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発足10周年を迎えた俳優集団・D-BOYSの葛藤とブレイク後の心境とは

 昨年、発足10周年を迎えたD-BOYS。11年目に突入した今年も俳優集団としてますます目が離せない存在となっているが、そんな彼らのこれまでの軌跡を立ち上げメンバーの城田優、和田正人、そして『第2回D-BOYSオーディション』受賞者の瀬戸康史にインタビューした。俳優集団という、新しいスタイルへの挑戦したからこそへの葛藤、それぞれブレイクを果たした現在の心境、そして勢いを増している若い世代へのエールなど、10年後の今だからこそ語れる貴重な話をたっぷりと聞かせてくれた。

発足当時は若手俳優の集団の前例がなかったから、いろいろ難しかった

――城田さんと和田さんは、D-BOYSの立ち上げメンバーですが。発足当時の印象を話していただけますか?
城田 まず第1回目のD-BOYSオーディションに選ばれるかどうか過酷で……。
和田 いやいや、優はいなかったから(笑)。彼だけオーディション前からメンバーに決まっていて、オーディション組の僕らが受かって後日写真を撮りに行くとき、いきなり城田が現れたんですよ。
城田 僕はそのときもうこの世界で仕事していましたからね。その時はまだみんな高校生とかで、「なんだこいつら!」となったことを覚えています(笑)。

――オーディション応募数は当時、どれくらいだったんですか?
和田 数千人ぐらいで、最終オーディションに21人が残ったんですけど、最後の自己アピールはすっごく緊張して。
城田 何をやったの?
和田 タンバリンを叩きながらゆずさんの曲を歌った。
一同 (爆笑)。
瀬戸 見たかったなぁ(笑)。

――瀬戸さんは第2回のオーディション受賞者ですが。応募した理由は?
瀬戸 親に“受けてみれば”って薦められて。そこでたまたま受かっちゃったので、正直に言うと、特にD-BOYSに入りたかったっていうわけではなかったんですよ。
和田 僕もD-BOYSに受かりたいっていうより、大手事務所に入りたいという気持ちの方が強かったです。当時、自分が所属していた実業団陸上部が廃部になって、一念発起して「俳優になる」と心を決めてオーディションを受けていたので、藁をも掴む気持ちで受けたんです。

――でも当時、アイドルグループではなく、若手俳優の集団というのは特殊でしたよね。
城田 そうですね。これ以降、別の事務所からも出てきましたけど、当時は前例がなかった。だからいろいろ難しかったですよ。
和田 事務所内でも“アイツらなんだ?”って空気だったしね。
城田 和田さんは別として(笑)、他のメンバーは14、15歳の若い子ばっかりだったから、そういう何の経験もない子たちの集団がいきなり事務所に所属して「おはようございま〜す」と。そりゃ冷たい目で見られますよ。
和田 初期メンバーの柳(浩太郎)が事務所の先輩を怒らせちゃったりして(笑)。礼儀とか何もわかってなかったので。
城田 そこでさらに“あいつら”はなんだってことになっちゃった。誰かひとりがやらかしたことも、D-BOYS全体の連帯責任になりましたから。
瀬戸 僕は入った頃にずっと事務所で電話番をしていたんですよ。それで毎日スタッフと顔を合わせていたから可愛がられたほうかもしれません。
城田 そうだね、瀬戸は可愛がられるところからスタートしたってことで、理想のパターンだと思う。

――D-BOYSが電話番をやっていたんですか?
瀬戸 最初の頃はまだ売れてないから、そういう雑用もやってましたよ。自分たちが出ていた舞台のチラシ配りやチケットのもぎりもやっていたし。
城田 今でもそこは変わらないですよ。瀬戸に限らず、入ってきたメンバーは、舞台のもぎりやプレゼント係、舞台のアンサンブルなどの下積みを経て、1人の俳優として活動をしていけるようになります。とはいえ、当初は今と比べて周りの目や風当たりは全然違いました。礼儀も何もできてなかったから。しかも、当時は今よりメンバー、ファンも年齢層が若かったから、イベントをやればキャーキャー言われるっていう“プチアイドル”のように見られてしまうこともあって。

