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  • 流行りモノ調査隊 ♯65 『手塚治虫生誕80周年』
流行りモノ調査隊 流行りモノ調査隊
#065 今週の急上昇キーワード(更新日:2008/10/21)
手塚治虫生誕80周年
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今回の調査内容
Movie
映画『MW-ムウ-』最新情報
手塚治虫のプレイリストを再現!?したドキュメンタリーCD発売
「マンガの神様」のドキュメンタリーがDVD化!
Town
高田馬場駅ガード下の壁画が復活!
高田馬場駅周辺の地域通貨「アトム通貨」は5周年!
第3回 アトムが案内!”すぐそこ新座”発見ウォーキング開催(埼玉県新座市)
切符でアトム?!使用済み切符を使った「切符deアート」最新作
Exhibition
「手塚治虫生誕80周年記念展 手塚治虫の遺伝子 闇の中の光 展」@渋谷パルコ
(10月24日〜11月10日)
「手塚治虫ファン大会2008 in早稲田」@早稲田大学 大隈講堂
「私(鈴木伸一)が案内する 横山隆一・手塚治虫 二人展」@杉並アニメーションミュージアム
Museum
宝塚市手塚治虫記念館/KYOTO手塚治虫ワールド
Manga・Animation
インターネットテレビbranco「手塚治虫アニメワールド」オープン
手塚治虫生誕80年・ビッグコミック創刊40周年記念「手塚治虫の収穫」全11巻刊行
手塚治虫のプロフィール
手塚治虫ファン、早稲田に集まれ
★「手塚治虫ファン大会2008 in早稲田」@早稲田大学 大隈講堂

(C)Tezuka Productions
(C)Tezuka Productions
手塚治虫生誕80年、そして早稲田・高田馬場の地域通貨「アトム通貨」5周年を記念して開催される「手塚治虫ファン大会 in 早稲田」。

 「手塚治虫ファン大会」は、1979年に第1回が開催された、歴史あるイベント。手塚治虫とファンの交流を目的に、公式ファンクラブの設立に合わせて開催されたものだ。ちなみに、公式ファンクラブは、手塚氏が亡くなってからも途絶えることなく活動を続けている。現在の会員数は約2000人。最新の手塚情報や会員からの投稿などを多数掲載した会誌を月一回発行している。

 「超多忙の手塚先生が登場して講演をしたり、プライベートなフィルムやアニメーションの上映が行われたり、毎回大盛況だったそうです」と当時の様子を話してくれたのは、手塚プロダクション・ファンクラブ担当の田崎陽大さん。しかし、1983年の第4回大会が、存命中に行われた最後のファン大会となってしまった。

 それが、3年前の2006年12月、23年ぶりに復活。生前の手塚氏をよく知る人々が思い出を語ったり、秘蔵映像を上映したりと盛りだくさんの内容で、手塚氏の不在を感じさせないイベントを作り上げた。昨年も同様のファン大会が催され、いよいよ今年は早稲田大学の大隈講堂を会場に、よりスケールアップして開催される。

 22日、13時からのステージイベントでは、漫画家のちばてつやさん、水野英子さん、『リボンの騎士』担当編集者の丸山昭さんらゲストによるトークイベント、クイズ大会、アニメ・実写映像上映など、来年公開される手塚作品が原作の映画『MW -ムウ-』の予告編上映などが予定されている。参加費は無料。

 ステージイベント終了後には、ファンと手塚プロダクションスタッフの交流イベント「懇親会」もある。こちらは有料(3500円、当日会場にて支払い)。

 年齢、性別を問わず参加できるが、いずれも事前に申し込みが必要。応募方法は、はがき・FAX・メールで、10月31日(金)必着。

参加方法などの詳細はファン大会公式ページ>>


手塚治虫ファン大会2008 in早稲田
開催日:2008年11月22日(土)
開催時間:ステージイベント 13:00〜18:30
             懇親会(希望者のみ・参加料3500円) 19:00〜21:00
会場:東京都新宿区西早稲田1−6−1 早稲田大学 大隈講堂
※懇親会は早稲田大学構内の大隈ガーデンハウスにて開催
これだけは知っておきたい、手塚治虫
★手塚治虫(Tezuka Osamu)

 本名、治。1928年11月3日、大阪府豊中市生まれ、5才から兵庫県宝塚市に育つ。大阪府立池田師範付属小学校から、1941(昭和16)年に北野中学(現大阪府立北野高等学校)に進む。同年12月8日より太平洋戦争が始まる。1945(昭和20)年に卒業。その年の8月15日に終戦。

 1946(昭和21)年、大阪大学医学専門部に入学、1951(昭和26)年卒業。同大学付属病院にインターンとして勤務。1960(昭和35)年、“タニシの異型精子細胞の膜構造における電子顕微鏡的考察”の研究論文で医学博士の学位をとる。

 その一方で、1946年1月に、毎日小学生新聞に「マアチャンの日記帳」で漫画家デビュー。翌年、酒井七馬原作・構成、手塚治虫画「新宝島」(育英出版)が40万部を売る大ヒットに。1950(昭和25)年より漫画雑誌に「ジャングル大帝」、「アトム大使」(のちに鉄腕アトムとなる)、「リボンの騎士」「火の鳥」と次々に発表し、日本のストーリー漫画の確立に尽くす。

 1961(昭和36)年、虫プロダクションを設立、アニメーションの世界に乗り出し、第一作「ある街角の物語」を制作。毎日映画コンクールで創設された初代の大藤賞を受け、ブルーリボン賞、芸術祭奨励賞を獲得した。1963(昭和38)年、日本初のTVアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、アニメーションの世界でも、大きな業績を残す。

 私生活では1959(昭和34)年に結婚。1961年に長男・真(手塚眞、手塚プロダクション取締役、ビジュアリスト)、1964(昭和39)年に長女・るみ子(プランニングプロデューサー、地球環境運動家)が誕生。

 1970年代から80年代にかけては、「ブラック・ジャック」「三つ目がとおる」「ブッダ」「陽だまりの樹」「アドルフに告ぐ」など、青年向け漫画の傑作が多数生まれた。

 1989(平成元)年2月9日、満60才で亡くなるまで、第一線で作品を発表し続けた。『手塚治虫全集』(講談社)は全400巻におよび、作品数は500を超える。その功績から「漫画の神様」と評された。

公式サイト「Tezuka Osamu@World」2008年11月3日リニューアルオープン!>>
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