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人時、黒夢の活動停止・解散・再結成までの真相を語る「二度とやらないと思ってた」

 デビューから22年を誇る黒夢のベーシスト・人時が、ガールズバンド・Hysteric Lolita〜感情的少女〜(ヒスロリ)の楽曲「Voice For Voice」でプロデュースに挑んだ。若い才能とのコラボレーションには、いろいろと刺激を受けることも多かったようだ。ORICON STYLEでは、「改めてバンドは面白いと思った」と話す人時にインタビューを実施。プロデュースの話から、1999年の黒夢の活動停止から復活に至るまでの心境、師匠である故・佐久間正英さんへの思いまで、様々な話を聞いた。

ORICON STYLEのインタビューに応じた人時(黒夢)(写真・草刈雅之)

ORICON STYLEのインタビューに応じた人時(黒夢)(写真・草刈雅之)

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■“音楽はもういい”って耳にもしたくない時期があった

――今回、ガールズバンドに携わって、音楽に対する気持ちの変化はありました?
【人時】 僕は師匠でもある佐久間正英が自分の指標でもあるので、トータル的に音楽をジャッジするという意味でプロデュースワークはやりたいと思っていたんですね。今回、やっぱりバンドって面白いなって思った。僕自身、そういう形態のものをロックというカテゴリーの中で散々やってきて、酸いも甘いも噛み分けてきたわけで、とことん楽しい部分も面倒くさい部分も両方わかっています。でも、彼女たちとやることで、その必死感をメンバー同士で共有するとか、人と演奏することの楽しさを改めて感じました

――またバンドをやってみたいな、とか?
【人時】 あ、思わないです。

――即答(笑)!
【人時】 いやいや(笑)、過去にも何度かバンドに誘われたことはあるんだけど、若い頃にやっていたバンド形態っていうのは、運命共同体になって、ひとつのものに向かって邁進するものだと僕は思っているんですよ。だけど、それはもう無理かなと。基本はベーシストですけど、プロデュース業を含めて、今はやりたいことがそこ(バンド)だけじゃない。僕自身、ベースシストしてインストもやるし、弾き語りもやるし、他の人たちのレコーディング現場に呼ばれて弾くこともあって、トータル的に音楽に関わっていきたい意識が強い。だからバンドだけには執着できないっていうのが現状の気持ちです。

――黒夢としてデビューしてから22年ですが、その変遷の中で、今のスタンスに辿り着いたということでしょうか。
【人時】 気づけばここにいた、っていうぐらいなものですけどね。長いことやってきた中では、思い通りにはいかない時期や、音楽をやめたいと思ったこともありました。それでもやっぱりやめられない何かがあって、気づいたらここに辿り着いていたっていう感覚。同世代のミュージシャンでもやめていく方はたくさんいましたから、自分は運がいいのかなっていうのはつねづね思います。

――「音楽をやめたかった」時期というのは、1999年に黒夢が無期限の活動停止を発表した頃ですか?
【人時】 そうですね。あの頃は“(音楽は)もういいです”って感じで、テレビでもラジオでも、音楽が流れてきた時点で消しちゃうぐらい音を遮断してました。

■黒夢が活動停止してから10年間はお互い会ってなかった

――なぜ、そこまで?
【人時】 後ろ向きな発言になっちゃいますけど、僕らがデビューした1990年代は、曲が売れれば、成功して認められるっていうサクセスストーリーがあったと思うんです。しかも音楽バブルの時代だったので、予算も今の10倍ぐらいは湯水のごとく使えた。でもそうなると、当然、いろんな人間が関わってくるから、自分の意志と反する意志も必ず交わってくるわけですよ。それで、音楽業界の汚い部分とか、世の中の図式も見えてくる。そういった部分が自分の中でだんだん溜まっていって、当時は音楽を純粋に楽しめなくなったっていうのはあります。

――メジャーで売れたからこそ、ぶつかる壁ですね。
【人時】 だから僕は今でも、本当に自分の好きな音楽だけをやりたいなら、メジャーでやるのは無理だと考えています。他の仕事をしながら音楽を作ったほうが、マインド的には整理がついて、周りとの葛藤は生まれない。仕事してお金が絡んでくると、アーティスト側だけの意識では回らないことが必ず出てくるし、その中で“魂を売って”しまう可能性もありますから。当時はそこの葛藤はもういいやって思ってしまって、音楽自体をやりたいと思えなくなってしまった。あとはツアーが多かったので、家族との時間が取れないことにも後ろめたさを感じていて。そういういろんなものが混ざって、音楽を聴きたくないってところまでいっちゃったんですよ。

