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三浦大知、転機となったのは松本人志の作詞曲

 今年、ソロデビュー10周年を迎える三浦大知が、音楽への変わらぬ想いを表現した「MUSIC」をリリースした。「理屈じゃなくて感じるもの」。そんな音楽との向き合い方を最初に教えくれた故マイケル・ジャクソンさんとの出会いや、デビュー以来、変わらない曲作りのスタンス、転機となった意外な楽曲まで、昔も今も愛してやまない“MUSIC”についてたっぷりと語ってもらった。

マイケル・ジャクソンを初めて見た衝撃が、今もずっと続いている

――今作のタイトルは、ずばり「MUSIC」。曲も詞もまさにポップミュージックの王道という感じですね。
三浦 でも、制作自体はいつもどおりです。僕はいつもジャンルに囚われずもの作りできたらいいなと思っているんだけど、このトラックも聴いた瞬間、まず、聴いた人がすごくハッピーになれる曲だなと思ったんですね。そこから、キャッチーでストレートな詞が合うなと思い、さらに今年がソロデビュー10年目ってこともあったので、じゃあ、音楽について歌う曲=「MUSIC」がいいんじゃないかなと。

――三浦さんにとって“ハッピー=音楽”ということ?
三浦 ハッピーというよりは理屈じゃない感じかな。何も知らなくても踊りたくなったり、歌いたくなるっていう。この曲もトラック含め、そんな風に体が勝手に動いちゃうイメージが湧いたんですよ。

――歌ってみてどうでした?
三浦 普段、自分が音楽を作ってるときの気持ちがストレートに表現されている歌詞なので、いつもどおり歌えました。サビの1行目の<たいせつに育んだ音 届けみんなのもと>とか、まさにそうなんだけど、作品を作っていくなかで僕は常に、1人でも多くの人に伝わって欲しいなと思っていて。それをそのまま素直に出せたので、今回はあまり苦労せず、自分が思うことを話すように作れました。

――そうやって曲作りをしているとき以外でも、音楽のことは考えているんですか?
三浦 考えているというか、僕にとって音楽は日常の中で“やってること”っていう感覚。仕事ではあるけど、趣味でもあって、つねにいち音楽ファン、いちエンターテインメントファンってところは、子供の頃からずっと変わらない気がします。

――三浦さんの音楽キャリアのスタートは遡ると、グループとしてデビューした10歳のときですが。その頃から一ファンというスタンスは変わらない?
三浦 はい。僕は音楽って楽しいな、歌ったり踊ったりすることが好きだなっていう、シンプルな動機でスタートしているんだけど、そこは今も変わってない。

――そのきっかけとなったのは、やはり最初に影響を受けたという故マイケル・ジャクソンさん?
三浦 そうですね。7〜8歳の頃、通っていたダンススクールでマイケルを教えてもらったのがきっかけ。でも、そのときは音楽っていうより視覚的な要素が大きくて。初めて観たのは「ブラック・オア・ホワイト」のミュージックビデオだったんだけど、いろんな国に移動しながらパフォーマンスしている姿を見て、何をやってもマイケルはマイケルなんだなと。それはすごくオリジナルなことで、僕もオリジナルな人になりたいって思ったんですよ。で、そのときの衝撃が今もずっと続いているっていう。

――7〜8歳でマイケルの本質を掴むって、かなり感覚の鋭い子ですよね。
三浦 僕がすごいんじゃなくて、マイケルがすごいんですよ(笑)。あと、もし僕に何か1個才能があるとしたら、そのときの気持ちのまま続けてきたことだと思います。アーティスとしてまだまだですけど、それは才能と言ってもいいのかなと。

――この仕事を辞めたくなったことはないんですか?
三浦 それがないんですよ。例えば変声期で声が出づらくなったりとか、そんな時期もあったので、一度くらいは他の道を探してみようって思ってもよさそうなんだけど、不思議となかったんですよね。多分、どっかで変な自信があったのかも。“自分はずっと音楽をやっていく”って確信みたいなものがあって、そこはずっとブレなかったから。もちろん、曲を作っているとイヤになることもあります。でも、それを救ってくれるのも音楽だったりするので、これからも辞めたいと思ったり、音楽から離れたくなることはないんじゃないかな。

