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デビュー10周年のJUJU、「続けてこられたのは奇跡的、今も首の皮一枚」

 デビュー10周年を迎えたJUJUが、シングル「Hold me, Hold you / 始まりはいつも突然に」を2月11日に発売。「明日がくるなら」が映画『余命1ヶ月の花嫁』の主題歌に起用され、その人気は全国区へと広がった。J-POPからカバーにジャズ、幅広いジャンルの楽曲を歌い、多くの人の胸に残る歌を送り続けてきたシンガー・JUJUが、デビューからの10年間を振り返り語った。

10年続けられたのは奇跡的!いつ終ってもおかしくなかったプロジェクト

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――デビュー10周年、改めて10年を振り返っていかがでした?
JUJU 率直に、10年続けてこられたのは奇跡的だなっていうのが、チームのみんなで思ったことですね。ずいぶん前に終ってもおかしくなかったプロジェクトなだけに、「まさかの10年を迎えるとはね」ってみんなで笑ってました(笑)。

――デビュー当時は10年という展望は見えてなかった?
JUJU まったくなかったです。1年先は見えていても、10年後のJUJU像っていうのはまったくなかった。というのも当時、とにかく私は人前に出るのが怖かったんです。もちろん歌手にはなりたかったし、夢は叶いつつあるけれど、人前に立たされることに対しての恐怖心っていうのが本当に大きくて。デビューするってなったときは“ヤバいなあ、大丈夫かなあ”っていう気持ちのほうが強かったんですね。しかも売れなかったとしても“JUJU”が売れないだけで、本名の私は関係ないみたいな、混沌とした状態でもあって。

――それ、すごい理屈ですね(笑)。
JUJU そうやって本名の自分とJUJUをくっつけていなかったから、デビューして最初の2作は誰にも届かなかったんでしょうね、今振り返ると。

――まだ肝が据わっていなかった?
JUJU まったく据わってなかったです(笑)。

――アーティストになる人、もしくはなりたい人って、だいたい歌いたいという気持ち以外に人前に出たい、目立ちたいって願望も強かったりしますけど。JUJUさんは真逆だったんですね。
JUJU いろんな現場であなたの性格は、この仕事に一番向いてないって言われます。大きいスクリーンに自分が映るのも、テレビの収録や写真撮影でも、カメラがとにかく苦手なので、一番ついちゃいけない仕事についちゃったねって(笑)。カメラ目線がようやくできるようになったのも最近なんです。でもそれも写真だけで、テレビは未だに絶対ムリ。多分、テレビで目が合わない人No.1だと思います(笑)。

――確かに、歌番組でJUJUさんのカメラ目線は少ないかも。
JUJU リハーサルのときにどういう風に映るのかプレイバックされたりすると、“なるほど、こういう風にカメラが動くんだな”って確認して。本番ではカメラがくる逆の方向を向いてしまったりしますからね(笑)。

――そこまで避けますか(笑)。
JUJU リハの意味がないっていろんな現場で言われます。だからうちのスタッフは「本人にリハ映像を見せないでくれ、カメラと逆方向を向くので」って言ってますよ。

――そんな、“歌いたいけれど、見られたくない”っていう性格が、デビュー当時、肝が座らなかった理由でもあるんですかね?
JUJU そうですね。歌は届いて欲しいけど、私自身は届かなくていいなと。音楽って耳から入ってくるものだから、耳だけの情報だけでいいじゃないかってすごく思っていました。でも、最初の2作を出した後の1年半は毎週4曲、ひたすら曲を作り続けまして。そしたら、それまでの「売れないのは私じゃなくてJUJUよ」っていう“カッコつけ”すらもできないぐらい、疲れ果ててしまったんですよ。しかも、そのとき出すことになったシングルが最後で、これが売れなかったら契約を終わりにしましょうって言われまして。

――まさに崖っぷちですね。
JUJU そう。で、契約を切られた後、振り返ったときに、あそこはこうするべきだったとか、こうしとけば良かったって後悔だけはしたくないなと。だからカッコつけることも忘れたし、本当に捨て身の覚悟でそのシングルは歌ったんですよ。そしたら歌を聴いた方から初めてお便りをいただき、それが励みになって。聴いてくれる人がいるって知りながら歌えるって、こんなに幸せなんだなって実感して、それからは本当に肝が据わった気がします。

メジャーレーベルの厳しさを体験した最初の2年は辛かった!

――それが3曲目のシングル「奇跡を望むなら...」。まさにタイトルどおりの奇跡が起こったという。
JUJU まったく、なんてタイトルだろうって(笑)。

――1曲目、2曲目は、ニューヨーク時代のJUJUさんのルーツといえるクラブミュージック色の強い曲でしたが。「奇跡を望むなら...」で、いわゆるポップスを歌うことへの抵抗はなかったんですか。
JUJU 私は自分たちの作ったものだけを歌いたいという歌手ではないし、そもそもカラオケが好きで、J-POPのバラードもムード歌謡もずっと歌っていたので、抵抗はなかったです。むしろ周りのほうが(抵抗が)あったみたいで、「こういうバラードを歌うって、お前もセルアウト(売れ線に走る)か」って言われたりしました。私からしたらセルアウトも何も売れてもないし、みたいな気持ちでした(笑)。とはいえ、最初の2曲も決して間違いではなかったと思っていて、今となってはライブとかで歌うとみなさんすごく喜んでくれるんですよ。だから当時、曲が届かなかったのはホント、私の責任。さっきも言ったように、肝が据わっていなかったせいでジャンルうんぬんではなかったんですね。

