ORICON STYLE

2004年10月06日
ORICON STYLE×Video Music Ch. プレゼンツ
オリコン歴代NO.1ヒット曲座談会 〜そのとき時代が動いた!〜
シリーズ第2回目「過去20年間のヒットチャート(80年代前半編)」
9月に行った第1弾「オリコン歴代NO.1ヒット曲座談会」は大好評でした。
今回は、その続きを一挙、公開しちゃいます!今回も爆弾発言盛り沢山!広〜い心で、読んで下さい。
尚、今回も「VMC WEBサイト」とのコラボレーション。VMC WEB サイトでもご覧頂けます。さぁ、今回も濃いいメンツが再び・・・
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進行/松田義人(編集者)
――前回に引き続き、今回は80年代後半以降のヒットチャート、音楽シーンを見つつ、皆さんにお話をうかがいたいと思います。

――先程、和田さんからも意見が出ましたけど、ヒットチャート的に見ると、この時代も相変わらずアイドル勢がトップに喰い込んできてるんですよね。
【米谷】 もう完全、光GENJI。年間4曲もトップテンに入ってます。
【増子】 光GENJIは最高。4曲目までが最高なんだよ。……でも、なんで俺そんなに知ってるんだろ。
一同 爆笑
【米谷】 あと、WINKと工藤静香とかが売れてたようですね。
――MOBYさんはこの辺の人のことは全然知らないんじゃないですか?
【MOBY】 もちろん名前も曲も耳にしてるとは思うんですけどね。
【増子】 聴き直したら?
一同 爆笑
【増子】 あのね、WINKとか聴いたほうがいい。非常にいいよ。あと、工藤静香。工藤静香は八代亜紀だもん。マジで。
――それは「急に絵を描いたりする」っていうことじゃなくて?
【増子】 違う違う。役目的に八代亜紀なの。
【和田】 でもね、工藤静香はかなりロックしてましたよ、この当時。工藤静香は歌番組で歌うときは必ず生でやってたんですよ。他のアイドル歌手はみんな、カラオケでサーッといくのに。要するに、「ロックに演歌のお姉さん」みたいな色っぽさと不良っぽさを合わせたのが工藤静香だったんですよ。そういう意味でのクオリティの高さ。凄かったですよ。
【増子】 だから、本田美奈子とかがロックに傾倒しても、やっぱりちょっと違うんだよね。菊池桃子もラムーとかやってたけど(笑)。工藤静香の場合はやっぱり不良なんですよ、人間自体がロック。
一同 爆笑
【増子】 だって、いまだにヤンキーの車のカッティングシートは永ちゃんか工藤静香でしょ? で、トラックはやっぱり八代亜紀。だから、同じなんだよね、系統としては。
7インチのアナログレコードと、8センチのCDシングルが同居したんじゃないかな(MOBY)
――ところで、この頃はちょうどアナログレコードからCDへの転換期だったんですね。CDが出始めたのがちょうど87〜88年頃で。
【増子】 CDというものを俺が最初に見たときは、「絶対こんなもの主流にはならない」と思った。凄い高かったんですよね、CDプレイヤー。
【和田】 当時の金額で30万くらいしてましたもんね。
【MOBY】 だから、この当時は7インチのアナログレコードと、8センチのCDシングルが同居したんじゃないかな。
【米谷】 ちなみに光GENJIはCDシングルで売れてたようですね。
【増子】 CDシングルって、パキッと半分に折れるやつでしょう?
【MOBY】 そうそう。8センチのCDシングル。
【増子】 俺、最初に出したシングル、それだったもん。
一同 爆笑
【増子】 こんな小っちぇんだから(笑)。でも、CDに出始めのときはアレが主流だったんだよ。
――確かにCDシングルの手軽さから、アナログから完全に移行したところはあるかもしれませんね。
外国人労働者がいっぱい入ってきて「人口が増えた」とか……(増子)
――90年代前半は、一般的には「バブル崩壊」と言われた頃で、幻想が崩れたような時代ですよね。ところが何故か、音楽に限って言うと逆にセールスがドーンと伸び始めてくるんですよね。これが不思議で。
【米谷】 89年がプリンセス・プリンセスが1位で81万枚。で、90年はBBクイーンズが1位で一気に130万枚。で、その翌年の91年には一気に小田和正の254万枚までになりますからね。「何があったのか」っていうぐらいの差なんですよね。たったこの数年でこれだけ伸びるなんて。
【増子】 何があったんですかね? 年号が変わった?
