ドラマ&映画 カテゴリ
ORICON NEWS

北野武、人生に期待しない…オレは運がいいから

 鮮烈なデビュー作以来、北野武監督の映画は全て異色作だ。映画のセオリーにとらわれない、非凡な作家性と変幻自在なタッチで、新作を発表するたびに国内外のキタニストたちを熱狂させてきた。2年半ぶり、17本目となる新作映画『龍三と七人の子分たち』では、ヤクザ映画から一転、コメディ映画を撮った。その思惑について監督に聞いた。いまの若手お笑い芸人、映画産業への想いも語ってくれた。

若手お笑い芸人、映画界への想いとは―!?(写真:逢坂 聡)

若手お笑い芸人、映画界への想いとは―!?(写真:逢坂 聡)

写真ページを見る

◆今回はいたずらしてないなあ(笑)

――大人気を博した前作『アウトレイジ』シリーズから、今回、コメディ映画へと大きく舵を切られた理由は何ですか?
【北野】 「たけしは、あればっか撮ってる」と言われるのがイヤで、1回休もうと。で、ちょっと冒険しようかって(笑)。前に撮った『みんな〜やってるか!』(1994年)って映画は、自分では最高傑作だと思っているんだけど、一般的には無茶苦茶なひどい映画って言われてて。お笑いをやろうとして失敗した形のおもしろさを、自虐的なネタで構成した、お笑い自体をバカにした映画なんだけど、ストレートにとられちゃった。だから、こんどお笑いに手を出すときには、その轍を踏まないようにって。

――ナンセンス・ギャグが疾走する、シュールな『みんな〜』と違って、本作は、老若男女誰が観ても楽しめる、素朴な笑いが織りなすエンタテインメントです。
【北野】 『みんな〜』とは違う形の、わかりやすいお笑いをやろうとすると、完全なアナログというか、お笑いの世界でいうベタになる。ただそこにコメディアンを使うと、ベタでも現場だけの笑いになっちゃう。カメラマンを笑わそうとしたり、音声さんとかスタッフが笑って満足しちゃって、スクリーンの向こう側で観ている人にまで気配りがいかない。真面目な役者がやれば、もっとおもしろくなるだろう、と。だから今回は、役者さんに神経を使ったね。いかにも主役をやれる人がお笑いでも主役で、脇にいる人もみんな演技のできる人で固めて。それでアドリブは一切なしで、セリフの“てにをは”までちゃんとやってもらって。漫才風に見せたいところは(撮影後の)編集でいろいろとできるから、基本的な演技はお笑いじゃないと思ってやってくれって。だからエンタテインメント映画としては、かなり王道をいってるというか、(今回は)いたずらしてないなあと(笑)。

◆あと10年はかかるんじゃない

――前作の公開時には、満員のシネコンでヤクザ映画を観て大笑いするというシニカルなシチュエーションに、日本の現状に対する北野監督のツッコミというのか、ニヒルな眼差しを感じましたが、いま北野監督は“窮屈ないまの社会なんざ、笑い飛ばしてしまえ!”という、まさに龍三親分のご気分なのでしょうか?
【北野】 まあ、子どもも老人も、みんな媚びを売り過ぎてるよね。オレはそういう環境で育ってないからさ。いまの教育なんか、子どもに夢と希望を与えようとか言ってるじゃん。オレらが子どもの頃は「おまえはバカだから、勉強なんかしなくていい」って(笑)。それと「うちは貧乏なんだから」とか。努力すれば、何でもできるって妙な教え方をすると、できなかったヤツはどうするんだよ? って思う(笑)。おじいちゃんもそうで、おじいちゃんはおじいちゃんらしくって、倅たちに媚びるじいさんより「あのジジイ、しょうがねぇなあ、早く死なないかな」って思われてる方が絶対いいなって。老人福祉とか、そういうのがきらいなジジイがいたっていい。孫をかわいがってるジジイばっかじゃねぇぞ! って(笑)。(数は)そんなにいなくても、映画にすると痛快なんだよね。「現代の高齢化問題を描いたんですか?」なんてよく訊かれるけど、偶然ネタが(時代に)合っただけで、台本は『アウトレイジ』の前につくってた。いまの時代を反映してるって言われると、それはそうかなあとも思うけど、まるっきり真剣に取り組まないっていう(笑)。ジジイはジジイで好き勝手なことをやって「どうせ死ぬんだから」っていうのが、いちばん笑えるなって。

