2006年05月31日
――今回の曲はCDの収益金の一部が義捐金として、ニューオリンズに寄付されるんですね。
【中島】
そうなんです。たとえば日本で災害があった時とか、スマトラ沖地震が起きた時も、大きな災害や事故があると、自分にできることは何かないか?ってそのたびにスタッフと話をしていたんです。でも実行するには様々な障害があって、これまではチャリティ・イベントなどに参加することしかできなかった。それが今回、できるということで、私やプロデューサーを含めスタッフが一致団結したという。
――もともとチャリティには、興味を持っていたんですか?
【中島】
うん。それが私の歌っていることの意味だと思うんです。私くらいの年代の子がやることで、こういうものが広がっていったら良いなと思うし。同じような気持ちを持った人がもっと増えてくれたらいいなって。きっと、やりたくてもできずにいるアーティストも多いと思うんです。それがやむを得ないことも理解しているし、だからこそ私ができる状況にいるのであれば、それはやらなければいけないな、と。
――この「ALL HANDS TOGETHER」は、チャリティが決まってから作ったんですか?
【中島】
いえ、曲自体は以前からあって。前回「CRY NO MORE」の時に、どっちにしようかと迷っていた曲なんです。すごく前向きな印象だったし、チャリティ・シングルに決まったことが、さらにこの曲だって後押しになりましたね。
――歌詞は中島さん自身で書いていますね。チャリティという特性上、いつも歌っているものとは違うものを伝えないといけない。その点で意識したことは?
【中島】
わかりやすさ、ですかね。子供から大人まで、聴いて心に残るものがいいと思ったし。私自身が書くことで真実味が出て、同世代にも伝わりやすいと思ったんです。
――現地を訪れている中島さんだからこその歌詞になったって感じですね。
【中島】
そうですね。現地には2回行っているんですけれど、見たらきっとびっくりしますよ。被害の大きかった地区はまだ手つかずの状態で、家も道路も壊れたまま。私たちも言葉を失って、どよーんとしちゃって。
――“肩書きに埋もれ口だけなやつにも〜”という歌詞がありますよね。皮肉っぽいって言うか・・・。
【中島】
皮肉ってわけでもないんですけれど(笑)。誰に対してとかじゃなく、でもそういう人もいるでしょ?どうせなら、そういう人たちに対するみんなの気持ちも代弁したいと思ったんです。それにニューオリンズの被災者の方々はすごく前向きで。あれだけ怖い体験をした場所に戻るのはきっと辛いと思うんだけれど、でもニューオリンズに帰ることだけを考えて頑張っている。私はその前向きさや心のきれいさに心を打たれた。そういうニューオリンズの人たちの温もりや気持ちが、届けばいいなって。
――今回はゴスペル調で、これまでにないまっすぐさやストレートな熱さを感じる歌声ですね。
【中島】
あぁ、そうかも。特に今回は辛さや悲しさを感じる曲には絶対にしたくなかったんです。と言うのは、せっかくニューオリンズの人々が前向きなわけだから、わざわざ辛さや悲しさを掘り返す必要はなくて。だからできるだけストレートに前向きに歌おうと思ったんですよ。それには、まずは歌っている私自身が前向きでないと!と思って。
――曲の冒頭、フェイクから始まるのがびっくりですね。
【中島】
ええ。私がびっくりですよ(笑)。レコーディングが全部終わったと思ったら、いきなりやったらどう?って言われて、やってみたんですけれどね。
――後半は同じフレーズの繰り返しで、どんどん気持ちが高揚していきますね。
【中島】
そうですね。きっと聴いてくれた人も、覚えやすいしノリやすいと思う。ライブでもきっと盛り上がると思いますね。
――今回のことで、黒人音楽に対する興味がいっそう深まったんじゃないですか?
【中島】
そうですね。でも、もともと無理して勉強するような性格ではないので、流れの中でできる範囲で、調べたり聴いたりは少しずつしています。いきなり変わるって感じじゃないですけれど。
――でも、すごくハマっているように見えますよ。
【中島】
私もそうですけど。むしろ断然スタッフの方がハマっているんで。しばらくは、こういうテイストの曲が続きそうですね。
――最後に、前回の「CRY NO MORE」と今回のシンボルマークについて。これは、アメリカ南部の特産品、綿花をデザインしているんですよね。
【中島】
そうそう。でも今回のは少し変えていて。下に十字架があって、中にある3つに分かれている絵には救済の意味があるんですよ。
――なるほど。そういうこだわりにも、想いの強さを感じますね。
【中島】
何かを感じてもらえたら嬉しいです!
(文:榑林史章)