一同 爆笑
【増子】 そうじゃない。あとは外国人労働者がいっぱい入ってきて「人口が増えた」とか……外人買ってねぇよ(笑)。MOBYはこの頃何やってた?
【MOBY】 受験勉強してた。
【和田】 この辺は全部テレビ枠なんですよ。小田和正さんあたりからTVドラマのタイアップがドーンッといったんですよ。KANもそうでしたし、CHAGE & ASKAも。今は「音楽不況だ」なんて言われてますけど、この頃が普通だと思ったら大間違いで。むしろ、今のほうが普通なんじゃないですかね? 産業が成長するっていうことと、この頃の音楽バブルとは全然違いますから。
仕事できませんでしたよ、本当に。皆スケスケで見えてるんですもん(笑)(MOBY)
――時同じくして、ちょうど小室ファミリーが出てくる?
【米谷】 そうですね。最初は篠原涼子の楽曲を作ってて。でも、90年代前半はまだチャート的には上がってきてないですね。やっぱり、90年代中半に如実に上がってくるんじゃないですかね。
【増子】 それよりも「ジュリアナ」(笑)。本当に俺、今までの人生の中で、一つだけ後悔してることは、あの時期の「ジュリアナ」に一度も行かなかったってことなんだよね。うちの親父がね、「満州にいたとき、溥儀(フギ)を見たことがある」って言ってたんだけど、それと同じように俺も「ジュリアナ」を見たかった。
一同 爆笑
【MOBY】 俺が高1くらいのときに「ジュリアナ」のイベントが東京ドームであったんですよ。そこに俺、バイトの係員で行ってましたけど、仕事全然できませんでしたよ、本当に。皆スケスケで。見えてるんですもん(笑)。日給5千円でしたけどね。
【増子】 俺ならタダでも行くよ(笑)。でも、もう二度と来ないだろうね、そんなえげつないムーブメント。あらゆ意味での、欲望でしょ? 金欲、性欲、欲、欲、欲……全部。見逃して失敗したと思ってる。で、音楽もさ、ユーロビートとかデステクノとか言ってたけど、凄い音楽だよね。これ体に悪いよ(笑)。始まりも終わりもなく、もう興奮しっぱなしっちゅーか、死んじゃうよね、これじゃ(笑)。
「それも、やがて終わってしまうんだな」っていうそう思うと凄いよ、日本の音楽シーン(増子)
――ところで、「Jポップ」っていう言葉が一般的に使われるようになったのって、90年代中盤くらいじゃないかな? と思うんですけど。
【米谷】 そうですね、この頃からじゃないでしょうか。
【増子】 そこから、もうなんでもかんでも「J」をつけるようになったんだよ(笑)。
――「8時だJ」とか(笑)。でも、この頃からTV-CMでも、音楽CDの宣伝スポットをやたらと目にするようになりましたよね。もう完全小室ファミリー全盛期で。
【和田】 小室さん、凄かったですよね。やっぱりこの頃はプロデューサーの時代。そういうことを顕著に感じましたけど。それまで僕は、小室哲哉をこれっぽちも良いとは思ってなかったんですけど、東京パフォーマンスドールの曲を聴いたときに「アレ?」と思ったんですよ。小室節みたいなのがあって。その辺からですよ、小室さんが物凄く売れたのは。
【増子】 ドエラいもんだったよね。でも、今考えてみると、「それも、やがて終わってしまうんだな」っていう。そう思うと凄いよ。「小室ブームが終わる」なんて当時考えられなかったもん。キングダムだよ、キングダム。小室キングダムだもん。
【和田】 あのブームが終わるなんて誰も考えられなかったですよね。
もう本当に驚きました。「この子供に、これだけ踊らせるか」っていう(和田)
――沖縄出身のアーティストに人気が出始めたのもこの頃ですが、やはり小室ファミリーからの影響でしょうか。
【和田】 最初は違ったんですよ。安室ちゃんは凄い下積みしてましたから。
【増子】 安室ちゃん、最初は「沖縄の琉球空手をやってる」っていうのがウリだったんですよ。
【和田】 よく知ってますね。それで「元気が出るテレビ」に出てたんですよ。
一同 爆笑
【和田】 で、この頃は「沖縄アクターズスクール出身の子たちと、小室プロデュースをくっつけると最強」みたいな感じでした。で、それから、SPEEDが出てきて。もう本当に驚きました。「子供に、これだけ踊らせるか」っていう。で、歌もウマくて。それまでは子供っていうと、皆お遊びだったんですよね。「小っちゃい子だから」っていう。でも、SPEEDが出てきて、初めて子供を大人扱いしてたっていうか。