――本作では、ツービート時代の漫才を彷彿とさせる毒ガスが随所に含まれています。当時と比べて、お笑いに関してご自身のなかで変化はありますか?
【北野】 最近は自分で審査員をやって、好きなタレントを呼んだりすることもあるけど、若い人のネタを見ても、おもしろいことはおもしろいんだけど、新しいとは思わないね。“これ、やったもん”って感じ。だからお笑いの感覚に関しては、若い人に対してあまりコンプレックスを持ってない。まだオレたちの幻影というのか、影響を引きずってる。だからまず、芸のケンカを吹っかけてこないよね。オレらが若いころには、上に萩本欽一さんやザ・ドリフターズがいて、どうやって引きずり下ろそうかってすごい執念があったんだけど、いまはなんか、オイラが年取ってくたばるのを待ってるみたいでさ(笑)。相変わらず、タモリも、さんまも、オレも体力があって、やってるわけだから。センスのある人が出てくるまで、あと10年はかかるんじゃないかって。

◆いい時代に生まれた「いつ死ぬのかが楽しみ」

――“世界のキタノ”には、映画界で引きずり下ろしたい人なんていませんか?
【北野】 潰さなくても、いまは映画自体が自滅してるよね。ハリウッド映画も、日本の映画も、あまりにも興行収入がメインになり過ぎてて。予算がないから、撮らせてもらえない映画監督も多いし。オリジナルの台本でやらせてもらって、オレなんか運がいいなって思う。スタッフが耐えてくれるんでね(笑)。黒澤明さん、小津安二郎さん、大島渚さん、日本にもいい時代にいい監督はいたけど、日本の映画産業から考えると、いい監督が出てくる要素はあまりないんじゃないかって思う。情報を単純にデジタル化して、グラデーションなんかどうでもいい時代になってくると、映画自体が昔の時代のものになるんじゃないか。フィルムで撮ってた、古きよき時代の映画とは違う形式になってきてるよね。それで映画がダメになってるってわけでもないと思うけど、『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989年)なんて映画は、もう撮れないってことだ。

――年を重ねて、監督ご自身に変わったことはありますか。例えば1981年に出版された名著『たけし! オレの毒ガス半世紀』(講談社)にも書かれていたスタイルは一貫したまま、いまだに人生には期待しませんか?
【北野】 うん。人生に期待した覚えはないね。だけど年取ってくると、期待っていうか、いつ死ぬのかが楽しみというのはあるよね。マイナス思考じゃなくて、プラスで考えると、これだけいろいろな仕事をやってきたご褒美として、死が待っているとしたらありがたいっていうのか。死ぬことが褒美だと思った方がいいなあって。やりたいことは無限にあるわけだから、もちろん悔いは残るけど、やりたいことをやっていきながら、くたばるんならいいなって。だから現役のうちに死にたいよね。飲み屋で「うまいな、この酒」って言って、コテッと死ねたら最高だな。あとはまあ、人生に期待しないのは、オレは運がいいからなあ。なんでこんなに運がいいんだろう! って思うよ。芸人としても、いい時代に生まれたなあって。でも警察につかまって、交通事故で顔もぐちゃぐちゃになって、それで運がいいって、ねぇ? まあ、五分五分だね(笑)。
(文:石村加奈)

オリコントピックス

あなたにおすすめの記事

メニューを閉じる

 を検索