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敦盛の首塚も!源平ゆかりの古刹・神戸市「須磨寺」


かつて日本で歴史に名を刻むような大きな戦が行われました。それは「源平合戦」です。平家か、源氏か日本中を巻き込むような大きな戦となりました。軍記物語「平家物語」や漫画、小説、ドラマの題材にもなる「源平合戦」を今も伝えるお寺があります。それが兵庫県神戸市にある「須磨寺」です。今回は須磨寺を紹介させていただきます。

須磨寺について

写真:Masahiro Tokito

須磨寺は、兵庫県神戸市須磨区にある仏教寺院のことです。由緒としては、平安時代の初めに、漁師が和田岬の沖で引き上げた聖観音像を886年に聞鏡上人が本尊としてお祀りしたのが始まりとされています。正式名は上野山福祥寺(じょうやさんふくしょうじ)。「源平ゆかりの古刹」として有名なお寺です。

源平の庭

写真:Masahiro Tokito

須磨寺に入るとすぐ目に飛び込んでくるのが「源平の庭」です。「一ノ谷の戦い」の名場面が表現されています。「一ノ谷の戦い」とは、平安時代の末期、西暦1184年3月20日に摂津国福原および須磨で行われた源平合戦の中の戦いです。有名なところでいうと、源義経がその名を轟かせた戦でもあります。

写真:Masahiro Tokito

この須磨寺の庭園で大きく描かれている「源平の庭」ですが、平家側として登場しているのが「平敦盛」です。平家の若武者として17歳にして初陣だったのですが、源氏の勢いに負け、撤退をする中、源氏側の熊谷直実に呼び止められます。そして一騎打ちの末、打ち取られてしまうというお話しです。笛の名手としても有名で祖父・平忠盛が鳥羽院より賜った『青葉』という笛を譲り受けており、この須磨寺には寺宝として残っています。

写真:Masahiro Tokito

そして、対するこちらは「熊谷直実」。
手柄を挙げるべく、良き敵を探し求めていた直実は、波際を逃げようとしていた平家の公達らしき騎乗の若武者を呼び止めて一騎討ちを挑みます。直実が首を取ろうとすると、敦盛が自分の子供と同じぐらいの年齢であることに驚きます。直実は敦盛をを逃がすことも考えますが、「ここで見逃しても源氏の誰かに討たれてしまうだろう」と考えました。「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を獲ったという話です。

あつもり首塚

写真:Masahiro Tokito

「源平の庭」にあるようにわずか17歳にして戦で命を落とした「平敦盛」。熊谷直実が敦盛を助けようと名を尋ねますが、敦盛は「お前のためには良い敵だ、名乗らずとも首を取って人に尋ねよ。すみやかに首を取れ」と答え、直実は涙を流しながらに敦盛の首を切ったという悲話は多くの人に語り継がれます。

写真:Masahiro Tokito

平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものがこちらの「あつもり首塚」です。この『平家物語』の名場面ともいわれる敦盛と直実の話は、のちに能『敦盛』や幸若舞『敦盛』、文楽・歌舞伎『一谷嫩軍記』などの題材となり多くの人が知ることとなります。
何より、織田信長の好んだ歌「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか 」は幸若舞『敦盛』の一節だったりもします。多くの時代劇で織田信長が登場する際は、よく幸若舞『敦盛』を舞うシーンが描かれます。

源氏側のゆかりのもの

写真:Masahiro Tokito

境内にあるこちらの池は「敦盛公首洗いの池」です。首実検の前に敦盛公の首を洗い清めたとされる池です。今見ると本当にふつうの池です。

写真:Masahiro Tokito

こちらは「義経腰掛けの松」です。一の谷の合戦後、源義経公はこの松に座って敦盛公の首と笛を確認されたそうです。今もこうして義経が腰を掛けたとされる松が残っています。

おわりに

源平ゆかりの地として有名な須磨寺。広い境内を持つお寺ですが、そこには数多くの源平ゆかりのものが残されています。かつての日本で行われた源平合戦を今に伝える須磨寺で歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

■関連MEMO
須磨寺
http://www.sumadera.or.jp/

【トラベルjpナビゲーター】
Masahiro Tokito

提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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