――そこに抵抗はあった?
和田 俳優として活動をしているので、ありましたね。今でもちょっとはありますよ。一緒に仕事をした方たちは、僕たちがしっかり芝居をやっている集団だってわかってくれるけど、ジャンルの違う現場、例えばバラエティとかだと特に「和田さん、D-BOYSだから踊れますよね?」って未だに言われます。若手グループ=踊れるってイメージなんでしょうね。
城田 それはあるね。僕ですら今でも「D-BOYSでしょ」って言われて、「あ、だいぶ前に卒業しているんですよ」って(笑)。
和田 ワタナベエンターテインメントの若手俳優=D-BOYSってイメージなんでしょうね。だから、むしろ自分たちのほうが、D-BOYSのアイドルっぽい見られ方に対して、変にこだわり過ぎていた部分はあるのかもしれない。

――取材する側としては逆の印象ですけどね。D-BOYSは舞台経験を積んでいるので、むしろ演技の勉強をしっかりやっている集団というイメージがある。
城田 それはありがたいですね。でも僕も一時期は瀬戸とブロマイドの売上げとかブログのアクセス数で競っていたことがあるんですよ。そのとき瀬戸自体には対抗意識とかはないけど、数字の上で負けると悔しいなって思ったりはしたよね(笑)。
瀬戸 そうだったんですか(笑)。
和田 最近ようやく、色々な所で、「D-BOYSって全員舞台を経験しているから、芝居がしっかりしているよね」ということを言っていただけるようになってきて。そういうイメージがもっと定着していくといいなと思っています。

――瀬戸さんはD☆DATEのメンバーとしても活動されていますが、俳優の世界から音楽ユニットという新たなフィールドに挑戦してみていかがでした?
瀬戸 不安がなかったといえば嘘になりますが、D☆DATEをやったおかげで自分自身の言葉や自分を出せるようになったことは大きいです。それまで芝居だけをやってきて、役のことや作品のことを話す機会はあっても、自分のことを説明する場所はなかったから。でも、D☆DATEでは、俳優では経験できないような現場でいろんな人と一緒に仕事をするうちに、コミュニケーションすることが楽しいなとか、もっと自分のことを出さないと伝わらないんだなとか、感じるようになって。あまりご飯にいったりするようなタイプではなかったのですが、現場の方や、D-BOYSメンバーとご飯を食べに行くようになったり、ブログとかのあり方も大きく変わっていったと思います。D☆DATEの活動を通じて、表現の幅が広がっていった気がします。

勤勉さと真面目さがD-BOYSの武器!今までのイメージをぶち破っていくのがこれからの課題

――それぞれのメンバーの役者以外の顔を、世間の人が知るきっかけにもなりましたよね。
城田 そういう場があることで、俳優同士の交流が増えたりすることもD-BOYSの良さではあると思います。ふつう俳優同士って同じ事務所内でも顔を合わせる機会ってあまりないんですよ。でも、それこそD☆DATEのライブがあればみんな観に行くし、D-BOYSでイベントをやろうってなればメンバーみんなで集まって話すし。Dステ(D-BOYSによる舞台公演)も定期的にあるから、みんなで競い合ったり協力し合える場がある。そういう意味ではとても恵まれた環境なんじゃないかと思います。

――先輩が後輩に芝居についてアドバイスすることもあるんですか?
和田 後輩が「ここどうしたらいいですか?」とか聞いてくることはありますね。ただ相手が一人前になったら、自分からアドバイスはしないです。
城田 むしろ俳優同士でそれをやるのはタブーな部分もあるよね。でも、若い後輩だったら、僕も言わなくちゃいけないと思うかもしれない。
和田 そういう指導してくれる存在って意味も含めて、初期のD-BOYSは経験のある先輩がいないことが、大変な部分でもありました。今でこそ“城田や瀬戸がいるD-BOYS”ってことで知ってもらえるけど、当時は誰も知らなかったから。
城田 マネージャーと自分たちとで、1からチャンスを掴みにいっていました。
和田 だからここからどうやって世に出ようかつねに葛藤していたし、必死でした。