――でも結果的に音楽をやめることはできなかった。そして解散を経て、2011年に黒夢は再結成しましたが、どんな意識の変化があったんですか?
【人時】 まず僕にとって黒夢は当たり前のように青春ですし、切っても切れないものというところは今も昔も変わってない。最初、4人で始めたのが最後は清春さんと2人になって、そこから知名度が上がったので、2人で頑張ったっていう認識もあります。当時はバンドのメンバーが減っていくイコール売れなくなるってことが多かったから、いわば窮地に立たされた状態だったけど、その中でアルバムがオリコン1位になったこともすごく誇りになっていたんですね。でも、さっきも言ったとおり、その後はいろんな問題が出てきて、正直、再結成前は二度と黒夢はやらないだろうなと思ってました。実際、活動停止してから10年ぐらい清春さんとはまったく会っていなかったし。自分自身もプレイヤーとして1人でどこまでやれるか必死で、それどころじゃなかった。でも、時間が解決するってよく言うけど、まさにそんな感じで、お互いに会わないし、相手が何を考えているのかもかわらないのになぜか距離が縮まっていく感覚があった。そのうち今やってみたらどうだろう?ってことになって、復活&解散ライブをやって、さらに再結成になったんですね。

■黒夢は特別なもの 清春さんは僕にとって“スター”

――清春さんとの関係性に変化はありましたか? 仲が悪かった時期もあったそうですが。
【人時】 活動停止前は、ひと言もしゃべらないぐらい仲が悪かったです(笑)。自分でそうしてしまった部分もあるから、誰のせいにするつもりもないし、申し訳ないという気持ちもありますけど。それで会わない時期を経て、また一緒に始めたんだけど、良い意味で良くも悪くも何も変わってなかったです(笑)。清春さんが清春さんとして変わらずにやり続けているところ。例えば、決して丸くならない部分とか、牙がある部分とか、要は隠し持っているナイフを失くさずにずっと持ち続けていてくれことは、逆にとんでもないことだなと思ったんです。あとクリエイティブな部分で、曲げたくないところは何が何でも曲げないってところもすごいなと。今もやることなすこと度肝を抜かされるから、昔よりもさらにリスペクトする気持ちは強くなっていて、そういう意味では黒夢を始めた頃の意識に近いかもしれない。やっぱり清春さんは僕にとってのスターというか、憧れの人なんですよ。

――つねに想定外と。
人時 僕が勝手に理想と思っているグループの形って、絶対的な存在が1人いるか、全員が同じ立ち位置にいるかのどっちかなんですね。僕がより魅力を感じるのは前者で、1人のすご過ぎるエースがいて、そこについてきたいと思えるような形態。だからこそ、清春さんが清春さんのままでいてくれるのはすごく嬉しいんですよ。そういう意味でも黒夢は自分にとって特別なものなので、今後もなるべく特別なままやっていきたいって気持ちにはなりますよね。

――人時さん個人としては今後、どのような音楽人生を考えていますか?
人時 すごくシビアな話になりますけど、昨年、師匠と呼べる佐久間正英が亡くなって、自分にとっての死ってものをとてつもなくリアルに感じてしまったんですね。僕個人として考えたとき、五体満足で頑張れるのは、多分あと30年ぐらいしかない。そうすると中途半端なことをやってちゃダメだなと。そういう想いもあって、黒夢のツアーは過去最高に暴れ倒す覚悟でやったんだけど、それは今も変わってないです。僕が月1回やっている弾き語りライブも年に12回ですから、×30年って考えると、表現できる時間なんてたかが知れてるじゃないですか。そうなるとライブ1本1本に対する想いは違ってくるし、さらに広く音楽に携わるってところでは、今回のようなプロデュース業で、裏方としてももっともっとやっていきたい。やっぱり表に立って時代を動かしているのは20代だと思うから、そのお手伝いじゃないけど、プロデュースワークでの関わり方という部分で広げていければと思っています。

(文/若松正子)

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