【増子】 そこが昔のフィンガー5とは違う。
【和田】 だって、子供なのにちゃんと踊れるんですもん。
【増子】 「どれだけ生き急いでるんだよ」っていう(笑)。昔はね、「子供に長い時間ダンスさせると、関節に悪い」とか言ってたんだから(笑)。
一同 爆笑 
【和田】 でも、今はもうこれくらい踊れる子供がゴロゴロいるんですよね。やっぱり、SPEEDが与えた影響は強いと思いますね。
【増子】 それと、楽曲がやっぱり良かった。曲を作ってる人たちが本気で「いい曲を作ろう」と思って作ってるのがわかる。日本の歌謡曲というものの、最高峰だと思ったもん。
【MOBY】 でも、SPEEDはTLCに対する……。
【増子】 ま、そうなんだけどね(笑)。だから、TLCの日本版なんだけど、凄く良かったんだよ。それが今じゃ175Rのお嫁さんだからね。
一同 爆笑
それが今じゃ、イヤというほどファンを見ますもんね(MOBY)
――で、本流のチャートを見ると、やはりこの頃は、なんと言ってもつんくファミリーの時代。
【増子】 「織田信長の時代」みたいだね(笑)。モーニング娘。は男がハマる要素がいっぱいあるからね。人気が出るのはよくわかる。
――モーニング娘。は和田さんが仕掛人とうかがってますが、やはりそれなりの計算があったんですか?
【和田】 いや、計算してなかったですよ(笑)。多分、さっき言ったPUFFYと同じで、「面白そうだからやってみよう」くらいの気持ちだったんですね。もちろん、火が付いた途中からは「ビジネスにして」っていうのは皆さんが感じてると思いますけど。最初は偶然のたまものですよ。
【MOBY】 それが今じゃ、イヤというほどファンを見ますもんね。
【増子】 俺ん家の向かいに住んでる奴にもファンが一人いるよ。
一同 爆笑
【MOBY】 随分ミニマムな話ですね(笑)。
【増子】 いっつも見えるから、モーニング娘。のポスターが。布団を干してるときに窓が開いてさ、壁一面のポスターが見えるからね(笑)。40歳くらいでさ、「おいおい!」と思うんだけど、そういう人が今はいっぱいいるんだよね。曲もやっぱ面白いしね。楽しませる要素がいっぱいある。
それがあの爆発的な売れ方。それはもう凄かった(米谷)
――あと、浜崎あゆみ。最初メディア側がガンガン仕掛けてる感じがしたんですけど。そんな仕掛けて売れるのかなぁ……と思ったら売れましたよね。
【和田】 はい。モーニング娘。は、浜崎あゆみよりも先に売れてたんですよね。だってね、浜崎あゆみが初めてベストテン入ったのはつんくとデュエットしてた曲ですからね。
【米谷】 それがあの爆発的な売れ方。それはもう凄かった。
――一般メディアではかたや椎名林檎、かたや浜崎あゆみみたいな感じで、この2アーティストが同一線上に紹介されてましたよね。今から思うと、「なんで?」っていう。
【和田】 そうそう。
【増子】 今から思うと、「矢井田瞳がパクった」なんていうのがおかしいくらい、椎名林檎は全然違う音楽だよね。椎名林檎は色んなことを知ってるからね。そのロックっていうことを本当によく聴いて、全部わかった上でやってる。それで、また聴いてる音楽も物凄くマニアックだったりしてさ。
【和田】 僕、椎名林檎はまだブレイクする前の「歌舞伎町の女王」のときに、観てるんですよ。曲一曲聴いただけで、惚れたっていう初めてのアーティストでしたね。やっぱり他の人たちには出せない、強力なモノがありますよね。
――こうやって見ると、90年代後半は本当に様々なアーティストがいますね。
【米谷】 そうですね。CD売り上げ的に見ても、音楽バブルが頂点に達したようなところはありますね。で、後は右肩下がりになってしまうんですけど……。
「もう7年続いてんだからいいじゃねぇか」って思いましたけどね(笑)。(和田)
――足早に過去20年間の音楽シーン、トップチャートを辿り、皆さんに意見をうかがいましたが、いよいよ2000年代。この4年間の音楽シーンについて。
【増子】 90年代後半にも出たけど、2000年代前半として言うと、やっぱり象徴的なのはモーニング娘。なんじゃないの? 
