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作詞活動45周年・松本隆独占インタビュー 稀代の“言葉の魔術師”が語るヒット曲の昔と今

クドカン(宮藤官九郎)は天才だと思う

――いつか朗読のコンサートをやってほしいのですが。
松本 是非やりたいよね。皆売れっ子で忙しいから、今回参加してくれた人を全員呼ぶことは難しいと思うけど。

――生で聴いてみたいです。
松本 今回の『風街であひませう』は、『あまちゃん』の音楽作品関連を手掛けていた木谷君がトリビュートを担当して、映画『海街diary』の是枝監督が朗読を手がけているから、基本的な構造としては『あまちゃん』vs『海街diary』なんだよね(笑)。

――その『あまちゃん』ですが……。今巷で言われている昭和の歌謡曲ブームは2年前の『あまちゃん』の存在がとても大きかったと思うのですが。
松本 それはクドカン(宮藤官九郎)の功績だよ。クドカンは天才だと思う。

――松本さんは『あまちゃん』はどう見ていましたか。
松本 秋元康は出てくるけど、僕は出てこないなって(笑)。クドカンのドラマはテンポがいいんだよ。『あまちゃん』はよくできているドラマだなって思って、震災のところまで見ていた。震災以降はつらくて見られなくなってしまった。

景気が良いときには面白い文化が生まれる

――ここ数年の歌謡曲再評価については、どう思われていますか。
松本 楽曲の価値や完成度が高いから当然のことだと思う。歌謡曲っていうのは大衆のいちばん俗っぽい部分だから、本来は今のアイドルソング程度でよくて、あそこまで完成度が高い必要はないわけ。とくに80年代はバブルと重なったことで付加価値が付き、音楽の質が高くなった。文化はお金がかかるものだから、バブルでみんなが潤沢にお金をもっていたことが文化を豊かにしたんだと思う。江戸時代にも何回かあったことで、景気のいいときには面白い文化が生まれるし、景気が悪いと文化もしぼんで廉価ものが多くなってきてしまう。日本は1980年代にある種の頂点を極めたから、そのあとは徐々に劣化していくわけ。誰も認めたくないけど。企業や経済は劣化していくし、人口は減るし、貧富の差は激しくなるし……。

――文化が時代を活性させることは難しいと。
松本 そんなに甘いものではないんだよね。経済は経済で自立していないと、文化は作れない。食べるものがない状況で、音楽はその人を慰めることはできるけど、お腹の足しにはならないでしょ。それが現実だから。

――では、松本隆さんが書く歌詞が45年経っても古くならないのはご自身ではどのように分析されていますか。
松本 分析はできないよ。45年前に書いた歌詞が古くならないのは自分でも不思議。

――聴き手としては、松本さんの歌詞にいろいろな妄想を膨らませるわけですが、その中でひとつ言えるのは、松本さんの歌詞には常に対になる言葉があって、物事を表と裏から見ているところに感嘆するわけです。
松本 推理小説って、犯人と被害者と追い詰める探偵や警察官がいて、必ず三つ巴になるわけ。その中で犯人はだいたい悪者で書かれて、探偵は正義の味方になる。でもなぜ犯人は罪を犯さなければならなかったのか、まで書いていくと、犯人の悲しさに触れざるをえなくなる。それはホームドラマでも一緒で、義母と嫁の関係を書く場合、いじめられる嫁の悲しさは簡単に書けるけど、いじめる義母の悲しみを書くことは少ない。でも両方の悲しみを書けた場合に名作が生まれることが多い。僕が子どもの頃見ていたドラマ『氷点』はどちらの悲しみも描けていて心に残った。それと同じだと思う。太田裕美「木綿のハンカチーフ」を例にたとえると、ふられた女の子の心情だけではなく、ふった男の子の切なさを描けているところが、様々な世代に共感されているのかもしれない。両方の気持ちの詞が書けると、その曲は10年20年30年経ってもいいねと思われる。それが秘訣(笑)。

人間が好き 人間がいるからドラマができて風景も面白くなる

――松本さんの歌詞の永遠性や普遍性という意味では、以前松本さんがおっしゃった「男も女も同じ人間」という言葉がとても印象的ですが。
松本 まず僕は人間が好きなんだろうね。風や海といった無機質なものも好きだけど、やはり人間が好きで、人間がいるからドラマができて風景も面白くなる。昔、大滝さんが作った環境ビデオのような映像作品があったの。海と波と砂浜の映像をバックに大滝さんのインスト音楽を流している映像なんだけど、たまに画面の隅に人間が映ることがあって、するとその人間がすごく気になって、その姿を目で追ってしまうわけ。立っているか、座っているか、ただそこにいるだけで話すこともないんだけど、つい見てしまう。人間は人間が好きなんだと思う。それは僕の歌詞にも関係していて、海や空の歌詞を書いても、結局は人間の物語になっちゃう。

――原田真二さんの「てぃ〜んず ぶる〜す」の歌詞を書かれたときの逸話に「男だってくよくよしてめそめそするんだ」ということをおっしゃられていました。
松本 それまでの歌謡曲の歌詞で書かれていた男の人は「強くてカッコよくて、俺についてこい」みたいなイメージばかりだった。それではつまらないなと思って、「てぃ〜んず ぶる〜す」を書いた。その前にアメリカのハードボイルド小説にはまって、一通り読んだけど、そこで描かれていた男の人は強さを持っている一方で、すごくメソメソしているの。ハンフリー・ボガードの小説に出てくる男はだいたいそう。そういうものが自分の書く歌詞に出てくるわけ。

――今回のトリビュートアルバムでは男性アーティストが女性目線の楽曲をカバーしていますよね。
松本 斉藤(和義)君が「白いパラソル」を女言葉で歌っているでしょ。そういう意味では非常に革命的。性を超越している。僕は昔から色々な境界線が嫌いで、それを超越しようとして歌詞を書いてきて、時代と世代については乗り越えられたと思うけど、性は結構頑固にあった。45周年になって初めて性を超越したような気がする。斉藤君のほかに小山田(壮平)君も、女歌を選んでいるけど、別にこちらからお願いしたわけではなく、自然発生的にそういう選曲になったんです。僕の歌詞は助詞を変えれば、男でも女でも関係なく歌える。

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