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カンボジア美術の至宝!アンコール「バンテアイ・スレイ遺跡」珠玉のレリーフアート


アンコールワットより北へ約30キロのバンテアイ・スレイ遺跡は、「東洋のモナリザ」とも呼ばれる女神像の浮き彫りで有名ですが、この遺跡一番の素晴らしさは、何と言っても女神像を含めた装飾レリーフの美しさ、精緻さでしょう。他の遺跡群と離れているので、ここだけで半日程度は必要となりますが、その価値は十分にあります。バンテアイ・スレイ遺跡は、アンコール建築美術の中でも、際立った完成度を誇る傑作の一つです。

バンテアイ・スレイは王師が建立した「アンコールの宝石」

写真:Tomie Tomy

バンテアイ・スレイ遺跡は、アンコール黎明期の都が築かれた聖山プノン・クーレンの麓近くに位置する遺跡で、10世紀半ば、ラジェンドラヴァルマン、ジャヤヴァルマン5世という2代の王の交代期前後に造られました(967年)。
建立したのは、王族の一人で王師でもあったヤジュニャヴァラーハとその弟です。石碑文によると、ヤジュニャヴァラーハは多くの学問に精通した大学者であると同時に、病や貧困で苦しむ民を助ける慈善家でもあったとされています。ジャヤヴァルマン王は父王の跡を継ぎ若くして即位しますが、この王師から帝王学を学びました。
半世紀余りに渡る両王の治世は、中央集権と官僚制が発達した時代で、宮廷貴族や高級官僚による富の蓄積も進みました。王以外の建立者による寺院も現れましたが、バンテアイ・スレイはその代表例です。非凡な人物であったヤジュニャヴァラーハは、高い芸術感覚の持ち主でもあったのでしょう。彼が生み出したのは、後世「アンコールの宝石」「クメール美術の至宝」などと称えられる壮麗な建築作品でした。

写真:Tomie Tomy

20世紀初めからアンコール遺跡の調査研究・修復を行ってきたフランス極東学院は1931年、「アナスティローズ工法」という遺跡修復の新手法を導入するにあたり、バンテアイ・スレイ遺跡を最初の対象に選びました。試みやすい遺跡規模や考古学的価値もさることながら、芸術性の高さがその理由の一つであろうことは想像に難くありません。

コンパクトな伽藍は全体の美しさを鑑賞するのに適している

写真:Tomie Tomy

「女の砦」という意味を持つバンテアイ・スレイ遺跡ですが(アンコールの大半の遺跡と同じく後世の呼び名)、遺跡一帯は往時「シヴァ神のまち」を意味する「イシュヴァラプラ」と呼ばれていたようです。
全体的にコンパクトサイズで、主建材に赤い砂岩を使っているため、煉瓦造り寺院にも通じる温かみのようなものがあります。煉瓦、ラテライトも併用されており、全体が赤っぽい暖色系の色合いです。黒々とした岩で造られた巨大な寺院遺跡とは、明らかに違うイメージです。

写真:Tomie Tomy

環濠は最乾季には枯れますが、それ以外は水を湛えており、清楚な遺跡の姿を映し出しています。アンコール時代には、さぞや美しいお寺だったのでしょう。

写真:Tomie Tomy

現在、遺跡保護のため中央の祠堂群に近づくことはできません。レリーフをクローズアップで撮影したい方は、望遠レンズを持って行かれることをお勧めします。
多少離れていても造形の美しさは十分味わえます。むしろ距離があることで、端正な彫刻の集合体としての全体像がよく鑑賞できるともいえます。実際、精巧な装飾の凝縮感は、息を呑むばかりです。コンパクトであることも、全体をよく見渡すのにかえって好都合です。

破風装飾は、神々が躍動する神話劇場

写真:Tomie Tomy

草花、神々、動物、渦状文様など様々な浮き彫りが建物全体を覆い尽すほどですが、外観上特に重要な部材である破風(はふ/扉の上方にある三角形の部分)やリンテル(扉直上の横石=まぐさ石)には、ヒンドゥー教の神話世界をモチーフにしたレリーフが彫られています。
中でも、破風(一部はリンテルも)は物語の宝庫です。
インドの叙事詩「ラーマーヤナ」から、魔王ラヴァナによるラーマ王子の妃シータ誘拐の場面や、猿王の兄弟ヴァリンとスグリヴァの戦い、カイラス山を揺すってシヴァ神の瞑想を妨げる魔王、シヴァの妃ウマに依頼された愛の神カーマがシヴァへ愛の矢を射る場面、象の聖水で身を清めるヴィシュヌ神の妃ラクシュミー、燃えるカンダヴァの森と雨を降らせるインドラ神など、様々なシーンが実に生き生きと描写されています。
文字通り、神々が踊っているような躍動感があります。とはいえ、戦いの場面の中にはよく見るとドキッとするような描写も見られます。