【米谷】 もう完全にアイドルは一人勝ちですもんね、他に著しいアイドルいないんですよ。
【増子】 いない、これは凄い。
――90年代後半の話の中で、和田さんが「(最初は)面白そうだからやってみよう」程度だったとのことですが、これだけ売れるとメンバーもスタッフも環境ガラっと変わったんじゃないですか?
【和田】 意外とつんくとか僕なんかは売れてから冷めてましたけどね。「冷める」っていうと語弊があるかもしれないですけど、「そんなに続かないんじゃない?」って思いながらやってきました。でも、どんどん当たっていくから、その恐さはちょっとありました。この前、『アエラ』で「モーニング娘。いつ終わるか」みたいな特集があったのを見たんですけど、「もう7年続いてんだからいいじゃねぇか」って思いましたけどね(笑)。『アエラ』が書いたら、社会が言ってるみたいに聞こえるから(笑)。
女子十二楽坊を聴いてたOLの人達は、ちょっと前に絶対「イマージュ」聴いてただろうっていう(笑)。(米谷)
――モーニング娘。がチャートを独占する一方で、数々のアーティストも沢山登場していますね。ムーブメントとしてくくっていいかはわかりませんが、やはり沖縄、南方系出身のアーティスト。モンゴル800、元ちとせ、ビギン、夏川りみ、HYなど。
【和田】 沖縄癒し系って感じですかね、この辺は。
【増子】 まぁ、モンパチとHYが癒し系かどうかはわからないけど、民族系の癒しみたいなのは何年かに一度くるよね。ただ、沖縄じゃないけど、俺はなんと言っても女子十二楽坊。あれは衝撃だよ。「なんでやねん!」でしょ(笑)。急に関西弁だけど(笑)。
【米谷】 あれが90年代後半にあった「フィール」とか「イマージュ」とかのコンピレーションの流れなんですよね。女子十二楽坊を聴いてたOLの人達は、ちょっと前に絶対「イマージュ」聴いてただろうっていう(笑)。
――だから、グレーゾーンなんでしょうね、購買層が。
【米谷】 そうですね。
あんなにロックが好きな人が日本にいるわけない(増子)
――あと、2000年に入ってからで言うと、セールスとはまた違いますけど、夏フェスが盛んになり始めたんですよね。
【米谷】 そうですね。僕はずっとレゲエが好きで、レゲエの野外フェスに行ってたんですよ。80年代からずっと「サンスプラッシュ」とかがあって。でも、あるときから急に「サンスプラッシュ」のお客さんがドッと減ったんですね。よくよく考えると、「フジロック」が始まった頃なんですよ。明らかに「フジロック」に流れていったんですよ。レゲエをそれほど好きなわけじゃなかった、グレーゾーンのお客さんが(苦笑)。その場の雰囲気を味わってお祭り騒ぎしたいっていう人たちが。
【増子】 そうですよね。だって「フジロック」なんて凄い人が集まるけど、あんなにロックが好きな人が日本にいるわけない。
一同 爆笑
【和田】 あれは空気を楽しみに来てるんですよね、絶対ね。
【増子】 じゃなかったら、CDがもっと売れてるはずでしょう。だから、こっちが騙されてるの、お祭りに(笑)。欧米化してるっていうのもあるかもしれないけど、でも、イギリスとかアメリカには、日本以上にリスナーの人口が多くて、どんなに微妙なシブい音楽ジャンルでも、それを支えて飯を喰ってる奴の数が向こうは圧倒的に多い。でも、日本って音楽を聴く人の数がジャンル関係なく決まっちゃってるから、もう喰いあいじゃない? 
