わないタイプなので、今聞いてみましょう。綾、当時はいかがでしたか?
金城 えっ、突然!? すごいフリがきたからびっくりしちゃった! みんなひっくり返ったよ(笑)。

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