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2016年お笑い界に訪れた“別れ”【下】 新喜劇の顔や物まねタレントなど訃報相次ぐ

 解散や引退など、さまざまな“別れ”が訪れた2016年のお笑い界だが、芸人たちの訃報も相次いだ。ここでは、天国へと旅立った5人の芸人たちの経歴やエピソードなどから、生前に多くの笑いを届けてきた彼らの功績を振り返りたい。

 タレントの前田健さんは4月26日未明、虚血性心不全のため44歳の若さで亡くなった。歌手・松浦亜弥の物まねで広く知られ、芸人としてだけでなく、NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』では結城秀康を演じるなど俳優としての顔も。そのほかにも、振付師や映画監督など多岐にわたって活躍していた。プライベートでも親交のあった後輩芸人のオードリー若林正恭(38)は、ラジオ番組で生前の思い出を回顧。「謙虚さが足りない」という忠告に、若林が自分の意見をぶつけたところ、前田さんは被っていた帽子をそっと脱いでみせたという。「それで、俺が前健さんに『めちゃくちゃハゲてるじゃないですか!』って言って…俺の机上の空論みたいな屁理屈を、ハゲ一発で吹き飛ばしてくれたんだよね」。

 9月27日には漫談家のテント(本名:三浦得生=みうら・とくお)さんが、交通事故により65歳で亡くなった。漫才コンビ「大空テント・幸つくる」でデビューすると、1981年の第12回NHK上方漫才コンテストで優秀賞を受賞。解散後はピン芸人として活動し、芸人仲間でも会うことがほとんどないことから“ツチノコ芸人”の愛称で親しまれていた。師匠で元タレントの上岡龍太郎さん(74)は、以下のようなコメントを発表した。「あまりに突然の衝撃的な出来事で、茫然(ぼうぜん)自失です。さすがの私も言葉がございません。最愛の弟子を亡くした気持ちをくみ取って、そっとしておいてください」。

 漫談家のチャンス青木さんは、先月29日に心不全のため死去した。72歳だった。1972年に宮城けんじに弟子入りし、77年に斎藤チャンスと「Wチャンス」を結成。83年にコンビを解消し、2008年にチャンス青木に改名。漫才協会の若手の指導役としても知られ、同協会の元理事でもあった青木さんだが、後輩芸人・ナイツのネタになるなど、後年はその愛くるしいキャラクターでも注目を集めた。

 新喜劇の顔として活躍してきた2人の芸人も天国へと旅立った。“竜じい”の愛称で知られる井上竜夫(本名・井上龍男=いのうえ・たつお)さんは、10月5日に高度肺気腫のため74歳でこの世を去った。和服姿で、足元がおぼつかないおじいちゃん役に扮して「おじゃましまんにゃ〜わ」のあいさつギャグなどで知られた。娘で歌手の井上実香は自身のブログで、「多分、お仕事が無かったらくしゃくしゃになっていたと思います。そうならないように父が力をくれたのだと思います。こんな風にお気づかいいただける生き方をした父に感謝です」と偲んだ。

 今月16日には、「大阪名物パチパチパンチ」などのギャグでおなじみの島木譲二さん(本名・濱伸二=はましんじ)が脳溢血のため72歳で亡くなった。元ボクサーの“コワモテ”のルックスから繰り出される「ポコポコヘッド」などの体を張ったかわいらしいギャグで、お茶の間の人気者だった。麒麟川島明(37)は、自身のツイッターで島木さんの男気あふれるエピソードを披露した。「15年前、収録終わりに営業出番があったのだが、収録がおして営業先に30分遅刻。社員に『島木譲二さんがつないでます、急いで!』と言われ走って舞台へ出ると舞台の上には数十個のへこんだ一斗缶が落ちていた。島木さんはカンカンヘッドだけで30分つないでくれていた。まさに男のロマンだった」。

 多くの人に愛され、惜しまれつつも亡くなっていった芸人たち。天国という新たな舞台で、きょうも笑いを届けていることだろう。



関連写真

  • 「大阪名物パチパチパンチ」などのギャグでおなじみだった島木譲二さん (C)ORICON NewS inc.
  • 前田健さん (C)ORICON NewS inc.

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