【米谷】 えぇ。ただ、喰いあいという意味では、夏川りみとか元ちとせって、やっぱり中学生が買ってるようには思えないんですよね。その辺で考えると、いわゆる、30代40代が聴ける音楽っていうのが実はないような気がするんですよ。だから、グレーゾーンの人達がさっき出た夏川りみとか元ちとせを買ってるんだと思うんです。
20年先に誰が残ってんのかなあっていう……。1回でいなくなってる人もいますもんね(米谷)
【米谷】 でも、こうやってチャートを見ると、2000年以降、段々段々息が短い感じがしますよね。20年先に誰が残ってるかなぁっていう。1回でいなくなってる人もいますもんね。
【増子】 三木道三とか?
【和田】 ○川○○が次の曲もヒットさせる感じがしないんですよね。だから、やっぱりアーティストに絶大な人気があって売れたっていう感じじゃない。
【米谷】 そうですね。だから、もっとアイドルとかビジュアル系が出てきてくれたほうが、音楽産業的には盛り上がってくるような……。
【和田】 今は楽曲は売れても周辺のものは何も売れないじゃないですか。だから、音楽専門誌の部数を聞いたら、ビックリしますよ。うちのホームページの一日でのアクセス数と同じじゃねぇかっていう。それくらい売れてない。だったら、雑誌で露出するより、ホームページに手書きでコメント載っけといたほうがいいっていう話になりますよ(笑)。
去年なんかI-tunesのチャートが出始めたりしてましたし(MOBY)
――2000年代に入ってから特に、音楽不況を言われてますけど、それを打破するためには何をやったら良いと思いますか?
【和田】 やっぱり「大人でもちゃんと買える音楽」をもっと作ったほうがいいと思いますね。
――具体的に言うと?
【和田】 演歌は30代、40代の人はさすがに買ってないと思うんです。演歌は50代、60代でしょう。かと言って30代、40代の人は若い子が聴くような若々しい音楽でもないわけですから、その間の音楽がないんです。だから、さっきも米谷さんが言ってたようにグレーゾーンの人が女子十二楽坊とかを買うんじゃないでしょうか。
【米谷】 多分、これからはビジネスモデルも全く違ったやり方をしないとダメでしょうね。CDを売るんであれば、例えばOLの人たちに限定したやり方もあるでしょうし、もっと下の世代なんであれば、もはやCDっていうパッケージじゃないかもしれない。
【和田】 I-podなんかも出てきてますからね。
【MOBY】 去年なんかI-tunesのチャートが出始めたりしてましたし。1位はエミネムだったかな? 
【増子】 あり得ねぇよ(笑)。やっぱね、インターネットっていうもの自体をまだみんな使いこなせてないっていうか、全部制御しきれてないでしょ。だから、どうしてもそのチャートはマニアックにならざるを得ないとは思うけど。
じゃあ、そろそろ「CDがなくなるかもしれない」っていうことですよね(和田)
――もちろん、今はまだ熟しきれてない感はありますけど、今後、音楽シーンを取り巻く環境はやっぱりインターネット主流になっていくんでしょうか。
【米谷】 音楽のハード業界は「15年周期」って言われてるんですよね。レコードからCDに変わったのも、だいたい15年前で。
【和田】 じゃあ、そろそろ「CDがなくなるかもしれない」っていうことですよね。
【米谷】 「15年周期」で言うと、そうなんですよ。でも、日本の音楽文化がガラッと変わらないと、やっぱり状況は変わらないとも思うんですよね。
【増子】 じゃあ携帯ですか、これからは。
【米谷】 うーん……わからないですけど。
――じゃあ、まだ今後のハード、音楽シーンを取り巻く環境がどう変わっていくかは見えてこないんですね。
【米谷】 ハード面ではそうですね。ただ、ソフト面ではその音楽が「消費されてしまうかどうか」っていうところもやっぱりあると思うんです。2000年以降に出た音楽は、もはや残りにくいと思いますけど。
「パンクだから」とか「ソウルだから」なんて言ってるけど、そんなのは関係ないわけ(増子)
――では、最後に、この今20年間を辿ってきたヒットチャート、音楽シーンの中で特に印象に残ったことと、今さっき出た今後目まぐるしく変わっていく音楽業界の中での身の置き方というか、方針のようなものがあればお聞かせください。
