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宮沢和史、30周年コンサートで映し出された“人に寄り添う”音楽人生の旅 ライブハウスさながらに揺れたオーチャードホール

 今年デビュー30周年を迎えたシンガー・ソングライターの宮沢和史が、『30周年記念コンサート〜あれから〜』を10月18日に東京・渋谷Bunkamuraオーチャードホールで開催。30年の間に作り続けてきた24曲に加えて、宮沢の音楽と言葉に影響を受けたというコブクロ、ハナレグミ、藤巻亮太(ex.レミオロメン)といったミュージシャン、そして芸人で作家のピース・又吉直樹が祝福に駆けつけてコラボレーション。3時間たっぷりのスペシャルステージが披露された。

THE BOOMの初期ナンバーでコンサートの幕が開ける

 平成元年(1989年)にTHE BOOMのボーカリストとしてデビュー。当時は原宿・ホコ天の全盛期であり、宮沢が活動をスタートしたのもこの場所だった。会場にも当時のホコ天を闊歩していたであろう、かつてのロックキッズたちが大集結。『なし』や『都市バス』といったTHE BOOMの初期ナンバーでコンサートの幕が開けると客席は総立ちに。宮沢もまた、軽快でやんちゃなスカのリズムに乗せて飛び回る。いつもはクラシックやオペラが演奏されることの多いオーチャードホールが、ライブハウスさながらに揺れた。

 宮沢独特の歌い回しや声量も当時のままだ。とはいえ、30年を重ねた体に全力のポゴダンスはさすがにハードだったようで、水を一口。そして「お互い歳ですからね(笑)」と早くも汗だくになっている客席の同世代たちを見渡して冗談を飛ばす。30年という歳月は長く、決して楽しいことばかりではない。この日、宮沢は「今だから言うけど」と喘息で入院していたこともあったことを明かしている。
 2014年にTHE BOOMを解散後、2016年には体調不良によってソロ活動を無期限で休止。当時を振り返り、「これ以上、歌うと音楽が嫌いになる。二度と歌えなくなるだろうと思って、ギターも全部手放してゼロになりました」と唇を噛み締めた。しかし「でも、それがすごくよかったんです。大学卒業と同時にデビューして、音楽を信じてすばらしい人生を歩んできたけど、その一方でたくさんの大切なものを見落としてきた。それを拾い集める作業が楽しいなと思ったんです」と身近な生活と向き合った休止期間を語った。

 ちなみに長年マイクを握ってきた宮沢の指には、“マイクまめ”とも言うべきシコリがあったという。それが2年前に柔らかくなったときに「歌手として終わったんだなと思った」。ところが最近、再び硬くなりつつあることが「また歌えってことなのかなと」と、なんだかうれしそうだ。「人生何回もスタートしていい。30年を振り返って、みなさんと一緒にまた一歩を踏み出せる。そんな日だと確信して、今日ここに来ました」という言葉はこのコンサートにかける宮沢の思いであると同時に、同世代ファンにとっては「まだまだ人生楽しもう」というエールとしても響いたはずだ。

藤巻亮太、ハナレグミ、コブクロが祝福のコラボ

 ゲストの藤巻亮太とは、ともに山梨出身という縁から、藤巻主催のフェスに出演するなど交流を深めてきた。この日は藤巻が結婚する友人のために作ったというレミオロメンの「3月9日」を、「今夜は宮沢さんにプレゼントします」と2人で披露した。

