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CM音楽の歴史から見えてくる戦後文化史

 資生堂の「サクセス、サクセス、」(宇崎竜童)や「時間よ止まれ」(矢沢永吉)、「君のひとみは10000ボルト」(堀内孝雄)など、数々のヒット曲を生み出したCM音楽ディレクターの大森昭男氏。そんな大森氏が手がけた膨大な量の仕事に光を当てながら、日本の広告文化を彩ったCM音楽にまつわるエピソードをひもといていく書籍『みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ-POP』が話題を呼んでいる。著者である田家秀樹氏に執筆に至った経緯や本書に込めた思いについて伺った。

話題の新刊書籍『みんなCM音楽を歌っていた
大森昭男ともうひとつのJ-POP』

「99年に『読むJ-POP 1945-1999』(後に『読むJ-POP 1945-2004』として文庫化)という戦後のレコード音楽の系譜を書いた本を出したんですが、それを読んだ作詞家の伊藤アキラさんから“CM音楽が抜けている”という指摘をいただいて、そういえばそれまでCM音楽というものについて全く意識していなかったことに気づいたんです」

 今回の著書『みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ-POP』に取り組んだ発端について田家秀樹氏はそう語るが、当初“CM音楽”というテーマに対して話を持って行った出版社数社の反応は悪く、また、本を書き上げるうえでの切り口探しにも難航していたという。そんな折、伊藤氏の紹介で出会ったのが、この物語の軸となる大森昭男という人物だった。大森氏は日本初のCM音楽専門ディレクターといわれる存在で、CMソングの父・三木鶏郎の弟子としてそのキャリアを開始している。三木鶏郎といえば、冗談工房など当時の俊才を集めた“場”を主宰し、1951年の民放ラジオ開局時に日本で初めてのCMソングといわれる「僕はアマチュアカメラマン」を作ったクリエイターだ。
 
 『みんなCM音楽を歌っていた大森昭男ともうひとつのJ-POP』
CMソング第1号生みの親といわれる三木鶏郎の弟子時代から現在まで、約2400曲ものCM音楽を手がけてきた大森昭男氏の仕事を軸に、戦後CM史に名を刻んだクリエイターや関係者延べ50人以上を3年にわたり取材。CM音楽およびCM制作の現場の舞台裏を浮き彫りにした貴重な一冊だ。「時間よ止まれ」など数多くの大ヒットCMソングの誕生秘話をはじめ、アーティストや作詞家、作曲家、演出家など表舞台のクリエイターからエンジニアやクライアントの宣伝担当者などの裏方に至るまで、大森氏とともにCM音楽に携わった人々によって語られるエピソードが、CM音楽史のみならず戦後カルチャーそのものの歴史を描き出す。四六版上製・448頁/徳間書店刊/1900円(税別)。



「鶏郎さんのことはもちろん記憶のなかにはありましたし、そのCMソングはほとんど歌えますが、普通の“音楽”としての認識はなかった。大森さんに会って話を聞いてその認識が変わり、本の構成についてもいっぺんに光が見えました」(田家氏・以下同) 大森氏の取材を通じて、田家氏は今まで気にも留めていなかったCM音楽の世界が、彼自身が歩んで来た道のりとあまりにもリンクしていることに気づく。

「この本には、音楽に関して僕が知らないことは書いていない。その事実の上に大森さんがいて、彼を軸に何が起こっていたかだけを探っているんです。だから大瀧(詠一)さんがあの時なぜ三ツ矢サイダーのCMソングをやったんだろうとか、矢沢(永吉)さんの「時間よ止まれ」がなぜできたのかといった疑問の答が、大森さんに聞くことでどんどんあぶり出されていくのが面白かったですね」

 田家氏がその昔、文化放送の『三ツ矢フォークメイツ』の構成を担当していた当時、大瀧詠一の“サイダー”を毎日スタジオで聴いていたという。著者自身が関わってきた過去の仕事における素朴な疑問が、大森氏の証言により次々に解き明かされる感動が、随所で筆致に現れているのもこの本の面白さだ。

 田家氏は大森氏を“異種交配”の才に長けた人と評しているが、当時まだ駆け出しだった数々の才能を引き合わせる触媒のような役割をまさに大森氏はたくさん果たしている。たとえば坂本龍一や糸井重里、川崎徹といった人々がそれぞれどのように他の才能と出会い、その後のビッグな仕事につながっていったのかが、彼らの生の証言を通してつぶさに読めるのも興味深い。

「“大森さんの話だったらしますよ”と坂本さんをはじめ、大貫(妙子)さんや矢野(顕子)さん、糸井さんなどどのクリエイターの方々にも気軽にお話してもらえました。それはおそらく彼らのキャリアの中でCM作品が重要な地位を占めているので、単にCMについて語るとかいうことではなく率直に語ってくれたのだと思います」

 確かに、大森氏がいなかったらYMOも生まれなかったのかもしれない──この本を読んでいるとそんな気がする。

 他にも大森氏所有の当時のマルチレコーディングテープやスタジオ表といった綿密な資料、そして総勢50人以上にもおよぶ人々の証言により、クリエイティブな現場の舞台裏での数々の出来事が一つひとつ紹介される。

 そしてもうひとつ、この本の大きな功績は三木鶏郎に光を当てたことだ。永六輔、野坂昭如、五木寛之など錚々たるクリエイターの師匠であるにも関わらず、今までほとんど語られていなかった。早くに引退し、自身の痕跡を消そうとさえしていたとも言われている人だが、三木鶏郎研究所に保存される膨大な資料をもとに、当時を知る人々の証言も絡めながら、“三木鶏郎再発見”に着手した功績は大きい。「鶏郎さんがビートルズを聴いて断筆宣言をしたというエピソードには感動しました。これだけで小説になるなと思いましたね」

 本書の結びで田家氏は、「広告音楽はまだ語られるべきことがたくさんある」と述べているが、戦後カルチャーを担った数多の才能を輩出してきた広告文化は、音楽のみならず映像やデザインなど様々な側面から光を当てることで、語られるべき面白いエピソードを数限りなくはらんでいることを、この本は教えてくれる。(取材・文/伊波達也)


 
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