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秋元康氏、AKBは「落ちこぼれ集団」 9周年を振り返る

 AKB48総合プロデューサーの秋元康氏が9日、トークアプリ「755」で昨日8日に9周年を迎えたAKB48を振り返り、卒業を発表したAKB48総監督の高橋みなみと次期総監督に指名された横山由依にエールを送った。

AKB48卒業を発表した高橋みなみ(右)にコメントを発表した秋元康氏 (C)ORICON NewS inc.

AKB48卒業を発表した高橋みなみ(右)にコメントを発表した秋元康氏 (C)ORICON NewS inc.

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 秋元氏はAKB48が誕生した2005年12月8日について、「オーディションに合格した二十数名のメンバーは、完成したばかりの小さなステージで不安そうに僕を見ていました。これから何が始まるのか、誰もわかっていませんでした」と手探り状態だったことを明かし、「そんな彼女たちを前に僕は言いました。『みんなで甲子園(東京ドーム)へ行こう』」と振り返る。

 「はっきり言って、落ちこぼれ集団、日本一の弱小チーム」だった少女たちは、練習を重ね、夢だった東京ドームコンサートを実現させ、NHK紅白歌合戦への出場やレコード大賞を獲得など、9年の間に日本一のアイドルへと成長した。秋元氏はその過程を「AKB48はアイドルグループというより、日本一の弱小チームが頑張って夢を叶えるまでのドキュメンタリー」と表現し、夢を見るすべての人に向けて「君にもできます。AKB48と一緒に夢に向かって走りましょう」と呼びかけた。

 秋元氏は今年6月にAKB48を卒業した大島優子と昨日の公演を観ており、「隣で大島優子が号泣していました。AKB48を支えて来たメンバー同士にしかわからない“通じあうもの”があったんでしょうね」と心情を思いやり、「忙しいだろうに9周年に駆けつけてくれる大島優子も熱い奴です」とAKB48の歴史に欠かせない大島のことをねぎらった。

 また、卒業を発表した高橋について「劇場の楽屋でステージから戻ってきた高橋みなみにどんな言葉をかけようかと思っていましたが、言葉が見つからず、黙って長い握手をしました」と語り、次期総監督に指名された横山には「高橋みなみの代わりになろうとするな。高橋みなみの代わりは誰にもなれないように、横山由依の代わりも誰にもできないんだ」とLINEでメッセージを送ったと明かした。


■秋元氏のコメント全文

2005年12月8日、東京の秋葉原にある専用劇場でAKB48は誕生しました。オーディションに合格した二十数名のメンバーは、完成したばかりの小さなステージで不安そうに僕を見ていました。これから何が始まるのか、誰もわかっていませんでした。まるで、出来たばかりの野球部に入部して来た“未経験者”の集まりでした。野球をやったこともない素人、リトルリーグに入ってはいたものの芽が出なかった者、中には、運動音痴もいました。はっきり言って、落ちこぼれ集団、日本一の弱小チームです。そんな彼女たちを前に僕は言いました。「みんなで甲子園(東京ドーム)へ行こう」

中学生だった高橋みなみも前田敦子も板野友美も峯岸みなみも、高校生だった小嶋陽菜もきょとんとしていました。「この人は何を言っているのだろう?」と。それから、毎日、レッスンして、小さな劇場のステージで公演を重ねました。日本一の弱小チームです。それでもあきらめずに、練習し続けました。あれから、9年。僕は気づきました。「AKB48はアイドルグループというより、日本一の弱小チームが頑張って夢を叶えるまでのドキュメンタリー」だと。あんな弱小チームですら、頑張れば夢が叶うのか?それを証明するためのグループです。じゃあ、私だって…、僕だって…と、みんなが夢に向かって走り出してくれればいいなと思います。高橋みなみは、与えられた区間を、いや、与えられた以上の区間を、あと一年、全力で走ります。だから、応援してくださっているみなさんも、是非、それぞれ、自分の夢に向かって走って欲しいと思います。僕を含めて、こんな弱小チーム、へなちゃこチームですら、東京ドームでコンサートを開いたり、紅白歌合戦やレコード大賞に呼んでいただけるようになったんですから、君にもできます。AKB48と一緒に夢に向かって走りましょう。9年間、応援ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

AKB48グループ総合プロデューサー 秋元康

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