――そんななかで、3人はこうして世に出てきたわけですが、自身のブレイクポイントを挙げるならどこだったと思います?
城田 僕はやはり『ROOKIES』(TBS系)でしょうか。今でもROOKIESのメンバーとは深い絆で結ばれているし、自分の中でも最も大変な現場だったので、チーム全体で支えあって乗り切った作品でした。また、実感として変化を感じたのはその前の『花ざかりの君たちへ〜イケメンパラダイス〜』ですね。このドラマに出ていた頃、とあるライブを観にいったら、周りのお客さんに気づかれまして。会場全体がザワザワしたので“アレ? 僕のこと知ってるの?”って初めて思ったんです。
和田 僕はやっぱりNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』です。お茶の間に「源ちゃん」として認知していただき、さらにその直後にTBS『オールスター感謝祭』で優勝したりと、色々な幸運も重なって、自分自身の変化を感じた瞬間でした。
城田 瀬戸は早かったよね。いきなり若手俳優の登竜門である『仮面ライダー』シリーズの主役をやったもんね。
瀬戸 そうですね。『仮面ライダーキバ』(テレビ朝日系)をやりながら、連続ドラマの『恋空』(TBS系)の主演もやらせていただきました。本当に大変な時期だったんですけど、その時はとにかく頑張らなくちゃいけないなって、必死でした。あとは、大河ドラマ『江』の森蘭丸も、ターニングポイントになった役だと思います。5話で織田信長と本能寺の変で死んでしまうのですが、世間的にも自分を知っていただくきっかけになったと思います。今年も『花燃ゆ』で再び大河ドラマに吉田稔麿を演じるので、勝負の年だなと思っています。
城田 朝ドラで言うと、僕も『純と愛』の存在は大きいですね。毎朝お茶の間に自分の姿を見てもらえますし。脚本家の遊川和彦さんとの出会いも『純と愛』でしたし、その出会いがあったから、今度スタートするドラマ『○○妻』(遊川和彦脚本)にも繋がっていきましたし。ご縁だなぁと。
和田 本当だね。
瀬戸 あとはNHK『グレーテルのかまど』ですね。もう3年もやらせていただいています!

――最近は、NHK連続テレビ小説『マッサン』に出演の堀井新太さんや、映画『ストロボ☆エッジ』で安堂くん役を務める山田裕貴さん、『烈車戦隊トッキュウジャー』(テレビ朝日系)で活躍している志尊淳さんなど、若い世代もどんどん勢いを増していますね。
城田 そうですね。僕らはとにかくゼロからのスタートで必死だったから、例えば誰かが連ドラのレギュラーに決まれば、それだけで大喜びしてみんなで応援しよう!って感じだった。でも今の若いD-BOYSは、ある程度キャリアのある先輩もいるし、ベースがある中でのスタートになるから、そこはすごくうらやましいし、だからこその大変さもあると思います。
和田 そうだね。志尊が『烈車戦隊トッキュウジャー』の主演に決まったときも、みんなあんまり驚かなかったもんね(笑)。僕らの頃だったら“戦隊の主演?すげー!!”って大騒ぎだったけど。ゲキレッドに決まった時のズッキー(鈴木裕樹)とか(笑)。
城田 Dステにしても当初は200人ぐらいのハコを満杯にできるかもわからない状態でした。みんなで10年かけて徐々に徐々に岩を削るようにやってきて、気が付いたら今のDステの形になり、何千人、何万人のお客様に観ていただける舞台になりました。
和田 しかも事務所の社長が演劇に対して本当に情熱を持っていて。だから個々でも演劇に対して勉強しようという意識が強いと思うし、その努力が10年間かけて形になったのかなと。
瀬戸 そう言えば和田さん、この前Dステ『駆けぬける風のように』で(文化庁)芸術祭の演劇部門で新人賞を受賞しましたよね。
和田 城田さん(ミュージカル『エリザベート』で2010年に受賞)に続きまして…おかげさまで(笑)。僕は「D-BOYSっていい俳優が揃ってるな、カッコいいよな」って、そんなふうに言われるような存在にしたい。そのための革命を起こしたいんですよ。その意気込みで、4月に主演を務めさせていただく、こまつ座『小林一茶』にも臨むつもりです。
城田 和田さん、情熱的だね!
和田 僕たち、真面目なんです(笑)。でも本当に。あとはこの情熱が10年をかけて、Dステを通じて演劇では結実しつつあると思います。あとは他のジャンル、ドラマや映画に向かっていけばいいと思うんですよ。そのための勤勉さと真面目さっていう武器がD-BOYSにはあるから、今後もそこを大事にしつつ、いろんな意味で今までのイメージをぶち破っていく。それがこれからのD-BOYSの課題ではないでしょうか。

(文:若松正子/撮り下ろし写真:草刈雅之)

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