【増子】 やっぱりこの、『オリコン』のヒットチャートを見ると、やっぱり大衆の歴史であったりもするわけだね、単純に。そう考えると、音楽は時代を表したものだったんだけど、だんだん音楽の位置付けが変わってきているんだなってのがわかるね。俺らみたいなバンドをやってる奴はさ、「パンクだから」とか「ソウルだから」なんて言ってるけど、そんなのは関係ないわけ。歌謡曲だろうが、モーニング娘。だろうが、三木道三だろうが、聴いてる人は同じなんだよね。これ、ヒットチャートを見ると、一目瞭然だよ。みんな、一緒に並べて聴いてるだけで、その中で「良いか、悪いか」だけなのよ。だからって悲観的になるわけではなくてさ、単純に「いい曲」だけが結局残るんだなと思う。そのためには全力で残るような「いい曲」、自分が納得できるような曲を作っていくことしかできない。時代がどう変わっていくかはわかんないもん。時代が変わって、この『oricon style』の表紙にMOBYのアップが出たら笑うけど。
一同 爆笑
【MOBY】 笑いますね(笑)。
【増子】 それはそれで面白い時代だと思うけど、でも、絶対にないとは言えないし、可能性はあるんだなと思ったね。もちろん、俺らも。たとえ、その立ち位置がだんご3兄弟であってもね(笑)。だから、「いい曲」を全力で作るしかないね。
【MOBY】 僕の場合は、増子さんみたいに曲を作ってるわけではないんですけど、やっぱり自分のバンドのチャートは気になりますよね。ただ、その一方で、チャートのことを気にしてばっかりいたら、アーティストとしてやっていけないツラさもあって。「別にドラム叩く上で、売れようが売れまいが関係ねえ」っていう潔さもないとやっていけねぇんじゃないか、とも思いました。これはプレーヤーとしての意見ですけど(笑)。完全に人に聴かせるため、売れるためだけじゃなくて。その結果、売れるならいいですけど。今は2004年の音なり、来年の2005年の音なりをちゃんと出していきたいですね。そのためには「これは良い、これは悪い」っていう、自分の耳もずっと養っていかないと出来ないとは思いますけど。
この時代は原点に戻って「人前で演奏してナンボ」っていうところに戻るくらいの気持ちで(和田)
――和田さんはアーティストとはまた違った意見がありそうですが。
【和田】 うーん……でも、同じところもありますよね。アーティストも制作者も、流れの早い今だからこそ時代に流されないようにするのが大事な気がしますね。ここ数年、右へ左へ全員で「赤信号みんなで渡れば恐くない」じゃないですけど、音楽業界全体がみんな似たようなことをやってきた感じが凄くするんですよ。そうじゃなくて、本当の意味でアーティストや制作者が信じる音楽を作るのが、これからの業界を良くしていくと思いますね。だって昔の歌手、バンドの人たちはCDやレコードを売らないでお客さんの前だけで演奏して食べてたじゃないですか。それがアーティストの原点だと思うんですよ。それに派生商品としてレコードができた、CDができたっていう風になってきてるだけで。だから、この時代は原点に戻って「人前で演奏してナンボ」っていうところに戻るくらいの気持ちで。そういう腹のくくり方をしておけば、自ずと「それでも音楽をやりたいんだ」っていう人たちだけが残るから、悪くはなんないと思うんですよね。そこを変に「この音楽で俺は何億儲けてやるんだ」とか、お金のことを第一に考える人が増えてくると、業界がどっちにフレていくのかはわからないですけど。
【米谷】 僕も和田さんと全く同じ意見ですね。やっぱり90年代、業界全体がビジネス的にね「お金、お金、お金」ってやったシワ寄せが今来てると僕は思うんですよ。やっぱり、これからは「どうしたらこの文化を守っていけるのか」っていうのをもっと真剣に考えるのが一番の近道かもしれませんね。せっかくの音楽が消費されていくのは寂しい。座談会後半に出たハード面でのことを言うと、これから音楽を取り巻く環境はどんどん便利になっていくはずですけど、ソフトということで言えば、むしろ逆に向かっていってもいいんじゃないかな、と思います。便利っていうことは、それだけ価値観のハードルを下げますからね。音楽を文化とするなら、やっぱり原点は不便で難しいところで育つもんだと僕は思うんで。