 台風19号は山梨にも大きな被害をもたらした。この日のコンサートに駆けつける予定だった宮沢の同郷の同級生たちのなかにも、中央自動車道の復旧が遅れて来れなかった人が多かったという。故郷の景色を歌詞に込めることも多い藤巻が「山梨はこれからがいい季節。ぜひ観光に来てほしい」と客席に呼びかけると、「山梨はもちろん、長野、福島……日本中が元気をなくしている。僕らは僕らのできる音楽で元気を届けられれば」と、音楽を通したチャリティ活動をライフワークとする宮沢らしいメッセージが投げかけられた。
 ハナレグミは持ち前の明るいキャラクター全開で「ミヤさん、おめでとう!」と登場。THE BOOMの「中央線」を2人で披露すると、国立で生まれ育ったハナレグミが「勝手に自分の曲だと思ってます。でも中央線沿線の人はみんなそう思ってるんじゃないかな」。すると宮沢は「いいよ、タカシにあげるよ」と気前の良すぎる発言。すかさず「事務所の人、聞きました?」とハナレグミ。2人のやり取りはどこまでもハッピーだ。

 さらに年齢が違う2人ながら、ともに高2のときに衝撃を受けたというボブ・マーリーの「No Woman,No Cry」をカバー。プロとして長らく音楽活動をしてきた2人が、“ただのロックキッズ”に戻ったキラキラした時間だった。

 そしてコブクロとのステージでは、コブクロのデビュー曲「Yell」とTHE BOOMの「風になりたい」を熱唱。この3人のステージもまた、黒田俊介の“身長ネタ”など笑いが絶えなかった。コブクロのメジャーデビューは2001年だが、それより以前にTHE BOOMのオープニングアクトに呼ばれたことが「とにかくうれしかった」と小渕健太郎が懐かしそうに語ると、「Yellは本当にいい曲だよね。あとでまたカラオケで歌います」と宮沢。キャリアは違えど、互いにミュージシャンとして深くリスペクトする同士の特別なコラボレーションの時間だった。

宮沢和史の根本に常にあったレベル・ミュージック

 ゲスト出演が告知されていなかったピース・又吉直樹がステージに登場したのは、アンコール後のこと。作家としての活動も目覚しい又吉は「宮沢さんの歌詞で言葉を覚えたと言っていいくらい」と、宮沢から受けた影響の大きさを語った。さらに「宮沢さんになりたくて散髪屋さんに写真を見せたら、君の髪質じゃムリと言われた」と、しっかりと笑いに着地させるところはさすが芸人といったところだ。

 かつて朗読会でコラボレーションしたことのある2人は、社会批評性やメッセージの色濃い宮沢のソロ楽曲「ゲバラとエビータのためのタンゴ」を2019年版にアップデートした詩を2人で朗読。緊迫感のあるその掛け合いに、宮沢が現代の社会に対してどのような視線を持っているのかがうかがえた。幅広い民族音楽を取り入れた独特の音楽性を自らのものにしてきた宮沢だが、その根本に常にあるのはレベル・ミュージックなのだと改めて感じられた瞬間だった。
 この朗読のあとだけに、アンコールでゲストミュージシャン3組が加わって披露された「島唄」もまた、単なる大ヒット曲に止まらない響きを放つ。客席もまた、全員立ち上がりながらも手拍子や歓声などはなく、静かに三線と歌を聞き入った。

 このコンサート中にも「あれから20数年。本当に平和になったのかと問いただしてみると、何も変わっていないという思いもある。いろんな意見があっていいと思うけど、意見は持って欲しい。僕はコンサートでできるだけこういう話をしていきたいと思っています」と宮沢は沖縄への思いを語った。
 この日の翌日、宮沢は久米島で行われた民謡大会に参加するために沖縄へと飛んだという。かつて「島唄」が大ヒットしたときには、「沖縄県人でもないのに」という批判もあった。しかし宮沢は一過性のブームで沖縄音楽やワールドミュージックに飛びついたのではなく、音楽を通して人々の悲しみや痛み、喜びに寄り添う人生の旅を続けてきた。

 3年5ヶ月ぶりのソロアルバム『留まらざること 川の如く』のリリース、そしてこの30周年コンサートを新たな起点として、宮沢がこれからどんな音楽とメッセージを発信していくのかが楽しみだ。
(文/児玉澄子)

提供元: コンフィデンス

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