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ジェーン・スー、父との衝突と疎遠を経てたどり着いた“親子の関係性”「どこまで自分に正直に書けるか…」

  • ジェーン・スー 撮影:岡田一也(C)oricon ME inc.

    ジェーン・スー 撮影:岡田一也(C)oricon ME inc.

 コラムニスト、作詞家、ラジオパーソナリティーと、様々な分野で活躍するジェーン・スー。4月からは自身の父とのことを描いた『生きるとか死ぬとか父親とか』が、吉田羊・國村隼のダブル主演でドラマ化される。原作である本書は、「緩衝材」的存在だった母が亡くなった後の破天荒な父親とのすれ違いや不和、それでも父の要求に応じ、振り回されてしまう娘の複雑な愛憎が赤裸々に綴られている。人生相談の回答の名手である彼女が、父との関係を書くことで見えてきたこととは?

一度は憎んでいた父を書くことへの葛藤「自分のいやな気持ちを書けるかが分岐点だった」

  • ジェーン・スー 撮影:岡田一也(C)oricon ME inc.

    ジェーン・スー 撮影:岡田一也(C)oricon ME inc.

――最初にドラマ化を聞かれた時は、どのようなお気持ちでしたか?

ジェーン・スーそもそも父と私の記録としての月報のような連載だったので、本になったこと自体がありがたいと思っていたんです。ドラマにまでしていただけると聞いて、本当に光栄に思いましたし、嬉しかったですね。

――主人公の蒲原トキコ役は、吉田羊さんが演じられます。キャストが発表された後、スーさんと吉田羊さんが「瓜二つ」という反響も多く見られました。

ジェーン・スーそれに関しては役者さんって本当にすごいなと思いました。「スーさんに見えます」って言っていただくことも多かったんですけど、それは吉田羊さんが、蒲原トキコを演じるにあたって私に寄せてくださっているからなんですよ。元々私に似ているということでは決してないです(笑)。

――お父様自身は、ドラマ化について何かおっしゃっていましたか?

ジェーン・スー最初は全然分かっていなくて。一緒に撮影を見に行ってはじめて、理解したみたいです。「本当にドラマになるんだ? すごいね〜」って喜んでいました。

――今回の原作本で、お父様とのお話を執筆される時に最も苦労されたのはどういった部分ですか?

ジェーン・スーどこまで自分に正直に書けるか、ということは私にとって大きな挑戦でしたね。文庫本の解説でも中江有里さんが書いてくださったんですけど、やろうと思えば、いくらでも父と娘のほっこり話は書けるんですよ。お涙頂戴にもできる。でも、本気で父を憎んでいた時期もありましたし、自分としても書くことが自己セラピーになっていくこともわかっていたので、ごまかせないだろうなと。

――現実をそのまま書くことが、なかなか難しい部分もあったということでしょうか?

ジェーン・スー父や周りの人も登場するので、何を大切にするかの判断が難しかったんですよね。つまり、自分の気持ちに正直になって、私から見た真実をそのまま書くことを優先するべきか、父のプライバシーや話さなくてもいいことを書かずにすむようにするかを、すごく考えました。

――その折り合いは、最終的にどうつけていきましたか?

ジェーン・スードラマにも再現されていると思いますが、やっぱり都合の悪い話も書かないと嘘になってしまうんですよね。自分がいやな気持ちになることをちゃんと書けるかどうか、ということが分岐点だった気がします。

――実際に書き上げてみて、いかがでしたか?

ジェーン・スーいやーな気持ちにはなりましたけど、本当のことを書いているかどうかは、常に意識していました。何度も戻っては書いて、直して、という繰り返しでしたが、結果としてはやってよかったですね。当初思っていた通り、自己セラピーにもなりました。

求めていた父親像と、関係性の変化「家族だから歩み寄った方がいいわけではない」

――一番近いからこそ見えない親子関係の難しさも感じましたが、スーさんにとってお父様はどういう存在でしょうか?

ジェーン・スー非常に定義しづらいですね。単純に、親という枠にハマってくれない人なので。まぁ、縁あって人生の長い時間を過ごす相手、という感じでしょうか。

――お父様は、親戚の反対を押し切ってお母様と結婚されたり、4億の借金をされたりと、波乱万丈な人生を送られています。スーさんご自身にも、お父様に似ている部分はありますか?

ジェーン・スー波乱万丈だったのは、どちらかというと巻き込まれた母の方ですよね。本人は自業自得なので(笑)。自分では父譲りの部分があるかどうか、分からないかな。でも顔は父に似てるってよく言われます。性格は、母らしさもあるし、父のいい加減さもありますね。

――お母様が亡くなった後、「私の期待に反し、父は全身で“父親”を務めてはくれなかった」とありました。当時、スーさんが求めていた父親像とは、どういったものだったのでしょうか?

ジェーン・スーよく普通にいる、ちゃんとした父親ですよね。子どもと向き合って、父親が求められることをやって、責任者として振る舞ってほしかった。母が亡くなった時、私はまだ24歳だったので。不慣れながらも向き合って父親をやってくれるのかと思いきや、全然そうじゃなかったので「こんな大人いるんだ?」ってビックリしました。

――その関係性は、徐々に変化していきましたか?

ジェーン・スーそうですね。何年か一緒に住んで離れてを繰り返して、色々な思いがありました。35歳から40歳ぐらいまでの間は、親と接点を持たなければいけないのが本当にイヤだったこともあります。お互いに年を重ねたことで自然に変化していった感じですかね。

――今現在は、スーさんの思う親子関係に近づいていますか?

ジェーン・スーいや、全然。近づける気はもうないです。私の理想としている親子関係は無理だから、これでいいやと。

――「諦め」、「妥協」、「許し」、「我慢」なら、スーさんは親子関係で何が一番大事だと考えますか?

ジェーン・スー「諦め」ですかね。親といえども、子といえども、お互い思い通りにはならないから。血が繋がっていることで理解し合える気になってしまうけど、そんなことはないと思います。

――かつてのスーさんと同じように、親子関係に悩まれている方もいると思います。歩み寄れないままでいるのは、なんだか悲しい気もするのですが……。

ジェーン・スーそんなことはないですよ。正解はないし、歩み寄れた方がいいかどうかは、家族によって違うので。家族だったらうまくやったほうがいい、仲がいい方がいいってことは、決してないと思います。関わるだけ傷つく親も余裕でいるし。やっぱり期待すると、そうなってしまうんですよね。だから、「諦め」というか、「期待しない」ほうがいいのかなと。

――スーさん自身は、本を書いたことでお父様への思いは変わりましたか?

ジェーン・スー父親に関するうらみつらみは、だいぶなくなりました。私にとってはですけど、書いたことで整理がついたんですよね。

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