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四半世紀以上ガレージに眠っていた“平成の太陽を知らない”ベンツ…再生した“車を売りたくない中古車屋”の思いとは?

 40年前のモデルとは思えないほど、ピカピカに磨かれた白のボディが印象的なメルセデス・ベンツ。この車、数年前まで、神奈川県・葉山のガレージに四半世紀眠っていたという1台。それを、埼玉県所沢市の自動車販売店DUPROが引き上げ、修理し、ここまでの状態に再生した。同社取締役の渡辺大介氏によると、これまで何台もこうしたガレージなどに眠っていた車を発掘して“起こし”、販売も手掛けてきたというが、「本音を言えば、売りたくない」という。旧車ブームという追い風があるにもかかわらず、なぜ“車を売りたくない車屋”は誕生したのか? このベンツ復活のエピソードとともに話を聞いた。

趣味の“不動車起こし”が高じて販売店に「本当は手元に残しておきたい」

「もともと車屋を立ち上げたつもりはなくて。19くらいの時から学生やりながら、動かない車を動くようにするのが趣味だったんです。最初は、ポルシェ944。不動車を3台買ってきて、1台を部品取り、もう2台を動くようにして、1台に乗り、1台は売って、そこまでかかった費用にするみたいな感じで。好きでやりたいことやって、乗りたい車乗ってって、やっていたのがこんな感じになりました」

 所沢市の郊外、狭山ヶ丘駅から車で数分の所に工場を構える自動車販売店DUPRO。その取締役である渡辺大介氏は、自社の始まりをこう説明する。幼少期からの機械好きが高じて、オーディオなど壊れたものを直すのが趣味に。中学生くらいからは、「『車の仕組みとメンテナンス』みたいな本は読み漁っていました。今も工場の一部を書庫にしていて、それこそ昔から読んで集めてきたカタログや専門書などがたくさんあります」と知識も蓄え、さらに自ら車の整備を手掛けることで、技術も習得していく。

 そんな成り立ちだからこそ、自動車販売店の看板を掲げ、自らの生業にした今も、「本音を言えば売りたくない」という言葉が出てくるのだろう。世間は旧車ブームもあり、販売店によっては「古い車」というだけで、高値を付けているところもあるが、そんなことはしていない。

「売らないで済むんなら、売りませんよ。せっかく自分で直した車なんですから。好きな車、乗りたい車をいじったり、研究して、手元にコレクションとして残して置ければ一番いいんです。ただ生活や、工場の維持費とかもあるので…。価格に関しては、『本来この車はこのくらいだよね』という金額にしています。ある程度売らないとやっていけないところもあるので、買いやすい価格というか。ただ本当に売りたくないものは、相場に対して高く出している感じですね(笑)」

納屋に眠った車に出会う楽しみ「このタイムカプセル感は何回やってもたまらない」

 そんな同氏が手掛けたなかでも、思い入れが深いという1台が、1984年式『メルセデス・ベンツ ミディアムクラス230E(W123)』。

「この車は、神奈川県の葉山で眠っていた車です。昔お世話になった先輩から久しぶりに電話があって、『俺の高校の友達が結構いい家で、葉山の別荘のガレージに入りっぱなしのベンツがあるから、もっていっていいって』と連絡があって。そのワードだけで、ワクワクしました(笑)」

 海外では、こうした古いガレージや納屋で長い間使っていなかった車を見つけることを「バーンファインド」(=納屋から見つける)と呼ぶ。ほこりをかぶった状態の稀少車が見つかることもあり、それがニュースとして大々的に報じられることも。日本でも旧車ブームの影響からか、中古車業者が田舎を訪ねて、こういった車がないか、巡ることもある。同氏は葉山に向かい、このベンツを見た時、「これはお宝を発見したな」と思ったという。

「状態はいい方。ボディについては、コンクリートのガレージに入っていたので陽は防げたんですけど、湿度がちょっと高かったみたいでコケが結構ひどかったですね。カビも少し生えていましたが、サビもそこまでひどくなかった。内部は、眠っている期間が長ければ長いほど、機関の中に入っているオイルとかガソリンが悪さして、腐食や固着、シールがダメになってもれちゃったり、中からやられちゃう。でも、あの車はほとんど大丈夫でしたね」

