2月21日に急性心不全のため亡くなった俳優・大杉漣(本名・大杉孝=おおすぎ・たかし)さん(享年66)のお別れ会『さらば!ゴンタクレ』が14日、東京・青山斎場で営まれた。弔辞に親交の深かった草なぎ剛、木村佳乃、高橋伴明監督、参列者に北野武、中村獅童、稲垣吾郎、大杉さんの遺作となったテレビ東京系『バイプレイヤーズ』シリーズで共演してきた遠藤憲一、田口トモロヲ、松重豊、光石研が参列。ファンら合わせて約1700人が最後の別れを惜しんだ。
大杉さんと『僕の生きる道』『任侠ヘルパー』『スペシャリスト』『嘘の戦争』など数多くの作品で共演した草なぎ』は「漣さんいなくなってもう2ヶ月ですね。そっちの生活はどうですか。たぶん漣さんのことだから、すぐみんなと仲良くしているんでしょうね。残された僕らはそのまま時が止まって、整理がつかず、本当困ったもんですよ。どうしたらいいかわからないしさ」と今の心境を吐露した。
高橋監督は「君との出会いは約40年前。『面白い奴がいる』と聞いてお芝居を観に行き、ひと目見て気に入って出演交渉をした」と大杉さんとの出会いを振り返り、「大杉、君はもう踏ん切りついたのか、納得できたのか? もしそうなら俺も踏ん切りをつけるよ。若い多くの俳優に希望を残してきた」と功績を称えた。
お別れ会後の囲み取材では、椎名桔平、村上信五、加藤茶、高橋克典、山本耕史らも大杉さんの別れを惜しんだ。椎名は「漣さんのサッカーチームでサッカーをしたり、何度も共演しました。嫌いな人はいないんじゃないかというぐらい、役者に愛されている人でした。いつも明るく必ず声を掛けてくれる」と人柄を語り「去年、『バイプレイヤーズ』のドラマでゲスト出させてもらい、それがお会いしたのが最後でした。その時の光景が蘇ってきました」と振り返った。
加藤は「一緒にいると長さん(いかりや長介さん)と一緒に仕事をしているような気がしました。すごく大きい人」と言い、山本も「会う度に年下の後輩である僕らにも優しく接してくれた。こんなこと言ったら失礼かも知れないけれど、友達のようでお兄さんのようで、いろんな顔をもっている大先輩でした。もっともっと一緒にお芝居したかったです」と多くの人に愛されていたことを語った。村上信五も顔を真っ赤にして、涙ながらに故人をしのんだ。
最後に大杉漣さんの長男で写真家の隼平氏は「多くの方々が来てくれて父も喜んでいると思います。父として、人として尊敬しており、失ってみてどれだけ好きだったのか痛感しました。一生懸命最後まで生きていた人だと思います」とコメントした。
お別れ会の祭壇には、ゆかりの品として大ファンだったサッカーチーム「徳島ヴォルティス」の年間パスと愛用のメガネと帽子が。大杉さんが創設したサッカーチーム「鰯クラブ」のユニフォームも見られた。
大杉さんの戒名は「優月院漣奏球孝信士(ゆうげついんれんそうきゅうこうしんじ)」。「月を見て偲びたい」「漣は親しんだ芸名」「球は愛したサッカー」「孝は生まれたときからの名」という思いで、月、漣、球、孝を希望したといい、これに「優しい人柄であり、俳優の“優”を」「表現する・演奏するの“奏”」を加えたという。月の光のように穏やかに輝いていたという意味も込められた。
★YouTube公式チャンネル「ORICON NEWS」
大杉さんと『僕の生きる道』『任侠ヘルパー』『スペシャリスト』『嘘の戦争』など数多くの作品で共演した草なぎ』は「漣さんいなくなってもう2ヶ月ですね。そっちの生活はどうですか。たぶん漣さんのことだから、すぐみんなと仲良くしているんでしょうね。残された僕らはそのまま時が止まって、整理がつかず、本当困ったもんですよ。どうしたらいいかわからないしさ」と今の心境を吐露した。
高橋監督は「君との出会いは約40年前。『面白い奴がいる』と聞いてお芝居を観に行き、ひと目見て気に入って出演交渉をした」と大杉さんとの出会いを振り返り、「大杉、君はもう踏ん切りついたのか、納得できたのか? もしそうなら俺も踏ん切りをつけるよ。若い多くの俳優に希望を残してきた」と功績を称えた。
お別れ会後の囲み取材では、椎名桔平、村上信五、加藤茶、高橋克典、山本耕史らも大杉さんの別れを惜しんだ。椎名は「漣さんのサッカーチームでサッカーをしたり、何度も共演しました。嫌いな人はいないんじゃないかというぐらい、役者に愛されている人でした。いつも明るく必ず声を掛けてくれる」と人柄を語り「去年、『バイプレイヤーズ』のドラマでゲスト出させてもらい、それがお会いしたのが最後でした。その時の光景が蘇ってきました」と振り返った。
加藤は「一緒にいると長さん(いかりや長介さん)と一緒に仕事をしているような気がしました。すごく大きい人」と言い、山本も「会う度に年下の後輩である僕らにも優しく接してくれた。こんなこと言ったら失礼かも知れないけれど、友達のようでお兄さんのようで、いろんな顔をもっている大先輩でした。もっともっと一緒にお芝居したかったです」と多くの人に愛されていたことを語った。村上信五も顔を真っ赤にして、涙ながらに故人をしのんだ。
最後に大杉漣さんの長男で写真家の隼平氏は「多くの方々が来てくれて父も喜んでいると思います。父として、人として尊敬しており、失ってみてどれだけ好きだったのか痛感しました。一生懸命最後まで生きていた人だと思います」とコメントした。
お別れ会の祭壇には、ゆかりの品として大ファンだったサッカーチーム「徳島ヴォルティス」の年間パスと愛用のメガネと帽子が。大杉さんが創設したサッカーチーム「鰯クラブ」のユニフォームも見られた。
大杉さんの戒名は「優月院漣奏球孝信士(ゆうげついんれんそうきゅうこうしんじ)」。「月を見て偲びたい」「漣は親しんだ芸名」「球は愛したサッカー」「孝は生まれたときからの名」という思いで、月、漣、球、孝を希望したといい、これに「優しい人柄であり、俳優の“優”を」「表現する・演奏するの“奏”」を加えたという。月の光のように穏やかに輝いていたという意味も込められた。
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2018/04/14