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三中元克、『めちゃイケ』への感謝と後悔 ピン芸人として再出発誓う

 今年3月をもって21年半の歴史に終止符を打つフジテレビ系バラエティー番組『めちゃ×2イケてるッ!』(毎週土曜 後7:57)。数々の人気企画を生み出し、日本のバラエティー史に名を刻んだ人気番組に、2010年の新メンバーオーディションで“素人”として加入したのが三中元克(27)だ。「三ちゃん」の愛称で親しまれながらも、2016年2月に『めちゃイケ』を離れてしまった三中。その後、お笑いコンビ・dボタンを結成したが、コンビを解散し、今月からピンでの活動をスタートさせた。「揺れる青ジャージ」三中に、今の思いを聞いてみた。

『めちゃイケ』への感謝と後悔を語った三中元克 (C)ORICON NewS inc.

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■プロレス企画で「頭がパニックに…」 新春SPでの岡村の“イジり”に感謝

 2010年10月に生放送で新メンバー合格が発表された瞬間、めちゃくちゃうれしかったんですけど、そこが絶頂でした。発表直後に記者会見をやるとなった時には「来週から皆さんと一緒にやっていくのか」という不安な気持ちが襲ってきました。もちろん、メンバーやスタッフの皆さんは温かく迎え入れてくださって「そのままの三ちゃんでいいよ」とやさしい言葉をかけてくれたんですが、ありのままの自分をどうやって出せばいいのかわからなかった。そういえば、最初の収録で(同じ新メンバーの)ジャルジャルさんに「サインください」って頼んだことがあって(笑)。僕にとって、お2人はすでにテレビに出ている憧れの人だったから。今思えば、そういう素人っぽさを求められていたのかもしれないですね。

 2013年9月から1年間、静岡県の足柄サービスエリア内のお店『めちゃイケサービスエリア』で総支配人として働かせてもらいました。それからすぐ、みちのくプロレスに入団することになりました。もともと格闘技にあまり詳しくなくて、ドッキリでいきなり入団という流れだったので、正直なところ気持ちの整理がつかない部分もありました。でも、それは言い訳で、僕にとって大きなチャンスだと思って、企画を成功させたいと頭では思っていましたが、日に日に厳しくなるトレーニングに体が追いつかなくなってしまいました。

 当時は番組と日常の境界線みたいなものを自分で作れず、頭の中がパニック状態でした。みちのくのコーチの皆さんも練習では厳しいですが、とてもやさしかったので、結果的に投げ出す形になってしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。そして『めちゃイケ』の看板に泥を塗ってしまい、本当に迷惑をかけたなと反省しています。僕はずっと岡村隆史さんに憧れていて、いつかは『オファーシリーズ』をやりたいと思っていました。足柄とみちのくプロレスは、冷静に考えると『オファーシリーズ』とほぼ同じような状況だったので、せっかく与えてもらったチャンスをモノにできなくて、情けなさしかありません。

 そこから、高校の同級生だった臼杵寛とコンビを結成して、2016年2月に今度は素人ではなく“芸人”として『めちゃイケ』の再オーディションを受けることになりました。視聴者の皆さんの国民投票によって不合格になってしまったのですが、もっとおもしろいネタができていれば残ることができたんじゃないかと感じています。メンバーを抜けてから、最初の1ヶ月は『めちゃイケ』を見られなかったですが、そのあとからは視聴者として毎週欠かさず見ています。この間の新春スペシャルで、岡村さんが「三中?」って僕のことを忘れているくだりが放送された時は本当にうれしかった。どれだけ離れていても、『めちゃイケ』がまだ僕のことを忘れずにいてくれているんだなって…。

■離れていても感じる『めちゃイケ』メンバーの愛 ピン芸人として「イチから再出発」

 メンバーではなくなっても、皆さんが気にかけてくださっているなと感じることがありました。昨年11月に舞台出演した時、よゐこ濱口優さんが見に来てくださって「頑張っているね」と声をかけてくれたんです。ジャルジャルの福徳秀介さんは『めちゃイケ』時代からずっとお世話になっている“お兄さん的存在”。この間『M-1グランプリ』の決勝に、ジャルジャルさんが出場された時、涙を流しながらテレビ越しに応援していました。福徳さんが悔しくてワーってなっていた時に、僕も自然と涙がこぼれてきて…大会が終わった後にメールさせてもらいました。

 だからこそ、臼杵と一緒に「dボタン」というコンビで何かしらの結果を出して、もう一度『めちゃイケ』の舞台に立ちかったです。ただ、お互いの方向性が少しずつズレてきて、昨年3月に単独ライブをやった時に「それぞれやりたいことが違うな」と感じるようになりました。そこから、相方は声優アイドルとかをやって、僕はピンで営業に行くみたいなケースも増えてきて、今からちょうど半年くらい前からコンビ解散という話を始めて、今回の決断になりました。岡村さんや出川哲朗さんが命名してくれた「dボタン」という名前は大事にしたいと思い、相方にも了承を取って「dボタン三中」としてこれからピンで活動していきます。

 そんな中、今回の『めちゃイケ』終了をネットニュースで見て、本当に落胆しました。やっぱり、心のどこかで『めちゃイケ』の存在が僕のよりどころになっていましたし、育ててもらったという思いがあったので…。番組を見ている時も「あの時、自分が残っていたら、この企画に参加できたかな」と想像したり、もう一度出るためにもっと頑張ろうという原動力にもなっていたので、皆さんにまだ恩返しができていないくやしさもあります。万が一、最終回までに呼んでいただけることがあれば、どんな形でも全力で頑張るしかないと思っています。

 ピンとして活動していくにあたって、何か特技がないといけないと思って、もともと大好きだったウルトラマンを研究しました。今では「ウルトラマンの第何話」と言ってくれたら、そこに登場する怪獣やあらすじなど全シリーズ紹介できます。今までだったら、営業に行くと「めちゃイケ元メンバーの三ちゃんが来ます」みたいな紹介がされてあって、僕も「めちゃめちゃ?」とお客さんに聞いたら「お前は、もう卒業してんねん」とツッコミを受けてみたいなことをやらせてもらっていたんですが、今後はそういうこともできなくなってくるので、その次ということでウルトラマンを選びました。もちろん、ピンの芸を磨いていくことは大前提です。

 『めちゃイケ』からもう次に乗り換えているんじゃないですかって? そんなこと一言も言ってないですよ。「今後はどういう活動をしていきますか?」って聞かれたから、そうやって答えただけなのに。この間もイベントに出た時に『めちゃイケ』の話題になったので、自分の思いをお話ししたら「三中、めちゃイケに出せと要求」みたいな見出しのネットニュースになって、全く要求なんてしてないのに…。今月9日にはトークライブ「dボタン三中の絶叫の夜 Vol.2」をJ−POP CAFE渋谷でやるという大事な時期なので、ここは書かないでくださいね。そうやってお願いしても、また絶対書かれるんでしょうね(笑)。そんな風に思われないように、これからネタをしっかり磨いていって、ピン芸人としてイチから再出発していきます。

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