京都らしい風情の溢れる東山の白川。そのほとりに明智光秀の首塚が人知れず立っています。歴史的に有名な光秀ですが、簡素な祠で観光客にもほとんど知られていません。その光秀の塚のそばにある京都らしい和菓子屋「餅寅」では、桔梗紋の入った「光秀饅頭」が名物。ゆるりと甘味を楽しみながら歴史探訪をしてみませんか?
東山にある明智光秀の首塚

「敵は本能寺にあり」
主君・信長を討ち、天下を取った明智光秀。しかし光秀はその後の「山崎の合戦」に敗れ、俗に「三日天下」といわれるほど、あっという間に天下の座から退き、命を落としています。
柳がゆれ、連なる町家。テレビやドラマでもよく見る、白川の風景は京都を代表する情緒にあふれるエリア。その白川のほとりに「明智光秀の首塚」があるということはあまり知られていません。

白川沿いにある「餅寅」という和菓子屋がその目印。ちょうどお店の軒先に「明智光秀の塚」の案内が出ていますのでここの筋を曲がってみましょう。

視界は住宅街を抜ける細い路地となりますが、左手に小さな祠があります。これが明智光秀の首塚なのです。本当にひっそりと佇むようにあるため、観光客も気づかずに素通りしてしまっている人も多いことでしょう。
子孫も認定?本物の光秀公首塚

「えっ、これがそうなの?」
現物を見ればやや拍子抜けしてしまうかもしれません。知らない人はいないくらいの戦国武将の塚は想像以上にひっそりと、そしてこぢんまりと路地裏に隠れるようあるのです。

その中でも脇役っぽく隅に置かれているこの五輪塔墓こそが光秀の塚の本体といってもいいでしょう。永らく風雨に晒されただろうその風貌には歴史を感じます。天正年間の公家の日記には、明智光秀の遺骸がこの辺りの地にて曝され、その後首塚を築き埋葬したと記されています。
実は明智光秀の首塚とされるものはここ以外にも亀岡の谷性寺にもあり、光秀には二つの首塚が存在しているのです!しかし『本能寺の変 431年目の真実』の著者で明智光秀の末裔として知られる明智憲三郎さんは、過去の文献等を調べた結果この首塚の方が本物であるといえるとしています。ただし、「曝されていた首が本当に光秀のものだった」という前提ですが。

光秀の最期に関しての伝承は諸説あり、実際のところ真実は今もよくわかりません。しかし、そのおかげでいろいろな想像をかきたてられるというのは歴史ファンにとってはいいことなのかも。実際に現地を訪れれば、何かを感じることができるかもしれません。
大事にされてきた光秀の塚

塚の敷地内には「光秀公」の扁額がかかった小さな祠、そして厨子の奥には明智光秀の木造が鎮座しています。普段は鍵がかかっているので格子越しに覗いてみてください。その昔はここに光秀の遺品もあったといわれています。

本当に光秀が悪者だとするならば、この塚(墓)が時代を超えて大事にされるのでしょうか?ここに来るとむしろ光秀は愛されているようにも思えます。誰が植えたのか、初夏になれば塚には明智家の家紋「桔梗紋」である桔梗が咲きます。しっとりと咲く桔梗を愛でつつ、静かに明智光秀に思いを馳せるにはここはピッタリの場所かもしれません。
江戸時代から光秀の墓を守ってきた「餅寅」

さてそんな「明智光秀首塚」を江戸時代から250年もの間、代々守ってきた家というのが実は表通りに面している和菓子屋「餅寅」。元気のいい名物女将が笑顔で出迎えてくれるアットホームな和菓子屋です。

こちらの名物は桔梗紋の焼き印が入った「光秀饅頭」。いわゆる薄皮まんじゅうで、お味はつぶあんの入った黒糖と、京風白みそあんの入った抹茶の二種類。これがまた、絶品なのです。

ひとくちサイズの可愛らしいおまんじゅうですが、中身はご覧のとおり、和菓子好きが歓喜するほどギッシリ詰まったあん。そしてあんは甘過ぎず、口当たりの良さも抜群!これは必食っ!光秀の塚へ行くのなら、こちらも必ずセットで訪れて下さい。
<餅寅の基本情報>
住所:京都府京都市東山区白川筋三条下る梅宮町475
電話番号:075-561-2806
定休日:火曜
営業時間:8:00〜18:00
明智光秀の首塚の基本情報
住所:京都市東山区三条通白川橋下る東側梅宮町474-23
アクセス:市バス「神宮道」下車徒歩約3分、地下鉄東西線「東山」下車徒歩約5分
2018年7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。
■関連MEMO
京都・亀岡「谷性寺・ききょうの里」は明智光秀ゆかりの地
https://www.travel.co.jp/guide/article/33610/

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