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Crystal Kay、NY生活語る! 歌への取り組み方が変わった

子供の頃からアイディンティティ的なものにコンプレックスがあった

――その一方、今市さんとのコラボレーションも意外な組み合わせでした。三代目JSBのドーム公演にも帯同されていますし。
Crystal Kay それはもう、感謝しています。最初はPKCZ(EXILE HIRO、DJ MAKIDAI、VERBAL、DJ DARUMAらによって結成された音楽チーム)に参加させてもらって、その流れでドーム公演にも出させていただきました。あんなスケールでツアーを回るなんて初めてだったし、心配だったんですけど、これはチャンスだと。こんな大きな空間でパフォーマンスをできる贅沢な経験だったので、思いっきりやらせてもらいました。そのときに今市さんが歌っているのを見て、すごく一生懸命、伝えようとするシンガーだなと思いまして。これは一緒にやったら楽しそうだなってことでオファーさせていただきました。

――コラボ曲「Very Special」は80年代にヒットしたクラシックな王道R&Bナンバーですが。ロマンティクでムーディーな仕上がりになっていましたね。
Crystal Kay トラックは今っぽい感じですけど、ちょっと昭和のムード歌謡のエッセンスも入っているんですよ。これを今の世代の子がどう聴いてくれるのが楽しみ。忘年会シーズンなので、カラオケとかでもデュエットしてもらえたら嬉しいですね。

――「Shine」はジャンルが本当に多彩で、まさに「インパクトのある作品にしたかった」という言葉どおりですが。コンセプトやテーマはあったんですか。
Crystal Kay 「REVOLUTION」のとき、特に女性に対して“自分革命”っていうメッセージをこめたんですが、アルバム全体もまさにそこですね。女性の20代後半って一度、壁にぶつかる時期だと思うんですよ。25歳を過ぎると体も変わってきて、精神的にも変化してきて、27〜28歳になると今度はこれからどうしようとか、“今のままでいいんだろうか?”って、将来へのステップアップを模索しはじめる。私はその時期にちょうど1人でニューヨークに行ったので、余計に自分のことを考えるようになって。周りも同世代は壁にぶつかっている子が多かったから、このアルバムはそういう人たちの背中を押せる作品にしたかったんです。

――確かに、今回は女性にリアルに刺さってくる曲がすごく多い。
Crystal Kay 私もいちリスナーとして、みんなと同じなんだよっていうのをわかってもらいたかった。そういう意味で前は自分のために歌っていたけど、初めて人のために歌うっていう気持ちに切り替わった気がします。歌を伝えていかなきゃいけないんだなって。そこもニューヨークでの経験が大きくて、向こうに行って一番最初にぶつかった壁って、自分のアピール力のなさだったんです。チャンスがあっても自分をうまく出せないし、どういう風にしたらいいかもわからない。でも向こうには歌って踊れて演技ができて、しかも外見も完璧っていう人がいくらでもいて、その中で「あなたは何がスペシャルなの?」って、常に問われるんですね。でも私はそこで何も言えなかった。しかも、それをお高く止まっているように思われてしまって、すごくショックを受けたんですよ。

――日本独特の“謙虚”や“奥ゆかしさ”は通じないんですね。
Crystal Kay シンガーの場合は通じないどころかマイナスになってしまうんです。でも私は子供の頃からずっと、アイディンティティ的なものにコンプレックスがあったんですよ。ハーフってことであまり目立ちたくないと思っていて、それが歌にも出ていたと思う。周りからもよく歌が“こもっている”って、言われていたんです。でもニューヨークに行っていろんな経験をしてこれじゃダメだと。で、当初の目標だったデビューには繋がらなかったけど、帰国する前にとりあえずライブをやりたいと思って、会場やギタリストを探したり、チケットの値段を決めたり、全部、自分で探してセッティングしたんです。

ニューヨークは自分自身を強くする旅だった

――日本では考えられないですね。
Crystal Kay 自分でやったのは初めてです(笑)。でも何人来てくれるかわからないから、60人ぐらいの小さな会場にして。そうしたらすぐにソールドアウトして、会場側からのオファーで次の日もやったんですよ。

――すごい!
Crystal Kay 自分の中でも多分、人生で一番いいライブだった(笑)。やる前は初めての海外ライブだし、私のことを好きになってくれるかなとか、いろいろ考えてすごく緊張したんですね。でもいざステージに立ったら、とりあえず聴いて!って、精神的に裸になれたというか。そんな自分も初めてだったけど、とにかく何も考えず、歌だけ届けたいって状態で歌えた。それがもう、めっちゃ楽しくて、「なんだ、私、できるじゃん!」って、すごく自信がついたんです。で、日本に帰ってすぐにテレビで歌唱があったんですがそれを観た人たちから「クリ、声が違う、歌が変わった」って言われて。ニューヨークに行った甲斐があったなって、手応えを感じたんですよね。

――まさに、ひと皮剥けたと。
Crystal Kay 多分、向こうでアイディンティティについて考えさせられて、コンプレックスを徹底的に刺激されたせいでしょうね。ニューヨークっていろんな人種の人が集まっているから、自分は何を持っていて何を掴みたいのか、しっかり自覚していないと置いてかれちゃうんですよ。初めてそういう環境に放り込まれて、ちょっとは主張ができるようになったのかもしれない。

――日本にずっといたらそれは無理だった?
Crystal Kay もちろん日本には日本の良さがあるんだけど、私の場合は違うアングルから自分を見る必要があったんでしょうね。例えば向こうでよく「君はハーフだから2つの国のカルチャーが入っていて、しかも日本語と英語の両方を話せる。それで10年も歌手をやってきたことに誇りを持ったほうがいい」って言われたんだけど、日本にいるときはそういう角度で、自分を見られなかったんです。だから、恵まれているのにそれをフルに使える自分がいなかった。でもそこに気づいて変わることができたので、結局、ニューヨークは自分自身を強くする旅だったのかなと。最近、向こうで植えた種が、ちょっとずつ芽を出してきている気がします。

――アルバムでは、その芽が見事に花開いていますよね。1曲1曲テイストは違うけどどれも色濃くて。ある種の吹っ切れた感を感じます。
Crystal Kay キラキラなポップソングも洋楽っぽいものもできるのがCrystal Kayらしさなのかなと。前は「恋におちたら」があって、そこからのバランスが難しかったんですよ。もっと洋楽っぽいものがいいのにみたいな、ジレンマがあって。でも両方できるのは私しかいないからこれでいいんだって考えられるようになって、そういうメッセージをアルバムに反映させることができた。全部を聴いたとき、前に向かって進んでいけるよう作品になったかなと思います。

――このアルバムで、新生・Crystal Kayを感じる人も多いでしょうね。
Crystal Kay 3年もリリースが空いてしまったので、離れてしまったリスナーもいると思うんですけど、そういう人たちにもう1回、聴いて欲しいです。あと私を知らない若い世代の人にも聴いて欲しいですね!

(文:若松正子)

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