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小室哲哉「TRFはすぐ辞めるつもりだった」

 3人組ユニット・TM NETWORKが、2012年の再始動からデビュー30周年を締めくくった最新ライブまで楽しめる特集がWOWOWで24日に放送される。ORICON STYLEのインタビューに応じた小室哲哉が、「Get Wild」の大ヒットからソロ活動、“時代の寵児”となった90年代、空前の“小室ブーム”はどのように作り出されたのか、これまでの活動を振り返り語った。

BOΦWYが解散しなかったら、相乗効果でもっとシーンが盛り上がっていた

――TMは彗星のごとく現れ一気に有名になった印象がありますが、実は「Get Wild」は10枚目のシングル。デビューしてから3年間はヒットが出なかったわけですが、焦りや不安はありましたか?
【小室】 僕はデビューしてすぐTMの活動と平行して、他のアーティストに楽曲提供をしていたんですね。その活動がグループにフィードバックされたらいいなと思ってやっていたんだけど、そのなかで1986年に渡辺美里さんの「My Revolution」がヒットしてくれたのが僕にとってはすごく大きくて。ああいう曲でちゃんと歌っていけばいいんだって、ヒット曲作りのコツや方向性みたいなものが見えたというか。それまではちょっと僕たち大丈夫かな?っていうのがあったけど(笑)、あの曲で評価して頂いたことで、焦りや迷いみたいなものはなくなりました。

――とはいえ、当時は空前のバンドブームの時代。そのなかで小室サウンドの原点といえるシンセサイザーを多用した音楽はかなり斬新でした。
【小室】 無機質なリズム感を定期的にずっと続けて短縮していく、いわゆるミニマルな音楽は意外に気持ちいいっていうのをあの頃から感じていて。それをバンド以外の形態でもできるんじゃないのってことを考えたのがTMなんです。僕らがやる前にYMOがそういうエレクトロニックな音楽をやっていましたが、YMOは生楽器の演奏もしっかりやってきているところが僕たちとは違っていた(笑)。そういう意味ではコンピューターをメインにした形態っていうのは、僕らが最初だったのかもしれないですね。

――渦中の小室さん自身は当時、どんな気持ちでした?
【小室】 自分たちを“芸能人”とは思っていなかったので、特に心境の変化はなかったです。僕らはいわゆる芸能界っぽい体育会系でもないし、当時のバンドの人たちとは真逆な感じというか。テレビには絶対出ない!ってこだわりもなかったし、話が上手じゃないといけないってこともなかったので、単に“音楽をやっている人”、つまりいちミュージシャンっていう感覚ですかね。ただ、僕らが売れた直後にBOΦWYが解散しちゃったのは残念だった。彼らがいてくれたらもっと相乗効果でシーンが盛り上がっていたんじゃないかな。

◆“小室ブーム”の要因は、ユーロビートが日本人との相性が良かったから

――そして、TMがデビュー10年目で活動休止し、いよいよ小室ブームを生み出した90年代に入るわけですが。プロデューサー業に本腰を入れたのはなぜだったんですか?
【小室】 気楽にやっていたTMの活動と違って、楽曲提供する作曲の仕事はシビアというか。制約は多かったんですね。でも、その頃、ダンスミュージックのためにロンドンに音楽留学をしまして。日本があまりにも世界の音楽シーンからかけ離れていると実感したんですよ。例えばUS、UKチャートで1位の曲でも日本だけほとんどの人が知らなかったりして、それはあまりにももったいないなと。少しでもみんなにダンスミュージックっていうものを教えてあげたいと思って、いわゆるユーロビートを、やってみようと思ったんです。で、始めたのがTRFなんだけど、最初はダメだったらすぐ辞めるつもりだったんですよ。

――ヒットは予想外だったと。でも、さらに安室奈美恵さんをはじめ、様々なアーティストが小室プロデュースによって大ブレイクしていきましたよね。
【小室】 奈美恵ちゃんはね、さっき言った渡辺美里さんにみたいに、若い女の子たちが奈美恵ちゃんをきっかけにダンスミュージックを聴くようになってくれたらいいなっていう、そういう気持ちもあったんです。そこからいろんな層へ広がったらいいなって。

――結果的にそれが大成功となり“小室ブーム”を作り出しましたが、その要因は何だったと思いますか?
【小室】 いろんな要因が重なったんだと思いますが、ユーロビートのスピード感とかビート感が日本人と相性が良かったんでしょうね。TMの活動10年目で、ある程度名前を覚えてもらった後に、ソロになったっていうタイミングもちょうど良かったんだろうし。

◆東京五輪まではプロデュース業に力を入れる

――今後の活動は?
【小室】 TMに関してはここでひと区切り。ここから先はプロデューサー業をもっとやっていくつもりです。日本ってプロデューサーはたくさんいらっしゃるけど、一般の方からパッと名前が出るような人って少ないじゃないですか。海外ではそれがごく当たり前なのに。

――小室さんからですよね。“プロデューサー”という存在がクローズアップされたのは。
【小室】 あとは秋元康さんやつんく♂さんが、“初代”ですよね。でも、まだまだ広げていきたいと思うので、東京五輪ぐらいまでは活動していこうかなと。そのためにもここからまたがんばらないといけないですね。

(文:若松正子)


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