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鶴久政治、チェッカーズ時代も解散後も「空気みたいな存在…」と自虐

 1980年代から90年代にかけて活躍した7人組ロックバンド・チェッカーズでサードボーカルを務めていた鶴久政治が、30日放送のテレビ朝日系『しくじり先生 俺みたいになるな!! 3時間スペシャル』(後7:00〜9:48※一部地域では放送時間が異なる)に出演し、自らの“しくじり”をネタに授業を行うことが15日、わかった。国民的人気を博していた当時、「自分はチェッカーズにとって、いてもいなくてもいい空気みたいな存在だった」と語る鶴久。チェッカーズのメンバーにある“リクエスト”を熱く呼びかける。

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 チェッカーズは、福岡県久留米市で結成され、1983年にデビュー。メインボーカルに2人のサイドボーカルと、ギター、ベース、ドラム、サックスで構成されていた。84年、デビューシングル『ギザギザハートの子守唄』、セカンドシングル『涙のリクエスト』、そしてサードシングル『哀しくてジェラシー』の3曲が、『ザ・ベストテン』(TBS)に同時ランクインするほど大ブレーク。髪型を若者たちがこぞってマネするなど、その人気は当時の社会現象にまでなった。

 実は、鶴久がチェッカーズに加入した当初は、サイドボーカルではなく、自分がメインで歌う曲もあり、“4人いるメインボーカルのひとり”というポジションだったという。ところがデビューが決まったとたん、鶴久の知らないところでスタッフがメインボーカルを決定。レコーディング当日、鶴久はアマチュア時代に自分がメインで歌っていた曲のパートを見て、がく然とする。歌うのは「♪う〜♪わ〜♪ だけだった!」と明かす。

 ところが、サイドボーカルになるとわかった鶴久は不満を言うどころか、「楽だし、まぁいっか!」と、そのポジションに納得し、主張しない、意見を言わない“事なかれ主義キャラ”となり、この時から“空気状態”の長く苦しい人生がはじまったと、自己分析する。

 番組では、その苦難の道のりをシルクロードならぬ「鶴(ツル)苦(ク)ロード」と名づけ、サイドボーカルになってからの悲しい事件の数々を教壇で暴露する。チェッカーズ解散後は仕事が激減。さらにきつい“空気人生”を送るハメになったと振り返る。

 チェッカーズは、デビュー10年目の1992年の大晦日、『NHK紅白歌合戦』への出場を最後に解散。当時、鶴久は「どうせ再結成するっしょ!」という淡い期待を抱いていたという。ところが、そんな彼の願いを打ち砕く、重大事件が次々と発生する。解散から23年、チェッカーズ再結成はかなわないままだが、鶴久は「空気のような存在だった自分だからこそできることがある!」と、チェッカーズのメンバーに向けて思いの丈をぶちまける。



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