• ORICON MUSIC(オリコンミュージック)
  • ドラマ&映画(by オリコンニュース)
  • アニメ&ゲーム(by オリコンニュース)
  • eltha(エルザ by オリコンニュース)
ORICON NEWS

名放送作家・藤井青銅氏インタビュー(中) ラジオの帝王・伊集院光との出会い

 「ギャグオペラっていうので最初に出てきて、体が大きいから『オペラ歌手です』って名乗って、歌うようにギャグを言っていたんです。その間のつなぎでトークをしていたんですけど、そのしゃべりがすごく面白かった」。放送作家という立場から芸能界を眺めてきた藤井青銅氏(61)は、伊集院光(49)と出会った当時をなつかしむ。このほど新著『幸せな裏方』(新潮社)を出版した藤井氏に、ラジオの“帝王”と呼ばれる以前の伊集院との思い出を聞いた。

『幸せな裏方』(新潮社)の著者・藤井青銅氏 (C)ORICON NewS inc.

『幸せな裏方』(新潮社)の著者・藤井青銅氏 (C)ORICON NewS inc.

写真ページを見る

【写真】その他の写真を見る


■ハタチの伊集院光に感じた魅力 バーチャルアイドルの元祖「芳賀ゆい」誕生秘話

 時は1987年。とあるお笑い番組に審査員として呼ばれた藤井氏は、そこで伊集院と出会った。「伊集院さんが頻繁にその番組に呼ばれるようになって、僕は関係ないんだけど、打ち上げとかにも顔を出して『いくつなの?』とか話していると、ちょうど年齢が一回り下のハタチだったんですよね。当時、僕は原田知世ちゃんと番組をやっていまして、彼女もひと回り下だったから『えー知世ちゃんと同い歳?知世ちゃんは許すけど、お前は許さん』みたいにシャレでやっていましたね」。翌88年から、毎週深夜3時スタートの『伊集院光のオールナイトニッポン』が立ち上がった。

 番組には直接関わりのなかったという藤井氏だが、ぶらりと立ち寄ったニッポン放送で伊集院と出会うことが多く、何気なく話を聞いていた。「夕方で仕事が終わった時にニッポン放送に立ち寄ってみると、深夜3時に番組が始まる伊集院さんがもういるんですよね。それで『きょう、何の話をするの?』って聞いて『こういう話があるんですけど…』っていうことをやっていました。番組の前に誰かに話さないといけないって、嫌だったと思います(笑)。でも、すごいのは毎回2つ3つのエピソードを持っているんですよ。それを聞いて『それはちょっと伝わりづらいかな?』って言うと、すぐに次の話をしていましたね」。

 ほどなくして、バーチャルアイドルの元祖「芳賀ゆい」が誕生。伊集院が「映画監督の大島渚さんって、名前だけ見たらアイドルっぽくないですか? そう考えたら『歯がゆい』っていう言葉もアイドルっぽい」と番組内で発したことがきっかけで、リスナーが翌週から架空のアイドル「芳賀ゆい」に関する投稿が寄せられるようになった。くどいようだが、直接番組との関わりがなかった藤井氏は、スタッフから説明を聞くと、単なるコーナーに留めておくにはもったいないと感じたという。「伊集院さんの発案で始まって『芳賀ゆいっていうのは、こういう人で…』というコーナーをやっていたと思うんですが、僕は80年代にアイドルの番組をいっぱいやっていて、いろいろと詳細を決めたら人物像が見えてくるから『一人の人間を作るみたいに、どんどんやれ!』ということでやったんだと思います。なぜ断定ができないかと言えば、実は番組を聞いてなかったんです(笑)」。

■若き日の伊集院に渡した“手書きレポート”とは? 現在の活躍に「すばらしい!」

 リスナーと伊集院の“共犯関係”により、芳賀ゆいのディテールが決まると、人気は一気に加速。1990年には架空のアイドルながら「芳賀ゆい握手会」も実施された。「それって失敗してもいいんですよ、それがオールナイトでのトークになりますから。架空のアイドルで握手会やりますっていう発想が、バカで面白い。だから、スタッフに『絶対やった方がいいよ』って言っていました。僕ですか? もちろん、握手会には行ってないです(笑)」。ラジオならではの“ノリ”の波及は想像以上で、握手会には2000人が集まった。

「今だったら、こんな企画はやりにくいかもしれないですね。ただ、この握手会って一銭もかかってない訳ですよ。スタジオもニッポン放送で借りていますし、番組のイベントだから伊集院さんもノーギャラで来てくれたので、全員が自腹。みんなが面白いと思っているし、番組のためにもなるからっていうことで。これが20〜30万かけて失敗したら洒落にならないですけど、そのリスクがないから、失敗してもネタにすればいいやっていう感じでした(笑)」。これは「番組の制作費が少ない」という、今の放送業界が抱える悩みを解消する、ひとつのヒントにもなりそうだ。

 伊集院のトークに魅了され、陰ながら支えてきた藤井氏。実は、番組が始まって間もない頃に「手書きのレポート」を渡したことがあったという。「タレントさんでも、自分では見えなくて、誰かが道筋をつけないといけないところがあると思うので、そっちはちょっと気をつけた方がいいよみたいものを勝手に書いてきて、シャレで『勉強しろ!』みたいな感じで1〜2回渡したことがありましたね。ちょうど年齢も一回り離れていたので、そういったこともしたことがあって…本人は嫌だったでしょうね」。今や“ラジオ界の帝王”となった伊集院をどのように眺めているのだろう。

「深夜を続けながら、昨年からは朝の帯番組も担当されていて、すばらしいですね。どれだけしゃべれる人でも、話すことはすぐになくなるんですが、自分の中に“おもしろ発見回路”みたいなものがあれば、なんてことのないエピソードでもトークができるようになる。朝の帯をやりながら深夜も続けることは、すごく大変だと思いますけど、そこで得たものが朝にも還元されるんだと伊集院さんが考えているのかもしれないですね」。

 さて、本書の中では藤井氏が渡した「手書きレポート」を伊集院が未だに持っていることが明らかになる。そのことを藤井氏に伝えたのが、お笑いコンビ・オードリー春日俊彰(38)だった(下に続く)。

関連写真

  • 『幸せな裏方』(新潮社)の著者・藤井青銅氏 (C)ORICON NewS inc.
  • 『幸せな裏方』(新潮社)の著者・藤井青銅氏 (C)ORICON NewS inc.

オリコントピックス

あなたにおすすめの記事

 を検索