歌舞伎俳優の市川月乃助が劇団新派に入団、二代目喜多村緑郎を襲名することとなり16日、都内で記者会見を行った。月之助は来年1月2日より東京・三越劇場で上演する『新春新派公演』より入団し、9月の新橋演舞場ならびに大阪松竹座での新派特別公演にて襲名披露する。
2011年の舞台『日本橋』で新派作品に初めて参加した月之助に、代表である女優・波乃久里子が惚れ込み度々スカウトを受けしていたが、2013年『婦系図』出演の際、「ここで骨を埋めたいと思った」と決意。明治から昭和にかけ活躍した名優かつ新派の作品の演出を数多く手がけた、初代・喜多村緑郎の名前を継ぐこととなり「初めて背中に大きいものを背負った」と気を引き締めた。
月之助の師匠・二代目市川猿翁がコメントを寄せ「喜多村緑郎という大名跡を二代目として受け継がせていただけることは、本人はもとより私にとりましても大変に誇らしいこと。私の元で修行を重ねた経験を生かし、この大名跡にふさわしい華のある役者になっていってほしい」と激励。月之助は「30年近く猿翁のもとで修行させてもらい、寂しい気持ちがないといえばウソになる。ただ、お話があればもちろん歌舞伎にも出演させていただきたい」と明かした。
会見には波乃と同じく新派代表の女優・水谷八重子も同席。月之助は「まずは八重子さん、久里子さんはじめ新派のみなさんが今まで培われたものを盗み、教えを請うて集中して邁進していきたい」と抱負を語った。
月乃助は1988年4月に本名で歌舞伎座『忠臣蔵』三段目の本蔵家来ほかで初舞台。同年7月市川段四郎に入門し、10月から市川段治郎を名のる。94年3月市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。00年4・5月新橋演舞場で名題昇進。11年12月より二代目市川月乃助を名乗っている。
2011年の舞台『日本橋』で新派作品に初めて参加した月之助に、代表である女優・波乃久里子が惚れ込み度々スカウトを受けしていたが、2013年『婦系図』出演の際、「ここで骨を埋めたいと思った」と決意。明治から昭和にかけ活躍した名優かつ新派の作品の演出を数多く手がけた、初代・喜多村緑郎の名前を継ぐこととなり「初めて背中に大きいものを背負った」と気を引き締めた。
月之助の師匠・二代目市川猿翁がコメントを寄せ「喜多村緑郎という大名跡を二代目として受け継がせていただけることは、本人はもとより私にとりましても大変に誇らしいこと。私の元で修行を重ねた経験を生かし、この大名跡にふさわしい華のある役者になっていってほしい」と激励。月之助は「30年近く猿翁のもとで修行させてもらい、寂しい気持ちがないといえばウソになる。ただ、お話があればもちろん歌舞伎にも出演させていただきたい」と明かした。
会見には波乃と同じく新派代表の女優・水谷八重子も同席。月之助は「まずは八重子さん、久里子さんはじめ新派のみなさんが今まで培われたものを盗み、教えを請うて集中して邁進していきたい」と抱負を語った。
月乃助は1988年4月に本名で歌舞伎座『忠臣蔵』三段目の本蔵家来ほかで初舞台。同年7月市川段四郎に入門し、10月から市川段治郎を名のる。94年3月市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。00年4・5月新橋演舞場で名題昇進。11年12月より二代目市川月乃助を名乗っている。
コメントする・見る
2015/11/16