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テレビ離れに新聞離れ… 番組表が見られなくなっても60年出版し続ける“TVガイド”の今
発刊当初は大赤字「『ロケット産業に参入します』というぐらい荒唐無稽な発想だった」
1960年にカラーテレビの本放送がスタートした頃、創始者の長男・奥山忠氏(現相談役)はアメリカへリサーチに。そこで、次世代は「ギャンブルかテレビのどちらかが来る」と踏み、“テレビ”を選択した。「もしギャンブルを選んでいたら競馬新聞を売る会社になっていたかもしれません(笑)。いずれにせよ、私の父・奥山忠が『これからはテレビだ』と見定め、アメリカの『TV GUIDE』誌と話を。批評ではなくフラットに情報を伝えるそのコンセプトを学び、『週刊TVガイド』を創刊しました」(奥山氏/以下同)
「弊社は『TVガイド』を出すまで出版社ではありませんでした。それなのに週刊誌を発行することは、大企業でもないのに『ロケット産業に参入します』というぐらい荒唐無稽な発想です。ですが、これを愚直にやり続けた結果の“今”があるのです」
「辞めよう」「不可能」乗り越え、軌道に 『テレビジョン』の台頭でむしろ部数増加
番組表を作るために、250人以上費やしているという。日本全国の全チャンネルの情報をまとめるのには、想像以上に時間と労力がかかるのだ。そして1982年、ある大きな変化が起こる。『週刊ザテレビジョン』という強力なライバル誌の登場だ。ようやく軌道に乗ったところで窮地に立たされるかと思いきや、強い競合が生まれたことで、逆に部数が伸びたと言う。
日本で現在発行されているテレビ情報誌は約15誌。「競合あるところに進化があるとすると、日本以上にテレビ情報誌が進化した国はおそらく他にないかと思います」と奥山氏は語る。その後、番組情報だけでは勝負していけないと早々に舵を切り、エンタメ方面へとシフトして行った。また、月刊誌も創刊された。
「月刊誌をやろうとした時は、今度はテレビ局から『不可能』と言われました(笑)。1ヶ月先の番組表が決まっているわけがないからと。ですが、我々には通信社としての気概と需要への確信があった。初期から手掛けたことで人脈や信頼を駆使し、これを実現させたのです」
時代を読む努力も怠らなかった。コンビニエンスストアの規模が拡大すると「コンビニで売れるテレビ誌を作ろう」と企画を練った。当時のコンビニの顧客は学生が多かった。お金がない学生でも買える安くて面白い雑誌…。そこで白黒印刷で経費を抑え、当時のサブカルチャー を扱った『TV Bros.』が誕生し、大ヒットした(現在は不定期刊)。