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台湾出身のリュウ・ピンイエン、実業家としても活躍のアーティストに迫る!

 アイドル出身のタレントは数多くいるが、リュウ・ピンイエン(愛称・イエンイエン)のように自分をどのように売り込んだらいいか理解しているタレントは少ない。彼女は、若くして台湾と中国で事務所を設立し、台湾芸能界の“キャリアウーマン”として話題となった。そんなリュウ・ピンイエンの事務所設立当初の出来事や激太りした過去について迫る。

芸能界での地位を捨て、単身留学、帰国後は起業し実業家としても活躍

 アイドル出身のリュウ・ピンイエンは、14歳で2人のアイドルユニット「Sweety」としてデビュー。歌だけでなく、演技にもチャレンジしたが、それだけでは物足りず、それまで積み上げた地位を捨て単身フランス、上海に留学した。留学先ではタレントとしては数少ないファッションマネージメントの学位を取得、帰国後自らの手で芸能プロダクションを開いた。また留学で学んだことを生かし、芸能プロダクションを設立。これは彼女の12年に渡る芸能活動に新たな1ページを加えることになっただけでなく、アイドルには不可能だと思われていた会社経営を行うことにより彼女の才能を世間に知らしめた。芸能界に復帰した彼女は積極的にテレビドラマや映画、演劇などに出演。その演技力は2013年にテレビドラマ『咲かずに散るの毎日』で『金鐘獎』(台湾における『エミー賞』)の最優秀助演女優賞を受賞することで認められた。

 スクリーンの中の美しい彼女を見ると想像できないが、以前61キロにまで太ったことがある。ネット上には妊娠したのかとまで書かれ、それを目にした彼女は「妊娠しているわけないじゃないの」とディスプレイに向かって叫んだそうだ。結局1年足らずで贅肉とサヨナラできたそうだが、そのときを振り返り、「人生で一番太っていた期間」と語る。運動不足に、夜更かしや飲み会などで生活のリズムが狂ったことで体重がピークにまで達した原因となった。それからは減塩減油と運動で減量できたそうだが、それは見た目のためではなくて、健康のためだとし、彼女自身は「自分のお肉はそれほど嫌いじゃない」と言う。

芸能プロダクション設立当初は赤字……会社経営の酸いも甘いも経験

 彼女は人生においてデビューや留学、起業、体型維持に至るまで様々な生まれ変わりを何度も繰り返してきた。そのような忙しい生活の中で彼女を支えきたのはやはり音楽であった。3年もの時間を費やしたソロアルバムとこの音楽制作を通して、かわいいとチヤホヤされた過去の自分ではなく、現在の本当の自分を表現したいとしている。もちろん一流のミュージシャンのようにはいかなくとも、丁寧に綴った歌詞や生活の中で生まれたメロディを聴いた人が、前向きになれ、元気が出るような作品にしたいと言う。

 台湾と中国に芸能プロダクションを持つ彼女は、若いながらも台湾の芸能界では、超の字がつくほどやり手である。彼女は会社を開いた当初を思い返し笑いながらこう語る。「数学が苦手な私が、会社を開いたときの一番大きい問題は会計についてでした。当時現在の経理部長に帳簿をつけてもらっていたんだけど、会社を創立したとき、1ヶ月目の収支報告書が全部赤い字で書かれていたんです。それを見た私は、てっきり株式と同じようにストップ高を意味すると勘違いし、経理部長に『ほら全部赤い字で書かれているよ、会社設立当初からこんな感じなら、悪くないんじゃないの』って嬉しそうに言ったら、苦笑いを浮かべた部長に『それは赤字って意味、それだけ損しているの』って返されたなんてこともありました」。こんな失敗を重ねながら、それでも努力を続けたことが今の成功につながっている。

 台湾の芸能界は小さいが故に競争も激しく入れ替わりも早い。そんな激しい世界の中で彼女は懸命に新しい可能性を探し求め、自身のチャレンジであり、夢でもあるデビュー12周年のソロアルバムに取り組んでいる。そしていつか日本に赴き、より幅広く多種多様な芸能界にチャレンジしたいと願っている。

「謝謝我的我」ミュージックビデオ

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