昨年12月26日に間質性肺炎のため亡くなった、老舗芸能事務所「新栄プロダクション」会長・西川幸男さん(享年87)の本葬が4日、東京・西浅草の東本願寺で営まれ、約1000人が参列した。デビュー時、同事務所に所属していた演歌歌手・北島三郎(76)が弔辞を述べ「思い出がたくさん。今では私の大事な宝物。会長の教えをもとに、体が続く限り、この道を歩き続けます。見守って下さい」と育ての親に最後の別れを告げた。
デビュー前の1961年に行った「なみだ船」(1962年発売)のレコーディング時、師匠と慕う作曲家の船村徹氏(80)から紹介されたのが、西川会長との初対面だったという北島は「『大野穣(※北島の本名)です、よろしくお願いします』と言ったら、優しい笑顔で『よろしく』と手を握ってくれた。あれが運命の出会い。立派な芸名をいただき、デビューさせてもらった」と感謝。
西川会長が亡くなる2年前のやりとりが最後の会話で「会長と電話して、『北島くん、俺は歌謡界に御大と呼ばれる村田英雄と北島三郎の二人の歌手を育てたことを誇りに思う』と言われたことがうれしく思った。名残はつきませんが、見守って下さい」と遺影に語りかけた。
昨年5月に長良プロダクションの会長、長良じゅんさんもこの世を去るなか、北島は「自分を育ててくれた西川会長もそうですけど、みんなが旅立っていくと思うと、人間、旅立つのか、と。年取ると思いましたよね」と神妙な面持ちで語り「学んだことを大事に、守っていかないといけない」と唇をしっかりとむすんでいた。
北島と同じく弔辞を述べた作曲家で歌手の岡千秋は「作曲家でこの世界に生きているのは会長のおかげです。ここまで育ててもらった御恩は生涯忘れません。ありがとうございました」と涙を拭いながら頭を深々と下げた。
喪主は同プロ社長の長男・賢氏、葬儀委員長は作曲家の船村氏が務めた。葬儀・告別式には西川会長の前妻で女優の五月みどりや徳光和夫、浅香光代、大月みやこ、細川たかしらが多数参列した。
デビュー前の1961年に行った「なみだ船」(1962年発売)のレコーディング時、師匠と慕う作曲家の船村徹氏(80)から紹介されたのが、西川会長との初対面だったという北島は「『大野穣(※北島の本名)です、よろしくお願いします』と言ったら、優しい笑顔で『よろしく』と手を握ってくれた。あれが運命の出会い。立派な芸名をいただき、デビューさせてもらった」と感謝。
西川会長が亡くなる2年前のやりとりが最後の会話で「会長と電話して、『北島くん、俺は歌謡界に御大と呼ばれる村田英雄と北島三郎の二人の歌手を育てたことを誇りに思う』と言われたことがうれしく思った。名残はつきませんが、見守って下さい」と遺影に語りかけた。
昨年5月に長良プロダクションの会長、長良じゅんさんもこの世を去るなか、北島は「自分を育ててくれた西川会長もそうですけど、みんなが旅立っていくと思うと、人間、旅立つのか、と。年取ると思いましたよね」と神妙な面持ちで語り「学んだことを大事に、守っていかないといけない」と唇をしっかりとむすんでいた。
北島と同じく弔辞を述べた作曲家で歌手の岡千秋は「作曲家でこの世界に生きているのは会長のおかげです。ここまで育ててもらった御恩は生涯忘れません。ありがとうございました」と涙を拭いながら頭を深々と下げた。
喪主は同プロ社長の長男・賢氏、葬儀委員長は作曲家の船村氏が務めた。葬儀・告別式には西川会長の前妻で女優の五月みどりや徳光和夫、浅香光代、大月みやこ、細川たかしらが多数参列した。
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2013/02/04