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清木場俊介『ソロ10周年&約8年ぶりEXILE ATSUSHIとの“共演”を振り返る』

“唄い屋”清木場俊介が今年、ソロデビュー10周年を迎える。2006年3月にEXILEを脱退し、ソロ活動を本格化させた清木場。決して平坦ではない道のりを“転がる石”のように生きてきた彼にとって、この10年はどんな時間だったのだろうか? また、今作で約8年ぶりに歌声を交わした、EXILE ATSUSHIとの“共演”についても、楽しそうに振り返ってくれた。

全曲が自分の子どものよう どの曲も“自分らしさ”をもってる

――ソロデビュー10周年を迎えられて、ご自身では何か特別な思いはありますか?
清木場俊介実は周囲の人たちやファンの方々が思っているほど、当の本人は意外と普通の感覚というか。もちろんいろいろなことがありましたが、今後への期待感のほうが大きいかもしれないです。とはいえ、10年活動を続けられたことは嬉しいですし、自分ではベストを尽くしてこられたという意味も含めて、今回ベスト盤という作品に残せたことに幸せを感じています。

――収録曲はどのような基準で決められたんでしょうか。
清木場タイトルに“Vol.1”と付けられているように、今後も続けていきたいシリーズではあります。その第一弾となる今回は、ファンの方やスタッフの人たち、もちろん自分の思い入れがある曲、それぞれバランスを考えて収録しました。自分としては全曲が自分の子どものような感覚なので、どの曲を入れても自分らしさに変わりはないとは思っていますが。

――清木場さんの生き様を表現したかのような「ROLLING MY WAY」を1曲目に持ってきたあたりは、やはり10年の活動を象徴しているなと。
清木場やっぱり“自分はこういう生き方をしてきた”ということを最初に示しておきたかったというか。こういう生き方があったからこそ、逆に深い愛の形を表現したバラード曲も伝わりやすいとも思っていて。今までの自分の生き方を表現しつつ、これからもこういう生き方をしていきたいという、その両方が込められている曲です。

――3曲目の「なにもできない」と、ソロデビューシングルにもなった4曲目の「いつか…」は、2005年に発表した1stシングル収録曲ですが、当時の思いが蘇ってきますよね。
清木場両曲ともほぼ同じタイミングでできたんですが、当時の僕としては「なにもできない」の方を表題曲にしたかったんですよ。個人としてはロックやフォーク、EXILEとしてはR&Bやポップスという方向性だったので、グループでやっているような曲調と同じことをソロで披露しても仕方がないんじゃないかって。今となれば当時のスタッフさんの主張も理解できますし、あの時だからこそ生まれた悩みや葛藤を経験できたことには感謝していますね。

ファンに求められる曲を唄いたくない時期もあった

  • 『唄い屋・BEST Vol.1』(通常盤)

    『唄い屋・BEST Vol.1』(通常盤)

――「愛のかたち」は、ライブで唄ってほしいというリクエストが多いそうですが。
清木場自分としてはロックやフォークを深堀していたので、(この曲を)実は唄いたくない時期がありました。でも、3年前くらいにロック色の強い「ROLLING MY WAY」や「唄い人」の深さを理解した瞬間があって、そうなると真逆にあるこの曲が愛しくなってくるんです。その頃から、曲ができた当初の純粋な気持ちが蘇ってきましたしね。やっぱり、この曲を唄った時に喜んでくれるファンの方々の顔も浮かびますから。

――その次に収録されている「唄い人」は、まさに清木場俊介の代名詞ともなる曲になりました。
清木場ソロ活動を何年も続けていくと、一見、表面的に映る<僕は僕の唄いたい唄を唄う>という歌詞の中に、ものすごい覚悟、悔しさ、未来への希望……すべてが含まれていることが理解できるんですよ。発表した2005年当時の尖りまくって唄っていた自分と、34歳になって冷静に唄えるようになった今の自分、その2人がまったく別次元にいるので今はさらに染みますね。この曲を聴いてくれる一人ひとりの生きる証を見つけるべきだ、というメッセージも込められているのですごく深い曲だなと。