 車の状態が良好であることももちろん喜ばしいことだが、それ以上に、長い間使われずに眠っていた車を見つけ、時間が止まったかのようなその空間で、当時の空気を感じることが何よりもたまらないという。

「車検が、平成の初期で止まってて。そこから約四半世紀、ガレージで眠っていたわけです。1988年製のタイヤに、車内にあった当時のヤナセのティッシュボックスや、昭和56年の地図。消費税も3%で止まっています(笑)。このタイムカプセル感がたまらないんです。私はこういう“納屋もの”を何台も扱っていますが、何回やっても面白い。ものによっては、昭和の時代に“封印”されたまま、最近になって見つかるものもある。僕らはそれを、“平成の太陽を知らない”車と呼んでいます。このベンツは平成初期で止まったので、ほぼほぼ“平成の太陽を知らない”車ですね(笑)」

 昭和の時代に製造され、“平成の太陽を知らない”車を、自らの手で“起こして”、令和に日の目を見る。それが喜びだというが、修理の道のりは決して簡単なものではない。実際この車も1年かけて丁寧に直されたが、渡辺氏に言わせれば「特別大変なことはなかった」という。

「修理は、燃料タンクや駆動系のパーツから一通り外して、どこが悪いのかを見て。そのあたりの手順は段階を踏んでやっていきました。旧車あるあるの『部品出ない問題』も、そこまで苦労もしていないです。メルセデスは、部品が出るんですよ。ドイツの本国ではスクラップになる前の車から部品を外して、回収して、使える部品をストックしているみたいなので、日本とは文化の違いを感じますよね。古い車に乗ってみたい方には、メルセデスをお勧めしています。壊れやすい、壊れにくいではなく、部品が出るので一番維持するのに、苦労しないからですね」

“素性のいい車”が巡ってくる理由「あんまり商売商売していないから」

 このベンツのように、同社で現在取り扱っている車は、1回もオークションに流れておらず、どういった経緯をたどって同社に来たのかが分かり、それぞれに物語を持った車ばかり。なぜこうした“素性のいい車”が集まってくるのだろうか?

「素性のいい車が集まる理由は…、そうですね、あんまり商売商売していないからじゃないですかね? 例えばですけど、昔から知り合いの車が調子悪くなったときに、見て直したりしていたんです。自分の勉強だと思って、お金も部品代だけで。そういうことをずっとやってきたからか、10年とか15年越しに連絡があって、『お前にピッタリな車が、知り合いのガレージに眠ってて〜』みたいな話がひょいと飛び込んでくる。向こうからしたら、昔の恩を返すくらいの感覚なのかもしれませんけど。あんまり、儲けようというスタンスだと、いい縁がないような気がします。儲けないとやっていけないんですけどね(笑)」

 実はこのベンツも、復活後、名古屋のオーナーの元で2年間、日常使いとして活躍。そのオーナーが、「別の車に乗りたい」と渡辺氏に相談したため、再び同氏の手元に戻り、今は新しいオーナーを探している。素性がよく、丁寧に修理された車というだけあって、同業者からの問い合わせも多数あるというが、それは断っているという。

「前のオーナーの思いを引き継いで、自分が手をかけて直した車が、大きな中古車屋さんのなかの商品のひとつとして十把一絡げで並び、背景も何も知らないお客さんが買っていくというのが、私はあまりよく思わないので。
 せっかく素性のいい車なので、それを素性の悪い車にしないためにもいいオーナーに乗っていただきたいんですよね。この車を理解して購入していただける方に巡り会えれば」

 現在、インターネットを見れば、価格の比較から、見積もり、お店の評判まで何でも見ることができ、クリックひとつで購入までできる時代。だが、人の縁やつながり、さらに車への思いを大事にする同氏は、自らを「古き良き時代の“街の電気屋さん”的な存在」だと笑う。だからこそ、同氏から車を買いたいというお客さんが多いのも頷ける。

「昭和の時代、蛍光灯1本から冷蔵庫まで、全部街の電気屋さんに頼んでいましたよね。調子悪くなったら、すぐに電話してかけつけてもらう。私のお客さんも、何かあったらすぐに電話をくれるので、都内でも名古屋でも駆けつけてます(笑)。これからも、好きな車、気になる車の“研究”をしながら、適度に販売していければと思います」
DUPRO
https://www.dupro-japan.com/(外部サイト)

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