――今まで、もっとも、音楽に“救われた”と実感したのはどんなとき?
三浦 いろんなタイミングがあるけど、やっぱり震災後じゃないですかね。どのアーティストさんもそうだと思うけど、あのときは音楽って本当に必要なのかな?って思うくらい、無力に感じることが多かった。でも、そのなかでもう1回、音楽と向き合い、改めて音楽は人の気持ちを豊かにするものだなって実感したんです。そのとき「Lullaby」って曲を作ったんだけど、何もできなくても誰かの心が少しでも軽くなるなら、やっぱり音楽は必要なんだろうなって。そう思ったとき、本当に救われましたね。

――音楽の大切さを見直す機会だったと。普段、作り手としてジレンマを感じることは?
三浦 常に感じてますよ。僕は天才的に何かが降りてくれるタイプではまったくないので、いつも試行錯誤して、いろんな人の意見を聞いて、それを消化して、絞り出して作ってるって感じです(笑)。

日本語の素晴らしさに気づいたきっかけが「チキンライス」

――ちなみに、もし音楽をやってなかったら、どんな人生だったと思います?
三浦 なんか物は作っていたろうなって気はする。実は中学生のときにちょっとだけ時計職人に憧れた時期があるんですよ。

――なぜ時計職人?
三浦 時計職人っていうか、時計の修理工の人のドキュメンタリー番組を観たんです。いろんな人が持ってくる時計を直すんだけど、時計って持ち主の想いが詰まってることが多いアイテムじゃないですか。誰かからもらったとか、誰かの形見とか、何かの記念に買ったとか。それを直すのって、その人の人生にほんのちょっとですけど、関われている感じがして。壊れた時計がまた動き出すことで、そのときの思い出が蘇るっていうか。そういうことができるのって魔法使いみたいで、すごくカッコいいなって憧れたんですよ。

――でも、スタンス的には音楽の役割と似ていますよね。それぞれの人生に関わり、ささやかなドラマを生むっていう。
三浦 そうですね。少しでも人の人生に関われるってことは、自分の中でもこの仕事をしていく上で大きいかもしれない。

――三浦さん自身が、人生を変えられた曲ってあります?
三浦 マイケルはもちろんそうだし、あとは「チキンライス」とか。

――ダウンタウンさんの? 作詞が松本人志さん、作曲を槇原敬之さんが書いた曲ですよね?
三浦 そう。日本語はやっぱり素晴らしいなって思うきっかけになった曲なんです。その当時は、一瞬通る道だと思うんだけど、洋楽以外は聴かないみたいな、それがカッコいいって思ってた時期だったんですね。そんなときに「チキンライス」を聴いて。この曲は、松本さんが家族との実体験を元に書いた歌で、それがものすごく温かくてストレートだなと。それで、もし人の気持ちが0から10まであるとしたら、日本語って3とか7とか、微妙な部分を表現できる言語だなと痛感して、自分も日本に生まれた以上、母国語は大事にしたいと思ったんです。それから、自分で作詞をするときも最初にまず、日本語で全部書くようにしていて、そのきっかけになったのはこの曲。言葉との向き合い方が変わったってことが、「チキンライス」は大きかったです。

――なるほど。意外な曲が出ましたねぇ。
三浦 よく言われます(笑)。でも僕、普段から洋楽、邦楽、どっちも聴くんですよ。最近は、Superflyさんもいいなって思うし、ジャンルはまったく関係ない。そのとき自分のアンテナに引っかかったものを聴きたいと思うし、曲を作るときもそうでありたいと思っています。

――では、そんな“三浦大知”の今後の展望は?
三浦 今までと変わらず、オリジナルなものになっていけるようにがんばっていきたい。あと“気づきがある”アーティストになりたいです。こういう価値観があるんだなとか、昨日こういうこと言われたけど、あの人はもしかしたらこういう気持ちで言ったのかなとか。何でもいいけど、曲を聴くことで何かに気づいたり、人生がちょっと豊かになったりする。そこを伝えるのは難しいけど、そんな音楽を歌っていけたら嬉しいですね。

(文:若松正子)
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