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異色の“Uターン芸人”誕生へ 秋田出身コンビ・ねじが胸に刻むオードリー若林の金言

 春は出会いと別れの季節。かなえたい夢を持って、地元から上京する人も数多くいるだろうが「生まれ故郷の秋田と東京をつなげたい」という志をもった芸人がいる。せじも(35)とササキユーキ(35)による、お笑いコンビ・ねじ。故郷を捨てるつもりで上京してきた2人が、この春から秋田で本格的に活動する決断をした。一体どうやって、秋田の魅力を発信していくのか。2人にその真意を聞いた。

地元・秋田での挑戦を語ったねじ (C)ORICON NewS inc.

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■高校時代に出場した『M-1』が転機に 一度は否定した“秋田弁”をネタに取り入れるまで

 一昨年の甲子園で「金農旋風」を巻き起こした金足農業高校の同級生だった2人。ササキがお笑い芸人を志した時、近くに理解者がいたことが運命を変えた。「担任の先生が熱い方で、僕がお笑い芸人になりたいと言ったら、すぐに『M-1グランプリ』のエントリー用紙を持ってきたんですよ。『お前にチャンスを持ってきたぞ』という名言とともに(笑)。ちょうど『M-1』が始まった年で、先生が『学校休んでもいいから行ってこい』と言ってくれて、相方と仙台予選に出たんですけど、それが衝撃的に楽しくて。これを将来やりたいなと2人とも思いました」。

 それから程なくして上京することになるが、ササキは強い決意を持って秋田を飛び出した。「語弊を恐れずに言うと、秋田が嫌いで出ていったんです。『お笑いをやりたい』って思った時も、地元ではそういったことを言いにくい雰囲気があり、芸人になる方法もわからなくて、夢を見られない環境だなと感じました。本当にひどい話なんですけど、高校時代の友だちの連絡先を全部消して、全部捨てて東京でやるんだっていう気持ちで上京したんです」。

 上京後、ササキは東京アナウンス学院に入学したが「1年くらい経ったタイミングで、急にコントをやりたくなりまして。そこで考えついたのがトリオでのコントだった。だから、もう1人必要だなということで、トリオとしての活動を始めました」。同学院がきっかけで、現在の所属事務所であるケイダッシュステージと出会って、本格的にプロの芸人としての歩みを始めた。

 2010年に追加で入ったメンバーが脱退したことから、コンビ名を「ねじ」に変更。2人に戻ったことで、それまでは“あえて”やってこなかった秋田色を出したネタに向き合うことになった。「やっぱり、秋田が嫌いで出てきたっていうこともあったので、どうしてもネタに秋田弁を取り入れることに抵抗があったのですが、自分のおじいちゃんの話をする時に秋田弁を話すと、すごくウケが良かったんです。コンビになって改めて2人で勝負しなきゃっていう時に、自分たちの武器はなんだろうって考えました。ある意味、イチからのやり直しになるので、追いつかないといけないっていう時に、今すぐ勝負できるものはなにかと考えたら秋田弁だという結論にいたりました」。

オードリーとのけいこ経験がプラスに トム・ブラウンアイデンティティのブレイクへの喜びと焦り

 この頃、同じ事務所のオードリーとけいこ場でともに芸を磨いていた。「オードリーさんが売れる前、僕たちがトリオの末期くらいの頃に、一緒に夜通しネタ作ったり見せあったりしていて、それがすごくいい経験でした。その時に若林(正恭)さんの言葉で忘れられないものがあって。『手前にボールを投げようとすると、届かないことがあるから、もっと先の壁をめがけるつもりで投げたら、手前の壁は絶対にぶち破ることができるよ』とおっしゃったんです。それがずっと僕の中にあって、今やっていることの先の先くらいを見据えていないといけないなと、今でも胸に刻んでいます」。

 秋田弁を取り入れたネタを披露し、手応えを実感しながらも、今ひとつ爆発的なブレイクにつながらない中、自分たちの周りに2つの大きな変化が起きた。ササキは「ひとつはトム・ブラウンが2018年の『M-1』をきっかけにブレイクしたこと。僕はみちおくんと家が近くて本当によく遊んでいて、大事な大会の前には必ず銭湯に行っていたんです。だから『M-1』決勝の前にも行ったんですけど、なんか複雑でしたね」となんとも言えない表情を浮かべた。

