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フジロック20周年 SMASH・日高正博氏インタビュー「反省の連続。第1回目の経験があったからやってこれた」

 1997年、日本の大型ロックフェスティバルの先駆けとして、山梨県富士天神山スキー場で初開催された「フジロックフェスティバル」が、今年で20周年を迎える。現在では国内でも多くのフェスが開催されるなど、大型の音楽フェスティバルはポピュラーなものとなったが、「フジロック」初開催まであまりなじみはなく、まさにフジロックの歴史=日本の音楽フェス史といっても過言ではないだろう。ORICON STYLEでは、「フジロック」を主催する株式会社スマッシュの日高正博氏にインタビューを実施。「フジロック」への想いから、昨今の音楽フェスに対する現状まで、様々な話を聞いた。

レッチリには自分で直接メール「20年だよ。出てくれるよね?」

  • SMASH・日高正博氏

    SMASH・日高正博氏

――フジロックフェスティバルは今年で20周年を迎えますが、この20年間を振り返って、改めて今、どのように感じていますか?
日高 何もない(笑)。

――えっ!?
日高 毎回、目の前の1回に集中してきたことの連続だということもありますし、終わったことは振り返らない。そういう性格なんでしょうね(笑)。

――では、それを承知のうえで、20年を振り返らせてください(笑)。日本での大型野外フェスのパイオニアとして、1997年に第1回を開催した時の原動力は、そもそも何だったのでしょうか?
日高 やりたいことをやっていたら、こうなったんです。我々がやりたいこととは、何もお金を払えばどこにでも行くようなバンドを日本に呼ぶことではなくて、自分たちも一緒に活動していきたいと思えるバンドを、みんなに聴いてもらうこと。それと同時進行で、イギリスやアメリカ、日本の新しいアーティストたちと一緒に成長していきたいということが、スマッシュという会社が成り立っている根底にあるんです。そのためには、我々が「この音楽はいい!これからはこの音楽だ!」と信じることが大切。レッド・ホット・チリペッパーズやオアシスも、最初に知り合った時は、まだ現地で300人くらいのお客さんしか入らないような状況でした。「絶対にこれだ!」という思い込み。それがないと、面白くないですからね。ただし、そこで重要なのは“勘”ではないんです。“勘”でやるのはギャンブルであって、我々は、「これは最高!カッコいい!」と思うものを信じる。レッド・ホット・チリペッパーズがここまで大物になったのは、偶然でも必然でもなく、音楽がもたらした化学変化だと思っています。

――そのレッド・ホット・チリペッパーズをはじめ、今年はベックやスクエアプッシャーなど、第1回に縁のあるアーティストたちが集まりましたね。20周年に彼らを再びフジロックフェスティバルに呼ぶことができた喜びもあったのでは?
日高 いや、それもない(笑)。だいたい、20周年とか、やりたくなかったんですよ。でも、長い間一緒にやってくれたスタッフたちが、「20周年ですよ!」と言うので。10周年の時は、そういった話は絶対に受け付けなかったけど、でも今回は、「そうか、じゃあやるか」って(笑)。それで、レッド・ホット・チリペッパーズには、普段の交渉の仕方とは違って、自分から直接メンバーにメールを送ったんです。「今年で20年だよ。出てくれるよね?」って。20周年とかどうでもいいとか言いながら、人には20周年を押し付けるっていう(笑)。そうしたら「OK!」と返事をくれて、とてもラッキーでした。

――そんな経緯があったんですね。
日高 僕らが出会うバンドは、先ほども話したけど、お金で出てくれるようなバンドではなく、ちゃんと新しいコンセプトのアルバムを作って、ワールド・ツアーを回るというサイクルで活動しているアーティストたちばかりだから、そのサイクルと合わずに、「今年の夏はヨーロッパ・ツアー中だ」と言われれば、もうダメなわけです。それが今回、レッド・ホット・チリペッパーズは、ちょうど去年からレコーディングに入っていて、いいタイミングで声がかけられました。彼らと同じように、第1回目に出てくれたアーティストや、ベックのように、第1回目に出てくれるはずだったアーティスト(注:第1回目は、台風のため2日目が中止となった)に、今年は出て欲しいなという想いはありましたね。

フェスはまだ定着してない “商店”から“スーパーマーケット”になっただけ

“伝説”となった第1回目の「フジロックフェスティバル」

“伝説”となった第1回目の「フジロックフェスティバル」

――その第1回目から20年、今やロック・フェスは、音楽ファンに限らず幅広い層に浸透し、市民権を獲得したと思います。日高さんは、いつ頃にフェスが日本に定着したと実感しましたか?
日高 いや、まだ定着したとは思っていません。単に“商店”から“大型スーパーマーケット”になっただけで、お客さんが飽きてしまえば、離れていく危険性が大いにあります。別にシニカルに見ているわけじゃなく、そう見ないといけないと思うし、毎回、「もっと良くできたんじゃないか」、「もっとお客さんに楽しんでもらえる方法があったんじゃないか」という反省の連続ですよ。

――そうした反省のくり返しの中で、何かフェスに対する考え方で、大きな転換期はありましたか?
日高 やはり、すべては第1回でしょうね。思いもかけない台風がやってきた時に、「自分たちは、今まで一体何をやってきたんだ」と考えさせられました。その経験がなかったら、たぶん今までやってこられなかった。それは、ビジネス的に成り立つとか、ステージの数を増やすとか、そういうことではなく、自分の気持ちの中で、「オレたちは、ちゃんとやれたのか?」っていう問いかけの連続です。

――なるほど。音楽業界全体を見ると、近年はCDの売り上げが伸び悩む中、ライブ・コンサートの動員は活況を帯びています。そうした中で、フェスの役割も変化していると感じていますか?
日高 それは変わってきているんでしょうね。ただ一番健全なのは、CDの売り上げも、ライブ動員も、両方がどちらも成り立つことだと思うし、若い世代だって、いい音楽を選ぶ能力はちゃんと持っていると思う。最初のきっかけは、YouTubeでも何でもよくて、本当に好きになったら、ちゃんとCDも欲しくなると思うし、そう信じています。ただ、今が過渡期であることは間違いない。そこを憂いても仕方ないから、音楽を仕事にしている人は、どうすれば自分たちの仕事がうまくいくのか、それを一生懸命に考えればいいのではないでしょうか。

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