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デビュー15周年の森山直太朗、名門森山家のマル秘エピソードを語る

“二世”ということに、コンプレックスは感じなかった

  • ベストアルバム『大傑作撰』

    ベストアルバム『大傑作撰』

――“血筋”ですね(笑)。そこも含めて、音楽一家としての森山家の特殊性みたいなものは子どもの頃に感じていました?
森山直太朗 それはよく聞かれますが、子どもの頃は他を知らないからよくわからなかったです。ただ、うちは昔からとにかく人の出入りが激しい家で鍵をかけないのが当たり前。常にドアが開いていて何十人もの人たちが勝手に来ていることが日常だったんです。しかも当時のミュージシャンの方たちって、お酒飲んで打ち上げをするためにライブをするみたいな人が多かったから、ワイワイ騒いで歌って、とにかく無邪気。でも元気な大人って子供からするとすごく怖くて、そういう人ほどやっかいだったりするじゃないですか(笑)。

――わかります。玉置浩二さんとかもよく来ていたそうですね。
森山直太朗 玉置さんは一時期、毎晩うちに泊まっていました(笑)。でも、若い頃はそんな大人たちからちょっと距離を置いていた。羨ましいけど僕にはできないなっていう感覚だったんです。

――二世コンプレックスを感じたことは?
森山直太朗 誰の子であろうと、自分の活動の中で最終的には関係ないという意地みたいなものはデビュー前後はすごくありました。ただ、僕の場合、母親がメディアに出ることでアイディンティティを保っているタイプのミュージシャンじゃなかったので、そこまでコンプレックスは感じなかった。その点は恵まれていたかもしれない。母親からも「あなたがデビューしてもいろいろ言われないように、私は何とも言えないところで、何とも言えないようにやってきたのよ」ってよくわかんない説得をされました(笑)。

――(笑)。お母様から音楽についてのアドバイスは?
森山直太朗 もし母から「歌手になってみれば」ってひと言でも言われたら、僕は殻に閉じこもっていたから、デビュー前はむしろ何も言われなかったです。でもデビュー後は、同じ土俵にいる人間として口うるさくなりましたね。テレビの歌唱を見た時やコンサートに来てくれた時、「厳しくやるわよ」って感じでいろいろ言われたりはします。

――テレビではそんな“森山一家”のことが話題に出ることも多いですが。バラエティに出ることへの抵抗は?
森山直太朗 僕がテレビに出始めた頃って、バラエティ番組と音楽番組の境目がなかった時代だったんです。音楽番組のMCを芸人さんがやるっていう時点で、明確な線引きはないじゃないですか。だから出ることに抵抗はなくて、むしろ社会科見学みたいな気持ちでした。

――芸人さんからよくいじられていますが、それも抵抗はない?
森山直太朗 そこはね、実は“この人ならいじってくれていい”っていう人が4人くらいいまして。それ以外はダメっていうのが僕の中に一応あります。

――その4人は教えてもらえないんですね?
森山直太朗 ダメです、思想がバレちゃうので(笑)。

いつだって歌うことが生きる指針であり、成長をうながすもの

――音楽の話に戻りますが、15年以上、音楽活動をする中で表現欲求がつきたり、モチベーションが下がってしまったことはなかったのですか?
森山直太朗 基本的にはなかったです。ただ「生きてることが辛いなら」って歌を出した後、曲のテーマも含めてもう後はない、ここがゴールじゃないかっていう感じがありました。御徒町とも「もうやめよっか」ってお好み焼き屋で話したのは覚えてます。あの頃は僕自身、表現するってことに対して考えが甘いというか。地に足がついてなかった時期だったんですよね。でも結局、その後も曲を作っていくことで解決した気がする。実はこのとき御徒町が「ラクダのラッパ」という曲のモチーフを持ってきまして。<ラクダのラッパが聴こえるか?お前の命は何グラムでいくらだ>っていう、ちょっと比喩的な内容なんだけど、これは御徒町が当時の僕のていたらくと、それに気づき合えないお互いのフラストレーションについて作ったらしい。僕はそれを後から聞いて「そうだったんだ、ごめんね」みたいな(笑)、そんな感じだったんだけど、この曲を今回のベスト盤に収録できたのは値千金かなと。この曲がなかったらその後は違う道を歩んでいたかもしれないし、ここをきっかけに御徒町と一緒に曲を作ることそのものがコミュニケーションになっていった感じがある。カッコよく言ってしまうと、作り続けることで、いろんな問題も欲求も解消してこれました。だから幾千の言葉で会話を重ねても結局、もの(音楽)を作ったり表現するという姿勢でしか自分たちを示せない。それが恐らく続けられた理由だろうし、今後も変わらない部分だと思います。

――なるほど。森山さんにとって「音楽」とは何でしょう?
森山直太朗 大きなテーマですよね。答えを明確に言葉にできないから、本当にわからない。だけど、いつも帰結するのは「だからまた歌ってみよう、曲を作ってみよう」ってところで、次は何かあるかもしれないって気持ちにさせられるから、新しい曲を作り歌っているんだと思うんです。もっと言うと、音楽をやっていなければ今ある出会いも自分に対する苦悩もないわけで、要するにいつだって歌うことが生きる指針であり、成長をうながすものになっているのかなと。これは音楽に限らず、何か夢中になっているものっていうのは常にそういうものだと思いますね。

――では15周年を迎え、今後のビジョンは?
森山直太朗 僕はビジョンを持たない人間なんだけど、憧れはたくさんあって楽しい表現活動をしていきたい。そこで夢中になったり苦悩できることが自分の中で一番、面白いんですよ。そのためには今はまだ音楽すらままならないけど、でも音楽だけじゃない垣根やジャンルを越えるようなものを作っていきたい。

――そうお聞きすると、森山さんはアーティストというよりはエンターティナーという気がします。
森山直太朗 さすがに「自分はエンターティナーです」とは僕の性格上、言えないですけど(笑)、表現することが面白いって意味ではそれもひとつの結論かも。ただ、僕の場合、面白いってとこだけに特化しちゃうところが悪い癖なので、じゃあそれをどうするか。今後はそこをもう少し考えていきます。

(文:若松正子)

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