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藤巻亮太、3年半ぶりの新作に込められた“らしさ”からの解放「いろんな線を消すことで癒された」

 藤巻亮太が、2012年10月の『オオカミ青年』以来、3年半ぶりとなるオリジナルフルアルバム『日日是好日』(ひびこれこうにち)を発売した。前作で自分の中に溜まっていたものを全部吐き出した結果、いったん“空っぽ”になってしまったと話す藤巻。その後、自己と向き合いながらアルピニスト・野口健とともに世界をまわったり、レミオロメンのデビュー時のレーベル・SPEEDSTAR RECORDSとの再契約を経て、届けられた新作は、再び前を向いて歩きだした藤巻の今の心境がありのままにつめこまれている。

ここまでくるのに3年半かかった

――『日日是好日』は明るいトーンの解放感溢れる作品。自身の内省世界を突き詰めた前作アルバム『オオカミ青年』とはベクトルがまったく違いますね。
藤巻亮太 アルバムってどこか、そのときそのときの自分自身の集大成みたいな部分がありますからね。そもそも僕はレミオロメンをやる中でこぼれ落ちていたパーソナルなドロッとした感情とか、ギザギザした想いとか、そういったものはバンドではなく独りでやったほうがいいなと思って衝動でソロを始めたんです。だからスタートしたばかりの頃はある意味、レミオロメンの活動の中で溜まっていた“貯金”があって、『オオカミ青年』はそれをすべて吐露したアルバムだったんですよ。でも、リリースしてツアーもまわったことで願いは成就してしまって、自分が空っぽになってしまった。そのまま歌い続けても多分、レミオロメンと何ら変わらないものになってしまうだろうし、でもソロとしての吐露するものもない。要は「何もない、困った」って状態になってしまったんです。

――それってアーティストとしてかなり怖い状態じゃないですか。
藤巻 だからここまでくるのに3年半、かかりました(笑)。当時、僕の中でどういうことが起こっていたかっていうと、レミオロメンらしさとかソロらしさっていう線や仕切りを自分の世界に作ってしまっていて、音楽に使えるスペースがすごく狭くなっていたんです。狭いところで何かをやろうとしているときって「こうするべき」って固定概念でがんじがらめになっているから、生きること自体がもう苦しいんですよね。だからまずその“線”の存在に気づくこと、そしてその線は誰かが引いたわけではなく、自分が引いたものだから自分で消していく必要があった。1本ずつ線を消していくとその分、スペースが広がるし、そうなると人間って救われるんですよね。『日日是好日』はそうやっていろんな線を消すことで癒されながら作った作品。この中に「回復魔法」って曲があるんですけど、まさに自分が回復する過程をこの1枚のアルバムで如実に表せた気がします。

――アルピニストの野口健さんとヒマラヤやアラスカなど、世界中を旅したことも“回復”のきっかけになったそうですね。
藤巻 そうですね。やっぱり人間って東京にいて自分のサイクルで動いているうちは、自分のことをなかなか客観的には見られない。でも物理的にそこから離れて山の中を2〜3週間も歩いていると、精神的に目線が俯瞰になっていくんです。で、余計なものがどんどん削ぎ落とされていく。そうなると自分の中で本当に“大切なモノ”と“大切そうなモノ”の違いが少しずつ見えてくるんですよ。

――例えば?
藤巻 責任を果たすとかファンの声に応えるって一見、大切そうだけど、ある意味、自分で何とかできる範疇を越えている話で、それは“大切そうなモノ”じゃないかなと。本当に大切なのは自分が本当にいいと思う音楽を仕上げていくことで、そこにエネルギーを注ぐべきだと思ったんです。聴いてくれる人のために曲を作るっていうのも嘘じゃないけど、突き詰めると少しだけ嘘になるというか。むしろ、自分がいいと思う音楽を作ることがゆくゆくはそこに繋がっていく…。それってある意味、恋愛と一緒だと思うんです。相手に振り向いて欲しい、好きになって欲しいって思っても人の心は変えられないじゃないですか。こっちを好きになるかどうかは向こうが決めることで、自分ではどうしようもできない。だったら自分自身が変わることにエネルギーを注ぐほうが、もしかしたら好きになってもらえる可能性も上がるかもしれないっていう。