 「うれしい気持ちはもちろんありましたけど、同い年で芸歴も同じくらいで、これからどうやって自分たちを売り出していくか、そういうことを毎日のように話しながらやってきて。いよいよあした『M-1』決勝っていう時は、何か泣いちゃって、その時はすっごく複雑でした。一緒にやってきて頑張れよっていう気持ちだったので、うれしい気持ちもあるけど、自分たちはどうなんだろうって思うところもあったりして…」

 もうひとつは、アナウンス学院でともに学習していた“同士”であるアイデンティティのブレイクだった。「実は、アナウンス学院の同期で未だに残っているコンビは僕たちしかいないんです。ペンギンズのノブオも同期なんですが、昔はノブオがまだ違う相方だった頃に3組でユニットライブをやったりしていて。それが、いつの間にか2組とも大変身してブレイクしちゃって。その時に何か変な焦りがあって、オレたちも何か変身しないといけないかなって、焦りと迷いが同時にくる感じがありました。でも、変えなかったトム・ブラウンがいくみたいな例もあるし、こればかりは未だにわかりません」。

■採算度外視で立ち上げた“秋田プロジェクト” 地元に根付かせるお笑い文化

 次は自分たちが…という強い気持ちを持って、一昨年の年末から“秋田プロジェクト”を立ち上げ、事務所と水面下で交渉を進めていった。「まずは秋田の人たちにねじを知ってもらおうと、去年の年明けからYouTubeで月15本以上を目標に動画をアップしていきました。そして、9月と10月の2ヶ月間、2人で共同生活をしながら、その間は秋田内のイベントであれば無料で出ますというキャンペーンを行いました」。採算度外視の一手には「まずは僕たちのことを知ってもらいたいという気持ちと、秋田でお笑いイベントをやる土壌がなかなかないので、無料で見てもらう機会を作りました」と万全の準備を整えた…はずだった。

 「いざ始めてみると、いろいろなことがわかりまして(苦笑)。まずは生活費なんですが、東京の住まいの家賃はきちんと貯めていたのですが、秋田の共同生活でも家賃が必要だと気づきまして、クラウドファンディングでお願いしました。そうすると、お金を出していただいた方々へのお返しとして何をしたらいいかと考えて、だったら単独ライブをやろうと。でも、ここにも会場費がかかって…当たり前ですが、いろんなところにお金がかかりますね」

 地元の秋田に戻って2ヶ月間、確実に変化は起きていた。「ほぼ毎日イベントなどに出させていただいて、60ステージ以上はありました。東京よりも明らかに多いですね。秋田に行く前までは半分くらいしか予定が埋まってなかったのですが、住みだしてから1週間くらいかけて、いろんなところに顔を出していったら、雪だるま式に来てくださる人が増えていきました」。秋田での活動の集大成として行った単独ライブも大盛況のうちに終わるなど、“ねじ”が秋田でピタリとハマりそうな機運が高まってきた。

 そこで、2人はこの春から新たな一歩を踏み出すことに決めた。「2ヶ月間で感じたのは、県内のニュースに取り上げていただいて、大きな反響もあって、とてもありがたいということと、今度は秋田から全国のニュースになるようなことを発信していきたいということでした。そこで、事務所の方と話をする中で、今度はお米を作るところから僕たちが携わって、笑いと農業をかけ合わせたら面白いんじゃないかと考えました」。米作りのプロたちの力を借りながら、秋田と東京をつなぐための活動を行っていく。

 「もっと先の壁をめがけるつもりで…」。あの時、若林が発した一言が今回の活動にあたって大切なキーワードとなっている。「米作りと笑いを並行する芸人って面白そうだなというのはありますが、そこから派生して、米をイチから作って収穫して単独ライブをするという流れが来年以降も続いて、恒例のイベントになったらいいですね。同じ秋田出身の高橋優さんが地元でフェスをやったりとかしていますが、お笑いを見るチャンスはまだないので、僕たちができるのはそこかなと。お笑いでのフェスみたいなことができて、定着させたいです。秋田は海外ではないですが、逆輸入みたいに、秋田で注目されて東京で人気になれたらうれしいですね」。異色の“Uターン芸人”誕生に向け、ねじが大きな一歩を踏み出す。

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