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小橋賢児、俳優から『ULTRA JAPAN』の立役者まで紆余曲折を経てのいま

20代最後でどん底を経験、実家でほぼ寝たきり状態に

――そして、『ULTRA MUSIC FESTIVAL』のクリエイティブディレクターとして、日本での立ち上げに関わると。
小橋 すぐにというわけではないですけどね。仲間と一緒に集まれるリアルな場を作りたい、そこから何かが生まれるハズだと、最初は300人規模のパーティーを企画しました。そうしたら、1000人ぐらい集まって、噂を耳にした企業の人たちが、一緒に面白いことをやりましょうと声をかけてくれるようになり、どんどん規模が拡大していって。

――まさに順風満帆ですね。
小橋 かと思いきや、20代最後にして、すべてを失ってしまったんです。

――えっ!? でも、渡米したときは、みずからすべてを手放したわけですよね。
小橋 今回は違いましたね。日本に戻ってきて、自分で会社を立ち上げ、いろいろチャレンジしたんですが、結局どれも宙ぶらりんなままで。気付いたら貯金は底をつくし、仕事という仕事はないし、当時つきあっていた彼女からも別れを告げられるし、人間関係もグチャグチャになるわで、もう散々でしたね。それで肝臓を壊してしまい、2ヶ月くらい実家でほぼ寝たきり状態。ご飯食べるときとトイレ行く以外は立ち上がらず、ずっと自分の部屋で下を向いて、思考の奥深くを旅していましたね。ある日病院に行ったら、肝臓の数値が大変なことになっていて。そこで、もう一度30代に向けてチャレンジするために、体も心も健康な状態に戻すべきだと、知り合いのトレーナーさんの勧めで、自然の多い茅ヶ崎に引っ越ししました。お金がないから、4畳半のアパートを安く貸してもらって、ライフセービングのトレーニングとトレイルランとジムで30歳を迎えるまでの3ケ月間、毎日体を鍛えていました。そして、30歳の誕生日には、自分でプロデュースして、仲間たちを呼んでお台場で誕生日パーティーをするまでに回復しました。もしかしたら、そのときが一番元気だったんじゃないのかってぐらい(笑)。

――3ケ月間でそこまで回復できたのも、小橋さんだからでしょうね。
小橋 30歳になった瞬間は、ひとりで茅ケ崎の海にいたんですが、砂浜で月を眺めながら、今生きている幸せとありがたさをひしひしと感じて。そこから再びいろんなことが動き出すようになりました。

自分が楽しいと思うことをやっていったら、その先に自然と出会っていくものがある

――その後は、イベントのプロデュースに加え、自身で映画監督をされたりと、さらに活躍の場が広がりましたね。
小橋 再び海外に出向いて、いろんなイベントに参加したり、そこで感じたことを興奮しながら、飲みの席とかで語っていたんですが、最初はみんな興味を持って聞いてくれていたのに、1時間ぐらいしたら退屈そうにしだして。実際に体験していない人に、その良さを語られても想像できないですよね。だったら、もっとわかりやすい形で伝えたいと思って、撮りためていた映像に音楽をつけて、5分くらいのDVDにまとめて渡したら好評で。そこから無料講習に通ったりしながら、独学で編集技術を身につけて、気付いたら自分で映画まで撮るようになっていました。

――初監督作は、2012年、『DON’T STOP』というドキュメンタリー映画でしたよね。
小橋 高橋歩君という旅人と出会って、彼と彼が出会った人々との旅にフォーカスした映画を純粋に作りたいと思ったんです。だから、映画監督になりたくて映画を作ったというよりは、自分の感動を多くの人たちとシェアすることができたらいいなっていう思いからですね。以前の僕は、高い目標を設定して、そこにたどり着けなかったら挫折して……という繰り返しでした。この頃から後先を考えず、とにかく今を楽しもうとマインドチェンジしていったら、映画やイベントの仕事へ自然とつながっていったんです。

――幼少時代の小橋さんに回帰したわけですね。小橋さんのお話を聞いていると、瞬間瞬間を命がけで生きている人だな、と。
小橋 それしか方法がなかったといいますか、自分で何かをしたいと思ったら、自分で考えて行動することが、当たり前になっていました。中学生のときに、欲しいものがあっても、家が借金を背負っていたので買ってもらえるような状況じゃなかった。自分でお金を稼ぐために、新聞配達をしたりと、いつでも未来は変えれることを自分自身で実証させていきました。『ULTRA MUSIC FESTIVAL』が韓国で開催されるときに、海外のフェスにも精通している、日本の面白い人とパートナーを組みたいと、主催者の方から声をかけていただいたことがはじまりでした。最初は、こんなイベントを日本でやっても人が入るわけないとネガティブなことをたくさん言われました。でも、僕は成功の直前は、暗闇だと思っていて。というか、暗闇に一見見えるから、直前で諦める人が多いと思うんです。でも最後に、“君は行く勇気があるんですか?”と試されているような気がして、逆に僕はワクワクします。『ULTRA JAPAN』も、日本で初開催される直前まで本当にいろいろなトラブルがあって、開催自体が危ぶまれていました。

――そんな状況であった『ULTRA JAPAN』も、今ではチケット入手困難と言われる巨大フェスと化しましたよね。
小橋 本当にありがたいことで。日本での初開催時に思ったのは、日本に初めてディズニーランドができたときのように、なんだかよくわからないけど、世界からすごく楽しそうなものがやってきたと思ってもらえたら嬉しいなと。滅多に遊園地に行かない人も、行ってみたら普段とは違う感覚が開いて、それをきっかけに海外に行くようになったり、新たなことに目覚めたりと違う視点になるというのがイベントの醍醐味だと思います。「僕の今の仕事は何ですか?」と聞かれたら、イベントプロデューサーでもなければ、映画監督や俳優でもなくて、クリエイティブを通じて、気付きの場を作ることだと思っています。そこで何かを感じて、いつもと違った感覚を持って、次の新しい未来に行ってもらえたらいいなって。『ULTRA』は、あくまでお客さんが主役のイベントだと僕は思っていて、人々のエネルギーがとにかく炸裂してるんですよ。『ULTRA』は、SNSから広まったフェスだとも言われていて。誰を誘って、どんな洋服を着て行こうかとライフスタイルに密着しながら、それぞれが当日を迎える。ただの傍観者やお客さんではなく、みんなで一緒に作ってきたような感覚になります。ぜひ実際に来て、体感してほしいですね。音楽のジャンルやこういったイベントは苦手という人もいると思うんですが、その場の空気に触れるだけで楽しいと思うんですよ。普段の自分を忘れて思いきり弾ける! ワクワクのセンサーに素直に従っていけば、必ず自分の未来につながっていくと思うし、その先には何かしらの気づきがあると思います。

――こうしなくちゃ! って、決めつけたり、構えたりしないほうがいいと。
小橋 今の世の中は、情報がそろっていて、1つひとつ知っていくワクワク感が少なくなっていると思うんですよ。逆を言うと、過去を作ってきたネガティブなもので押さえつけられてしまって、これはダメ、あれはダメだっていう規制が多すぎて、生きた心地がしないという人もいると思います。でも、今からでも自分の未来は作れると思うし、自分が楽しいと思うことをやっていったら、その先に自然と出会っていくものがあると思うんです。

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