――わかりやすい例えですね(笑)。
藤巻 実際、僕自身、(リスナーに)愛されたい、好かれたいって思っているうちは煮詰まってしまうことが多かった気がするんです。そこに気づいたときに“大切そうなモノ”は一回、手放してみようかと。そしたらすごく風通しが良くなって、他愛もないことを歌った曲でも「自分がそう思うならいい」っていう、新たなルールができた。それがこのアルバムの明るさとか解放感に繋がったんじゃないですかね。

浮かんでくるものと自由に遊びながら曲を作るほうが性に合ってる

――1曲1曲のクオリティ自体は高いけど、エッセンスは10代のように初々しいというか。藤巻さんが若返ったような、ピュアでフレッシュなニュアンスもすごく感じました。
藤巻 自分では「若々しくしよう」って意識してないけど、自分の感じるまま曲を作ったことで、そういう要素が知らないうちに出たのかもしれないです。無意識の世界っていうか。

――さっき出てきた「回復魔法」のような可愛い曲も無意識の産物?
藤巻 そこはドラクエ世代ですからね(笑)。でもこの曲も含めて、今回は言葉とメロディが同時に、しかも自然に出てきたものが多いんです。アルバムタイトルの『日日是好日』とかも響きや語感がその意味を越えて出てきた感覚があって、無意識の強さみたいなものを感じました。

――『日日是好日』は“禅”の言葉らしいですね。
藤巻 そう。これはいい日も悪い日も精一杯生きていれば好い日になるっていう意味なんだけど、いい言葉ですよね。この言葉と出会ったとき、自分の中の垣根が消えていく感覚があって、そしたら“昨日の自分も明日の自分も考える必要はない、とりあえず今日、感じることをちゃんと書いていこう”って瞬発力が上がっていった。『日日是好日』はそのときの自分の素直な想いがわーっと溢れ出るように書けた曲なんです。

――この曲は藤巻さんの歌声も本当に気持良さそうで、それを聴いているだけでもこっちもアガります。
藤巻 バイブレーションっていうか、歌声も一種の波長だから、本人からいいものが出ていないと伝わっていかないのかもしれないですね。例えば誰かと比較したり、周囲を変に意識すると自分のバイブレーションが弱くなる。それよりも自分の中から浮かんでくるものと自由に遊びながら曲を作るほうが、僕は性に合っているんでしょうね。でも、そうやって作って溜まっていったものをただ、繰り返していくだけじゃやっぱり面白くない。溜まったものが微生物に分解されて肥料になっていくように、一回、形がなくなったものを改めて吸い上げていくほうが果実としては面白い気がします。

――破壊と創造を繰り返すと。
藤巻 だから時間はかかります。例えば僕が木で音楽が果実とするなら、いろんなところに旅をすることで根っこが伸びて自分自身も豊かにはなっていく。でもそれが作品に反映されるのは数年後だったりするんですよ。実際、野口さんとヒマラヤに行ったときのインパクトはすごかったけど、その体験がすぐ音楽に結びつくことはなくて。そこから数年たって心の整理がついて曲を書いたときに初めて「あ、あのときの体験が役立っている」って気づくことがほとんどなんですよね。でもそれでいいんです。逆に、すぐ役立つものはすぐに役に立たなくなるというか。「あの体験は何だったんだろう?」って、そのときはよくわからないことのほうが後々、いろんなものに化けたりするんですよ。自分の中の線=固定概念を取るっていう感覚も、旅から帰って曲を書き出してから気づいたことで、さらに曲を作ることで線がなくなっていった。アルバムには全部で12曲入っていますけど、12本分の線が心の中から消えた気がします。

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