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大貫妙子インタビュー ソロデビュー40周年、野生動物の観察で多くを学んだ

 今年でソロデビュー40周年、7月にはBOXアルバム『パラレルワールド』を発表した大貫妙子。1973年に山下達郎らとシュガー・ベイブを結成、その後ソロとなって以降、日本のポップミュージックシーンで長年活躍を続けてきた彼女は、今なにを思うのか? 音楽活動をやめようと思ったこと、旅が与えた影響、そして歳を重ねた今だからこその楽しさ……。彼女らしい、真摯な言葉で語ってくれた。

いろいろと指示されることが多くて、音楽やめちゃおうかなと思った

――ソロデビュー40周年を記念したBOXアルバム『パラレルワールド』も発表されましたが。大貫さんは、40周年をどう捉えてますか?
大貫妙子パラレルワールドは、とても面白い内容になっていますよ!個人的に40周年はとりわけビッグイベントではないですね(笑)。私自身は、特別なことをするつもりではなかったんです。でも、「大貫さん、この先“○周年”はないかもしれないから、今やっておいたほうがいいんじゃないですか?」って冗談まじりにスタッフに言われて、「そうねぇ、この先の10年は約束できないから、一回くらいやっておきましょうか」みたいな感じで(笑)。シュガー・ベイブの40周年を3年前にやったので(1973年デビュー)、今回はソロになってからの40周年ということで、お受けいたしました。

――40年間で、ご自分でもっとも変化したなと感じる部分はどんなところですか?
大貫妙子当然ですが、学んできたことは多いです。最初の頃は自分の好きなように音楽を作ってきたんですけど、3rdアルバムの時初めてプロデューサーを迎えました。いろいろと指示されることが多くて、音楽やめちゃおうかなと思ったこともありましたね。フラフラしてたら再び声をかけてくださる方がいて、また音楽を作り始めた。そうやって、受け入れる部分と違和感の中で、学んできたことが多いんだなって感じます。結局、自分の好きな音楽と、自分の持ってる声やメロディラインが必ずしも一致するとは限らない。ジャンルに関係なく、自分をいちばん生かすサウンドや世界をずっと模索しながら、だんだん育ってきたんだなぁって感じるんですよね。

私、90年代は1年のうち3分の2は日本にいなかったですから

――大貫さんはソロになってから、他アーティストとのコラボはあっても、基本的にスタイルを変えずにやってこられましたよね。変わらないって、実はすごく難しいと思うんです。
大貫妙子まあ、同時代に始めた矢野(顕子)さんも変わらないですからね(笑)。でも、時代に合わせるとか、あるいは売れなくなって方向を変えてしまうとか、極端にそういうことはしてきませんでした。作詞・作曲・歌という三位一体が基本ですから。もちろんアルバムの売上が落ちることはありましたけど、むしろその期間こそ自分のために有効活用しようと。ブラジルに行ったり、フランスに行ったり、スペインに行ったり……。旅に出るたびにアルバムの雰囲気が変わるので、それまで聴いてくれてた人達が「私の好きな大貫さんじゃない!」と、さらに売上が落ちることもありましたけど(笑)。でも、音楽に対して自分が楽しくワクワクし続けられることがなにより大切なことだと思っているし。それは音楽に反映されますから。したいことをするというのは簡単なことではないです。ファンの方が望むものではなかったとしても、そのアルバムが自分が思う商品としての基準値を必ず満たしていることが自分に課された仕事ですから。趣味ではないけれどそれを受け止めてくださったファンのみなさまの理解に支えられてきたと思っています。結果、自分のスタイルは維持されてたのかなと思います。私、90年代は1年のうち3分の2は日本にいなかったですから。

――旅がお好きなんですか?
大貫妙子旅が好きなんじゃないんです。本当はどこへも行きたくないの、面倒くさいから。目的がなければ出掛けて行きませんから(笑)。音楽の仕事の場合、そこに一緒にやりたい人がいる、という動機があれば労は厭わないでまっしぐらに出かけていきますね。90年代はそれにプラスしてネイチャーマガジンの仕事を受けていたので、(当時、雑誌『マザー・ネイチャーズ』で取材・執筆していた)、1回の旅は2ヵ月くらいなんです。海外レコーディングの隙間で野生動物の観察(笑)。帰ってきてもすぐ日本からいなくなってました。ネイチャーマガジンの仕事では、ガラパゴスや南極を旅したり、アフリカがいちばん長かったんですが、テーマはライオン、次はハイエナを観察。動物写真家の岩合光昭さんとスタッフの少人数の旅なので、音楽以外で学ぶことがこれまたすっごく多かったんですよね。野生というのは過酷です。動物たちはそのように思ってはいないでしょうが、生きるという基本をその5年間目の当たりにして、すがすがしい気持ちになりました。私たちの創りだしている社会は、私たちを生かしている他の命に対して、あまりに無頓着であるし、知ろうともしていない。その経験を経た以上、とくに歌詞を書く上でそうしたことが自分の基本になっているのは確かですね。人も動物ですからね(笑)。そういうものは音楽に全部跳ね返ってくるんです。

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