――「最後の夜」は20代の半ばに書かれた曲ですが。
清木場これは、自分でもよく書けたなと不思議に思う曲です。ソロになったばかりのツアーで狭いホテルに宿泊していたんですが、その時に持っていたアコギで作ったんです。この曲も「ROLLING MY WAY」もですが、曲が舞い降りてくるような感覚ででき上がりました。

――さらにさかのぼって、「そのままで…。」は18歳のときに作られた曲です。アルバムを通じて10代、20代、30代の遍歴が垣間見える内容になりましたよね。
清木場そうなんです。しかもこの曲は、歌詞もメロディも作った当時のまま。18歳の自分を憧れのステージに立たせたくて、初めて武道館で演ったライブで唄いましたね。自分のルーツのひとつでもあるから、当初はこのアルバムの最後に収録するつもりだったんです。

EXILE ATSUSHIの提案で、約8年ぶりに“共演”が実現

  • 『唄い屋・BEST Vol.1』(初回限定盤)

    『唄い屋・BEST Vol.1』(初回限定盤)

――アルバムの最後を飾ったのは、EXILE ATSUSHIさんとの「羽1/2」になりましたが、どういった経緯で実現したんでしょうか。
清木場年に1度だけ年末に一緒に食事をするんですが、その時に彼のソロアルバムで僕がEXILEに在籍していた頃の曲を収録するという話を聞いて。彼も優しすぎるので、僕のパートを勝手に唄ったら悲しむんじゃないか、ということでわざわざ伝えに来たんです。でも、その3日後に再度連絡があって「一緒に唄ってほしい」と。それに対してはあまり驚きもしなかったんですが“ちゃんと確認は取っているの?”と聞いたら「まだだよ」って(笑)。僕の中で、特にHIROさんには辞める時に迷惑を掛けていますし人として大好きな方ですから、僕からも連絡をさせてもらいました。そうしたら「ATSUSHIに任せているから、2人で好きなようにやってよ」ということで。

――そもそもEXILE ATSUSHIさんの作品へ参加することが始まりだったんですね。
清木場そうなんですよ。それで、自分だけお願いするのは申し訳ないから、逆にアルバムに参加させてほしいと言われて。「羽1/2」は僕がソロになってずっと唄っていた曲で、唯一過去の自分とつなぎ合わせてくれていたもの。ATSUSHIからも唄いたいと言ってもらえたので、僕自身も断る理由がまったくなくて。

――2人でしか成し得ないですし、すごく自然な流れですよね。
清木場何の意図も戦略もなく、すごくシンプルでしたね。すでに自分というものが確立していますから期待の方が大きかったですし、やっぱりATSUSHIは日本でもトップクラスのボーカリストなので、自分の唄のレベルがどこまで通用するのか? それも知りたかったというか。しかも、お互いが一番いい状態の時にできたんじゃないかなと。それこそ10年に一度くらいこういった機会があれば、自分自身も次のステップへ進めますから。

――10年前と今現在と、変わった部分とそうでない部分はありますか?
清木場性格でいえば、半分くらい変わっていると思います。今は何が来ても動じなくなったというか、やっと社会に出ても恥ずかしくなくなったかな、と。僕の場合は誰かに求められてソロになったわけじゃなく、自分で望んでソロになった。自分自身を表現して、そこに着いて来てくれるファンがいる。だから、僕とファンとで求め求められている関係性というのは常に折半なんですよね。

――この10年の活動を経て、現段階で将来に向けてどんな想いを抱いていますか?
清木場まだまだこれからですよね。ようやく自分のことを冷静に見られるようになりましたし、この10年間ヒヤヒヤしながら応援してくれたファンの方にも、ともに歩んで行こうと言えるようにもなりましたから。今までは自分を知るための10年でしたが、これからはファンの方々やスタッフさんとひとつの円を描いていけたらなと思っています。
(文:鈴木貴視)

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