写真:Tomie Tomy

これだけの作品を創り上げた当時の彫工たちの職人魂は、大変なものだったのではないでしょうか。ただ残念なことに、アンコール遺跡の碑文にはそうしたアーティストたちの名は残されていません。

写真:Tomie Tomy

インド文化に大きな影響を受けていた当時の人々は、こうしたヒンドゥーの物語やエピソードにもよく親しんでいたのでしょう。一つ一つの破風がストーリーテリング劇場であり、寺院を訪れた貴族や宮廷人たちは、しばし足をとめて彫刻に見入ったのでしょうか。こうした神話壁画は約200年後、アンコールワットの回廊浮き彫り壁画という超大作へと発展を遂げます。

名匠の技が冴える!リンテル彫刻はアンコール建築美術の華

写真:Tomie Tomy

そして特筆すべきは、何と言ってもリンテルです。入り口(装飾目的の偽扉も含む)直上という建物の最も目立つ部分を占めるリンテルの浮き彫りは、クメール建築美術の「華」であり、破風とともに祠堂の顔と言っていい存在です。

写真:Tomie Tomy

そのためどの遺跡でも、リンテル彫刻には優れた作品が多く、おそらくはその時代時代のトップクラスの名工や腕利き彫刻師たちが手がけたのでしょう。そんな華々しい美の競演の中にあっても、バンテアイ・スレイのリンテルは、ひときわ群を抜く傑作揃いです。

写真:Tomie Tomy

その躍動感あふれる表現力、これでもかというくらい複雑で緻密な文様、妥協のない深い彫り込み、千年の時を経ても失われない切れ味…。ついつい時を忘れて見入ってしまいます。小さな遺跡ですが、珠玉の作品群がぎっしり詰まった美術館かアートギャラリーにいるような心地です。

盗掘事件で有名になった女神像デヴァター

写真:Tomie Tomy

小説「王道」で知られるフランスの作家・元文化大臣のアンドレ・マルロー(1901-1976年)はその若き日(1923年)、この遺跡のデヴァター(女神像)を盗掘しようとして逮捕されました。「王道」はその時の体験をベースにしています。
小説の描写からするとバンテアイ・スレイは当時、多くの危険に満ちた密林に半ば埋もれた状態であったと想像されますが、金銭的動機や冒険心、野心などが渦巻いていたであろう若者を強く惹きつけたのでしょうか。とはいえ、この事件は遺跡保護・整備の機運を高める要因の一つとなったようです。
デヴァターは、中央に3基ある祠堂の壁龕(へきがん)に彫り込まれています。門衛神のデヴァラパーラも含めて1基8体ずつあり、計24体の神像(うち女神像は左右の祠堂に計16体)が祠堂群を守っています。実物は思ったより小さいと感じられるかもしれません。

写真:Tomie Tomy

デヴァター、デヴァラパーラ像はどの遺跡でもポピュラーな存在ですが、寺院ごとに少しずつイメージが違います。バンテアイ・スレイの女神像は、よりふくよかで柔らかい印象でしょうか。その豊かな感じが「東洋のモナリザ」と呼ばれる所以かもしれません。他の遺跡ではあまり見られない頭をわずかに傾けたポーズも、何かを想っているような、どこか謎めいた雰囲気です。

写真:Tomie Tomy

遺跡近くには、ボートにも乗れるため池や遺跡解説パネル、レストラン、土産物店などがあります。それらの周辺施設も含め、アンコール美術史上に輝く匠の技「バンテアイ・スレイ彫刻」を、たっぷりとご堪能下さい。

バンテアイ・スレイ遺跡の基本情報

住所:Krong Siem Reap
アクセス:シェムリアップ市街から北へ約40キロ。車で1時間前後。

【トラベルjpナビゲーター】
Tomie Tomy

提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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