今月16日に胃がんのため亡くなった俳優・児玉清(本名・北川清)さん(享年77)の通夜が20日、東京・文京区の護国寺桂昌殿でしめやかに営まれ、約900人が弔問に訪れた。
祭壇は白い菊、コチョウラン、バラ、ユリなどで飾られ、遺影には遺族が「表情がいい」と選んだ2007年の取材時の写真が使われた。法名は「修讀院釋清優」(しゅうとくいんしゃくしょうゆう)。通夜には阿部寛、松たか子、反町隆史・松嶋菜々子夫妻、司葉子、八嶋智人、谷原章介、玉木宏、タカアンドトシ、多部未華子ら著名人も多く参列し、天海祐希はあふれる涙をハンカチで押さえながら会場を後にした。
阿部は「信じられない。素晴らしい方で、いつもいい雰囲気を出してくれて、見守られながら撮影していました。またご一緒したいと思っていたし、お話もしたかった。亡くなったのも早すぎる……」と突然の死を悲しみ、「ああいう方は先輩方のなかでも数少ないと思うし、80代、90代まで仕事をしていてほしかった。児玉さんがこの世界に入った当時のお話、歴史を聞きたかった」と悔しさをにじませた。
また谷原は、TBS系番組『王様のブランチ』の司会のオファーがあった際、「タレントとして見られ、役者としての軸がブレるのではないか」との葛藤から、役者・司会者として活躍していた児玉さんに相談したことを明かした。児玉さんからは「残るものというのは、広くいろんな人に見てもらってこそ」とアドバイスされたといい、「僕なんかが児玉さんを目指すというのはおこがましいけど、毎週毎週積み重ねて、どこまでいけるか頑張ってみたい」と、その優しい人柄を思い起こしていた。
児玉さんは1934年生まれで東京都出身。東宝映画のオーディションで芸能界入りを果たし、映画『悪い奴ほどよく眠る』やドラマ『ありがとう』、『HERO』、『龍馬伝』など数々の作品に出演。一方で1975年4月のスタートからクイズ番組『パネルクイズ アタック25』(ABC・テレビ朝日系)で36年にわたり司会を務め、「アタックチャ〜ンス!」の掛け声とスマートな司会ぶりでクイズ司会者としても人気を集めた。
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祭壇は白い菊、コチョウラン、バラ、ユリなどで飾られ、遺影には遺族が「表情がいい」と選んだ2007年の取材時の写真が使われた。法名は「修讀院釋清優」(しゅうとくいんしゃくしょうゆう)。通夜には阿部寛、松たか子、反町隆史・松嶋菜々子夫妻、司葉子、八嶋智人、谷原章介、玉木宏、タカアンドトシ、多部未華子ら著名人も多く参列し、天海祐希はあふれる涙をハンカチで押さえながら会場を後にした。
阿部は「信じられない。素晴らしい方で、いつもいい雰囲気を出してくれて、見守られながら撮影していました。またご一緒したいと思っていたし、お話もしたかった。亡くなったのも早すぎる……」と突然の死を悲しみ、「ああいう方は先輩方のなかでも数少ないと思うし、80代、90代まで仕事をしていてほしかった。児玉さんがこの世界に入った当時のお話、歴史を聞きたかった」と悔しさをにじませた。
また谷原は、TBS系番組『王様のブランチ』の司会のオファーがあった際、「タレントとして見られ、役者としての軸がブレるのではないか」との葛藤から、役者・司会者として活躍していた児玉さんに相談したことを明かした。児玉さんからは「残るものというのは、広くいろんな人に見てもらってこそ」とアドバイスされたといい、「僕なんかが児玉さんを目指すというのはおこがましいけど、毎週毎週積み重ねて、どこまでいけるか頑張ってみたい」と、その優しい人柄を思い起こしていた。
児玉さんは1934年生まれで東京都出身。東宝映画のオーディションで芸能界入りを果たし、映画『悪い奴ほどよく眠る』やドラマ『ありがとう』、『HERO』、『龍馬伝』など数々の作品に出演。一方で1975年4月のスタートからクイズ番組『パネルクイズ アタック25』(ABC・テレビ朝日系)で36年にわたり司会を務め、「アタックチャ〜ンス!」の掛け声とスマートな司会ぶりでクイズ司会者としても人気を集めた。
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2011/05/20