――ジャンルではなく、歌手だからというこだわりのみで歌うところは、当時も今も変わらないJUJUらしいところですね。
JUJU でも、一番最初に「奇跡を望むなら...」を最後にするかもしれないって言われたときは、違う意味で「えっ?」って思いました。というのも、この曲は1年半ぐらい前にデモを制作していて、でも何のレスポンスもなくずっとスルーされていた楽曲なんですよ。だからそれに対しての疑問はあったけど、言い争うのも疲れるし(笑)。プロデューサーがこれだって言うなら、これなんでしょって。で、結果的にこの曲で初めてリスナーからお便りをもらったから、もしかして私の中にあった“JUJUはこういうもの”っていうイメージは、ひとりよがりだったのかもしれないなって、そのときはたと気づかされたというか。バラードを歌うのは元々好きだけど、クラブミュージックっぽいものではなくて、いわゆるポップス的なものが正解だったんだなと思い、それからますます歌いたくないジャンルがなくなったんですよ。

――歌いたくないジャンルがないって、すごいですよね。
JUJU あ、ウソです。カントリーはムリかも(笑)。

――はははは、それも聴きたいけど(笑)。では、この10年で、最もしんどかった時期は「奇跡を望むなら...」が出るまでの2年間ですか?
JUJU そうですね。歌うことの概念が変わるまでの、この2年間が一番辛かった気がします。あーでもないこーでもないことも言われたし。

――“あーでもないこーでもなこと”とは?
JUJU ニューヨーク帰りの鳴り物入りみたいな感じでデビューしたけど、結局売れないじゃんとか?(笑)。でも、まぁ、そこでメジャーレーベルの厳しさを体験したわけですよ。売れないと、人としてもダメみたいな言われ方をされちゃうのがメジャーレーベルだなって。

――その間、辞めたいと思ったことは?
JUJU なかったですね。自分から辞めるのは嫌だったんだと思う。負けず嫌というか、クビにされたらしょうがないけど、自分から放棄するという選択肢はなかった気がします。あまりに疲れていたから、“契約、切ってくれないかな”って心の中では何度も思いました(笑)。とりあえず今も、「この曲、ムリです」とか、大声で文句言いながらも、結局やります。仮歌録りの日なんて1日に12曲ぐらい、全く知らない歌をその場で覚えて歌ったりしますからね。

――初見で12曲ですか?
JUJU そう。少なくて8曲、多くて10何曲ぐらいをラララで歌うんですよ。

――でも、“1曲”を選ぶためには欠かせない作業という。
JUJU そうそう、そうなんですけど、担当プロデューサーなら12年ぐらいの付き合いなんだから、私の声を想像しながら聴けるだろうって個人的には思うんだけど、どうもそれができないらしい。しかもその場の誰もが“これはJUJUじゃないよね?”わかる曲まで歌わせて、爆笑しながら聴くっていう。

――(笑)。「奇跡を望むなら…」以降、心境の変化があった出来事や曲はありますか?
JUJU 「奇跡を望むなら…」の後は、歌手としての心境には変化がない気がします。ただ初めてのジャズアルバム『DELICIOUS』を作ろうって言われたときに、ようやく好きなことをさせもらえるっていう気持ちにはなりました。

――なんでも歌ってきたJUJUさんですが、やっぱりジャズが好き?
JUJU 好きだなってそのとき思いました。私は19歳ぐらいに1回、ジャズはしばらく歌わないって蓋をしていたので、そこから10何年たち、しかも自分の名前でジャズアルバムを出せるっていうのは感慨深かった。歌手を続けてきて良かったなって思ったし、これでまた別の面をみなさんに見てもらえるのもすごく嬉しかったので、ここでまたひとつ心境が変わったといえば変わりました。

――前にジャズとポップスでは、喉の使い方が全然違うと言ってましたよね。
JUJU 使ってる場所がまったく違うんです。それはジャズアルバムを出すまで私も気づかなくて、愕然としました。だからジャズのライブをして、最後にJ-POPがくるのは実はしんどい。やるときは逆に、原曲とは全然違うアプローチにしますね。

――そんな『DELICIOUS』もヒットし、ますます人気が定着していくなかで、周りからの期待やプレッシャーが強くなったりはしました?
JUJU それがうちのチームって、まったく変わらないんですよ。売れていないときと誰も変わらないので、気分的には未だに売れている気がしないっていう(笑)。そもそもうちのチームはヒットに慣れていなかったらしく、ヒットしても長く続かないだろうって思っているところがあるんですよね。

――つねに危機感があるってことですね。慢心しないというか。
JUJU ずっと危機感です。つねにクビの皮一枚でつながってる気分(笑)。だから私、この10年で褒められこともほとんどないんです。たまに褒められると、その代わりに重たいお願いをされるんだろうなって疑ってる。絶対裏があるって(笑)。

(文:若松正子)

【インタビュー】デビューして数年は、ライブで歌うことが怖かった
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