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クリープハイプの尾崎世界観、自身の歌声や楽曲制作での苦悩について語る

自分の歌声は嫌いだけど、声が出なくなったときのショックは大きい!

――ドキュメントの中では、声が出ないという状況も映し出されていましたが。
尾崎 今までそういうことがなかったので、自分でも驚きました。いつかあるだろうとは思っていたけど、あんなに突然くるとは。赤坂BLITZ公演前は、風邪っぽくてノドが痛いとは思っていたんですけど、それでも経験からまだ大丈夫だと思っていて。でも朝起きたらまったく声が出なくて、あんなことは初めてだったので、すごく焦りました。赤坂BLITZは、自分の中ではリベンジしたい大事な場所だと思っていて、その日をすごく楽しみにしていたんです。そこで声が出ないというのが余計にショックで、すごく落ち込みました。いろんな手を尽くして、結果的には何とか出るくらいまでになって、最終的には楽しくやれたんですけどね。でも、そのギリギリの状態のままツアーが続いて、休みがあって少し声が戻っても、またすぐツアーで削れての繰り返しだったので、最後の最後はかなりきつかったです。

――結果的に声は出たわけだけど、また出なくなるかもという不安を抱えながらステージに立つのは、どういう気持ちだった?
尾崎 最悪でした。

――声が出なくなったときと出るようになったときでは、気持ちに変化はありましたか?
尾崎 声が出ることが当たり前だと思っていたので、それが出なくなったときのショックは大きかったです。感謝でもないけど、当たり前ではないんだと実感しました。音楽もそうですけど、そういう確実ではない、実態のないもので、自分は表現活動を行っているんだなって。キーも高くてギリギリでやっていて。慢心ではないけど、それが当然のようになっていたんだなと思いました。これは日々不満に思ってることも同じで、あとで思い返すとその経験があってよかったなって思うんだろうと思います。たとえば「憂、燦々」を出したあのときも、どうしてここまでしかイケないんだろう? と、ずっと不満を感じていたし。きっと今不満を感じていることも、何年かしたら、あのとき良かったなと思うのかもしれない。

――声といえば、尾崎さんの声はすごく特徴的ですが、自分の声に対する感じ方は変わったりしましたか?
尾崎 変わらず嫌いですよ。変な声だなって。街中で曲が聴こえてきたりすると、変だなって思います。でも、こんな声でも好きといってくれる人がいて、それと同じかもっと多いくらい嫌いという人もいて。以前なら、何も言われないくらいなら、嫌いと言われるほうがマシとも言っていました……でも、嫌いって言われると腹立ちますよね。こういう小さい怒りを、もっとどんどん溜めて、いずれ何かの曲で爆発させたいです!

――『わすれもの〜つま先はその先へ〜2016』のツアーを終えたときは、どんな心境でしたか?
尾崎 最初は、原点に戻るとかインディーズのころの感覚を取り戻すという気持ちが強くあったんですけど、結局ここでまた新しい不満が生まれて。だから、常に何かに不満を抱いているような気持ちは、消えないんだなって思います。でも、それでいいとわかりました。バイトをやっていたときはそれがそのときの不満だったし、今はその当時の感覚で曲が作れないのが不満だし。結局きりがないんだとわかったし、それは自分が曲を作る上で必要なことなんだなって。納得いかないことだったり、できない悔しさだったり、そういうことがあることによって音楽が作れるので。

バンドと音楽しかない、だからこそ一番嫌い……

――不満や逆境、怒りみたいなものをガソリンにしているのが、尾崎世界観という人間なんですね。
尾崎 自分のやり方というか、クセといってもいいでしょうね。面倒くさいやり方ですけど。きっと不満がなくなったら、それが新たな不満になるんでしょうね。怖くなるというか。あんなに声が出なくて悔しかったのに、調子が良すぎるとそれはそれで声が出過ぎて嫌だなって思ったり(笑)。

――今回リリースされた新曲「破花」からは、生み出すことの苦しみと、それが昇華されるまでの過程みたいなものも感じられました。それは、DVDに収録されたドキュメンタリーフィルムで映し出されていたものと、すごくリンクしているように感じましたが。
尾崎 「破花」には自分自身の気持ちが、すごく出ていますからね。その気持ちは、代ゼミのCM曲というテーマともすごく合っていると思ったし。僕らは、毎回ライブやCDリリースで、結果を目の前に突きつけられる瞬間があって、そこからは絶対に逃げられないんです。学校に通っていても、定期的にテストがあるし、部活をやっていれば試合があって、補欠になったりレギュラーになったりという、結果を突きつけられる場面がある。世に出ても、そういうものからは逃げられないんだなって。逃げたいけど、そこを避けては通れない人がほとんどだと思いますし。そういう部分で共感してもらえるだろうと思って、そんな気持ちを書いています。

――リリースのたびに試験を受けてるみたいな?
尾崎 毎回追試があるような気持ちでいます。音楽は、僕らはこうだと答えを書いても、正解かどうかを決めるのは世間なので。自分が間違いないと思う答えを書いても、それが間違いだという結果が出たとき、自信があればあるだけショックが大きいですよね。それも、はっきりとした数字で出てきますから。気にしないという人もいると思うけど、僕はすごく気にするほうです。

――尾崎さんにとってバンドや音楽は、どういうものですか? 昔は自分の音楽を表現するための1つの手段のようなものだったと思うんですが
尾崎 もう、そういうものではないですね。結局はそれ(バンドや音楽)しかなくて、だからこそ一番嫌いというか。それしかないし、そこからは逃げられないし、それ以上のものもないんですけど。どうやっても離れられないものなので、それが嫌ですね。

――好きとか嫌いとかを越えた、どうしようもない繋がりという部分では、家族というものに近いのかも。
尾崎 ああ、似ているかもしれないです。いるのが当たり前という存在になってきました。昔は、可能性や希望という良いところしかなかったんです。でも今は、良いところも悪いところも知って、音楽に絶望もさせられて……でもそれしかないし、やるしかないので、ずっと一緒に行くんだという上で、今こういう気持ちでいます。でも、もし音楽をやめたら、きっとまたやりたくなるんでしょうね。それを音楽に見透かされてるようで、それも悔しくて。だから、じゃあもっといい曲書いてやるよ!って思えます。

(文:榑林史章/ライブ写真:神藤 剛)

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