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【YOSHIKIインタビュー】クラシックというルーツ、ロックとの出会い「自分の中には両方とも必要」

 日本のみならず、世界にも大きな影響力を持つX JAPANのリーダーであり、ソロでも活躍するYOSHIKI。クラシックのピアニストでもある彼は、来年1月にクラシック音楽の聖堂、ニューヨーク・カーネギーホールでコンサートを開催することを発表。それに先駆けて12月には大阪・東京・香港をまわるワールドツアーを行う。ロックとクラシック、一見相反するように思える音楽だが、YOSHIKIの中ではどのように融合しているのだろうか? 日本を代表するアーティスト、YOSHIKIの音楽のルーツ、様々な活動への考えに迫る。

X JAPANの曲も99%譜面になっている。その意味ではクラシックも一緒

――YOSHIKI さんは、2013年にクラシックアルバム『YOSHIKI CLASSICAL』を発表して、翌年にツアーで世界中を回っています。まずは、そのクラシックツアー第一弾が実現した経緯から教えてください。
YOSHIKI2013年の夏ぐらいかな。アメリカのグラミーミュージーアムで、アルバムのショーケースがありまして、僕のアメリカのエージェントであるマーク(・ガイガー/世界最大級のエージェント“ウィリアムモリス”の音楽部門トップ)も観にきていたんです。彼がそのショーケースを観て、突然「クラシックツアーをやったほうがいい!」って。それから世界20何ヶ所かを回るツアースケジュールがバーッて出てきた(笑)。マークは、「YOSHIKIの、ロックな面を知っている人は大勢いても、クラシックの面は知らない人のほうが多い。X JAPANではドラムの面が強調されるけれど、クラシックだからといってピアノだけで勝負するわけじゃない。YOSHIKIの音楽人生で最も重要なのは楽曲だ。クラシックアレンジの曲を聴いていると、なぜYOSHIKIがX JAPANでこういう楽曲を書いたのか、その感情の発露のようなものがより鮮明になっていい」って言うんですね。で、2ヶ月ぐらい悩んで、結局説得されました。最終的に、世界10ヶ国をまわったのかな。

――ロックバンドでのツアーとの大きな違いは、どんなところに感じます?
YOSHIKI僕の中では、ロックとクラシックとであまり違いは感じていないんです。クラシックは、演奏する音が全部譜面に書いてあるわけだけれど、僕自身がそもそも、曲は譜面に全部書いちゃうから。ドラム譜、ギター譜、コード譜まで全部。作曲するときに楽器は使わないで済むから、譜面さえあれば飛行機の中でも書けちゃう(笑)。X JAPANの曲も99%譜面になっているので、それに沿って演奏するという意味ではクラシックも一緒。音楽って、メロディを重視する上ではつい横の軸で考えがちだけれど、和音っていう縦の軸も大事なんです。クラシックでもロックでも、瞬間瞬間に和音が成立しているところも一緒だし、譜面以外のところで音がぶつかると、瞬時に僕はわかってしまう。SUGIZOも、X JAPANに入ってビックリしてました。「弾く音が全部決まってるんですね」って。

――クラシックは正確さが命なので、グルーブ感みたいなものが出せない気がするんですが
YOSHIKI全部音が決まっていても、その中でグルーブ感を出せばいい。あとは、クラシックをやることで、絶対にX JAPANにも跳ね返ってくることはあるな、とは思います。クラシック用に作った曲がX JAPANでも演奏できそうだったりもするし……。いいメロディがあれば、それが聴く人に合わせて、ロックになっても、クラシックになっても、EDMになってもいいんじゃないかな。だって、200年前は西洋の音楽といえばクラシックしかなかったわけだし、大きな括りの中では、ロックもクラシックも“音楽”なので。それで人の心を揺さぶることができるかどうかがすべてでしょう?

“アメリカでは受け入れられない!”と言われ、日本でも居場所がなかった

――なるほど。ある意味、YOSHIKIさんの音楽がもう一つのジャンルなのかもしれないですね。
YOSHIKIというか、もともとX JAPANの音楽が、かなりのクロスオーバーだと思うんです。20年ぐらい前にアメリカに渡ったときは、レコード会社の人たちに、「ヘビーな音楽をやるのなら、ヘビーな音楽だけにしたほうがいい。アメリカでは、あんな超がつくヘビーな曲の後に、突然ピアノでバラード歌っても絶対に受け入れられない!」って言われたんです。

――そうなんですか。
YOSHIKIもっと遡れば、日本でもずっと、僕ら、居場所がなかったですからね。「スピード感のある激しい音楽なのに、なんでメイクしてるんだ!」とか、「音楽のジャンルを決めてくれないと、扱ってもらえる雑誌が決まらない」とか(笑)。でも、メイクをしていたのも、明確なコンセプトがあったわけじゃない。ただ面白いからやっていただけ。反抗期だったので、言われれば言われるほど派手なパフォーマンスをしたくなって(笑)。気づいたら、ビジュアル系というジャンルが確立されて、気づいたら世界にも広がっていった。でも、僕だって、遊園地に行ったらジェットコースターだけ乗りたいわけじゃないですからね。ゆっくり寛げる観覧車とか、コーヒーカップとか、そういうのにも乗りたいですよね。基本、僕はライブでは、“ジャーニー”っていうか、オーディエンスを旅に連れて行きたいんです。

ロックと出会わなかったら、父を追うように死んでしまっていたかも

――YOSHIKIさんがロックと出会う前。少年時代は、クラシックのピアニストになることを夢みていたんですか?
YOSHIKI4歳からピアノをやっていて、当時は絶対にクラシックの道に進むんだなと思っていました。父親もピアノをやってましたし。でも、まぁ、10歳のときに父親が亡くなって、そのタイミングでロックと“出会ってしまった”んです。

――“出会ってしまった”?
YOSHIKI父の死因が、自殺だったんです。そのときは、少年ながらに悲しみと同時に怒りも湧いてきて、ロックは、そういう行き場のない様々な感情の受け皿になってくれた。僕も当時は自殺願望がすごかったので、もしロックと出会わなかったら、あのとき父を追うように死んでしまっていたかもしれないと思います。ロックと出会ってからも、クラシックは続けていたんですが、今こうやってクラシックのコンサートをやるようになったことは、音楽のルーツに戻っているような感覚があって……。自分の中には両方とも必要なのかな、と。

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